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7.ヴィーガンとポリコレ




 ヴィーガンと言う生き方を選択した人たちがいますね。
 今さら説明する必要もないでしょうが、卵や牛乳も摂取しない完全菜食主義者のことです。
 そう言う生き方を選択することに別に反対はしません。
 ですが、それを『正しい生き方』だとして他者に押し付けようとするのには納得できません。

 ヴィーガンの主張の骨子は大雑把に言って二つあると思います。
 ひとつは『動物を殺すな』、もうひとつは『畜産は環境負荷が大きい』ですね。
 可哀想だと思うのは自由ですが、そもそも人間は雑食です、現代では必要な栄養素をサプリメントで補うことは出来るのかもしれませんが、そもそも食べることは生きることなのです。
 それなのに全ての人に『ヴィーガンであるべきだ』と迫るのはおかしいと思いませんか?
 ライオンにシマウマを食べるな、と説いているようなものではないかと思うんですよね、動物園のライオンなら人工栄養で飼育することはあるいは可能なのかも知れませんが、野生のライオンに肉食をやめさせることは出来ないでしょう? 人間もライオンと同じだとまでは言いませんが、やはり動物性たんぱく質は必要としているんではないでしょうか? 
 健康的に生きる権利を奪う権利は誰にもないはずです。
 好きなものを食べる権利も。
 そもそも肉を食べてはいけないが、野菜なら良いと言う理由もわかりませんね、植物だって生きてるんじゃないですかね。
 畜産は環境負荷が大きいのは確かにその通りですが、人間はその長い歴史の中で畜産を行って来ました、地球温暖化と畜産を結びつけるのはいささか乱暴ではないんでしょうか?

 で、何が言いたいかと言うと、ヴィーガンの主張とポリコレが似てるんじゃないかと思うんですね。

「動物を殺すな」と言われると、畜産農家や狩猟民族以外はちょっと反論しにくいと思います、ヴィーガンさんが去った後で『ちっ、何を言ってやがる』と思ったとしても面と向かっては言いづらい面があります。
「人種差別は許さない」と言われて「差別して何が悪い」と言う人は非常に少数派でしょうが、「差別しない」が行き過ぎて逆差別になってはいないでしょうか?
そう感じる人は少なくないでしょうが、「差別主義者」のレッテルを張られるのが嫌で黙ったりします。

「畜産は環境負荷が大きい」と言われて「石炭発電の方がはるかに環境負荷が高いんじゃないか?」と思っても、畜産の環境負荷がゼロでないことは間違いではないので、声を大にして言いにくい風潮もあります。
 
 完全菜食主義を貫くのも、BLM運動に参加するのも自由です、それが悪いとは一言も言いません、ですがそれに賛同しないことを悪いことのように糾弾し、攻撃することは間違っていると思うのです。

『保守』とは「保ち、守る」、すなわち、現状を踏まえた上で少しづつ改善して行こうと言う考え方です。
『革新』とは「あらため、新しくする」、すなわち現状を破壊して全く新しくしようとする考え方です。
「面と向かって否定しにくい」ところを衝いて「ほら否定できないだろう? それは君が間違ってるからだ、だから既成の価値観を捨てよう」と迫る、物事のある一面を強調して全体を否定するところまで持って行こうとする手法が似ているような気がします。
 今ある問題点はひとつづつ潰して行かないといけないと思います、ですが、一つの問題点を起点にして築き上げて来たものを根こそぎ崩壊させてしまうのは間違いではないのか、そこはしっかり見極めて行かなくてはいけないと思います。

 私なら『あなたには菜食を貫く権利があるが、私にも私の身体に必要と思われるものを食べる権利がある』と主張します。
 私なら『差別は確かに行けないが、行き過ぎた平等主義は世の中の混乱を招く恐れがある』と主張します。
 なぜなら、私は『保ち、守り、その上で必要な部分を改善して行く主義』だからです。
 それは『革め、新しくする』主義とは相容れないでしょうが、私がそう言う主義であることを否定できるものではないはずです、なるべくバランス良く食べる主義であることも。