妖怪の創造
と、教授からその話を聞かされた網元の息子はそう言って、教授としての表向きと裏側を考察していた。
「俺も妖怪なんていないとずっと思っていたんだけど、その教授と話をしていると、何だか本当にいるんじゃないかって思うようになったんだ」
きっとこの網元の息子は、教授の話術に引っかかったのかも知れないとまわりは感じたが、その人たちも妖怪を信じている方だったので、それをあからさまに網元の息子に話すことを嫌った。
「それにしても、ここで自殺者が多いというのは分かる気がしますが、飛び込んだ死体はこの村に流れ着くんですよね?」
「ええ、そうだと思います」
「でも、中にはこちらに来ずに、そのままこの海の底で引っかかっている状態の死体も多いかも知れませんね。だから実際に上がった死体の数よりも、本当に死んだ人というのは、もっとたくさんいるのかも知れません」
と教授は言った。
この場所から飛び降りるとほとんどはそのまま入り江に入り込んでくる。この場所というのが、
「入り江の中の入り江」
という特徴的な形になっているからで、その意見は教授も同じであった。
「地形的なものから考えると確かにほとんどの死体はこっちに来るんでしょう」
と言って、教授は入り江を指さした。
その後、教授が少し飛躍的な話をしたことで、その場にいた人たちは頭の中でパニックを起こし、キャパオーバーになってしまったようだった。
その内容というのは、まず教授が祠の奥にある
「ご神体」
を指さして、
「あれは何ですか?」
と言ったことから始まった。
一人がそれを聞いて、
「あれはこの村の守り神で、海難から救ってくれるという言い伝えが昔からあって、元々はここでの死亡者というよりも、海難事故が起こらないようにということで建てられたものだとわしは思っていました」
というと、まわりの数人が、
「うんうん」
とばかりに、無言で頷いていた。
だがその表情は真剣そのもので、その話を信じていることは明らかであった。
この話を聞いて、教授は少し考えていたようだった。
「この姿は、昔から伝わっている妖怪に特徴が似ているんだ。その妖怪は海難事故を引き起こすと言われている妖怪によく似ているんだ。それに……」
とそこまでいうと、教授はそれ以上何かを話そうとするのを躊躇っていた。
これまである程度自信を持って話をしていた教授にしてはおかしな様子だった。
「どうしたんですか」
と言われるまで、教授は本当に考え込んでいて、
「心ここにあらず」
という雰囲気がその場に充満していた。
それだけその場の空気は重たく、教授が何かを言わなければ、そのまま凍り付いたまま時間だけが通り過ぎてしまうように誰もが思えた。
「実は……」
と言いかけてまた少し黙り、すぐに意を決したかのように、
「実は、この妖怪は自分が知っている人によく似ているんです」
というと、一瞬、まわりの空気はさらに凍り付いてしまった。
誰もが何かを言おうとしているのを躊躇っていた。しかし誰かが何かを言わないと、その場の空気が流れることはなかったので、口を開いたのは網元の息子だった。
「今の教授の話なんだけど、実は俺もこの絵の妖怪を見て、誰かに似ているという気がするんだ。しかもソックリに見えて、あまりにもソックリなんで、その人にそれを言ってしまうと何か恐ろしい呪いのようなものが起こるのではないかと思って、恐ろしい気がするんだ」
というと、もう一人が、
「うんうん、そうなんだ。俺はここであの絵を見た時からそんな気がしていたんだが、誰にも言えなかった。でも、今は俺が言い出したわけではないから、俺には祟りはないと思えてきた」
この男は、いつも自分さえよければいいというタイプの男で、まわりからはあまり相手にされていなかった。
さすがに、この時とばかりに口を挟んだが、それ以上は何も言うこともなく、黙り込んでしまった。これがこの男の、
――悪いところでもあり、いいところなのかも知れない――
と、網元の息子は思っていた。
断崖のちょうど上、つまりは自殺する人が飛び降りるであろう、まさにその場所に佇んでみると、不思議なことに気付かされる。
まわりは、前述のように草が生い茂っていて、道になっているはずの部分も、どこまでが道なのか分からないほどに荒れ果てている。それなのに、自殺のために足を揃えるであろうその場所には、草が一本も生えていない・ちょうど人が足を揃えて置くにはちょうどいい大きさに禿げ上がっていて、
「そこに草が生えているところを見たことがない」
と誰もが感じていたのだ。
それを口にする人はいなかったのは、口にすることで災いが降ってはこないかが怖かったのだ。暗黙の了解として草が生えていないことを誰もが無意識に共有していたのかも知れない。
それなのに、昨日今日やってきた研究チームの若い研究者が、そのことに触れてしまった。
「ここって、草が生えていないんですね」
と言うと、サッとまわりに緊張が走ったのを、教授は見逃さなかった。
「ああ、いいんだ。今はその話は……」
と言って、話を敢えて遮った。
しかし、一度口にしてしまった言葉を取り消すことはできず、緊張が走ったままだったが、教授はさらに話題を変えた。
「ここで、身投げをする人が多いということですが、履物を脱いだり、何か家族に書置きのようなものを残しているんでしょうか?」
この時代でも自殺に遺書や、履物を揃えておくということは一般的だったのかも知れない。
「その時々でバラバラだったようです。ここに何も残っていないのに、死体だけが上がるというのも結構ありましたからね」
と網元の息子がいうと、
「じゃあ、その人たちが本当に身投げだったのかどうか分からないので、事故の可能性もあるというわけですか?」
と教授が聞くと、
「いえ、そんなことはないんです。死体が上がった人にはそれなりに自殺の原因はありましたからね。中には、『俺はいつ死んだっていいんだ』という投げやりな言い方をする人もいるくらいですからね」
というと、
「でも、意外といつ死んでもいいなどという人に限って、実際にはなかなか死なないものです。これこそ伝説のようなものかも知れないんですけどね」
と教授が言った。
それを聞いて、網元はおかしくなって思わず笑みがこぼれた。教授はその表情も見逃すことなく、
「そんなにおかしいですか?」
と聞くと、
「ええ、大学のお偉い教授が、迷信のようなことを真剣に信じているように見えて、思わず苦笑いしてしまいました」
という皮肉を込めた言い方だったのに、
「そうですか? 私は意外と迷信や伝説の類は信じる方なんですよ。何でもかんでも最初から否定から入るというのは、研究者として科学を冒涜していると思っているくらいですからね」
という教授を見て、まわりの研究者も頷いていた。
この頷きは教授の考え方に共感したものなのか、それとも教授の日ごろの口調から、この話に信憑性を感じたことでの頷きなのか、漁民が輪にはよく分からなかった。
「この村だけではなく、このあたりには結構迷信や伝説などは残っていますので、他の村でも聞いてみるといいですよ」