妖怪の創造
ただ、それも明治中期までで、それ以降、中央集権が進むにつれて、漁獲高は性格に国や県に申告し、税金を取られるようになってしまったので、それまでの利益は半減してしまった。それでも、税金で持っていかれるだけで、利益の半分は残ったことで、他の村に比べれば、潤っていたのは間違いなかった。
ただ、そんな村にも「大敵」が存在した。
というのは、災害のことで、特にこのあたりは昔から台風の通過点として有名な箇所であった。
内海を持っているということは、普段は波がほとんど立たずに穏やかなのだが、台風のような災害には特に弱かった。すぐに水が一杯になり、逃れることのできない水が陸地を襲う。一種の洪水状態になり、足立村のような小さな村は一気に飲み込まれて、ほぼ全滅してしまうことが昔からあったようだ。
そのたびに、復興はしてきたが、この村は、普段の潤った生活とは裏腹に、災害に弱いという大きな危険を孕んでいた。
そのためか、災害を恐れて、村から脱出する一家もあった。だが、他の村では日々の暮らしすらままならない人がたくさんいたので、危険を承知で、村を離れた一家の家に、そのまま入り込んでくるよそ者も後を絶えなかったという。
つまりは、足立村というところは、まわりの村と同じく閉鎖的な村ではあるが、絶えず人の入れ替わりの絶えないところで、そこが他の村とは違う最大の特徴だったのだ。
このあたりの集落は、助け合いながら生活しているところもあるが、基本的には閉鎖的な村である。立地的にもそうなっても仕方のないところであるが、人間性もそれに匹敵するものがあった。
山間の農村などでは、山という大きな境目があることで、隣村まで一山超えなければいけないというほど閉鎖されているが、漁村の場合は、海に出てしまえば、目に見える境界などないのだ。
それだけに、海に出てから陸を見返すと、一瞬、
――どこが自分の村なのか分からないのではないか――
と思うはずなのに、皆迷いもなく、自分の村に帰ってくることができる。
海に出ることのない女子供はそれが不思議で仕方がなかったが、漁師に言わせると、
「そんなのは当たり前だ。わしらにはわしらだけにしか見えないものがあって、すぐに自分の村だって分かるようになっているんだ」
というのだった。
子供が大人になり、初めての漁に出るまでは、その言葉が信じられなかったに違いないが、実際に漁から帰ってくると、その言葉の意味が分かるようになっているという。
「どうして分かるようになったんだい?」
と聞かれると、
「帰ってきた時には、初めて出た漁だったはずなのに、もう何度も漁に出ているという錯覚に陥るほど、すでに自分が大人になったのだと感じることができるからだ」
という答えが、ほぼ皆から聞かれたのだ。
昭和時代以降であれば、それを誰もが、「デジャブ現象」という言葉で理解もできるのだろうが、その頃は、
「そんなバカな」
という言葉とともに、まるで都市伝説であるかのように扱われていたかも知れない。
都市伝説というと、現象そのものを証明する理屈が解明されているわけではない状態で、そのことを認めようとする気持ちに対する理屈すらありえないと思わせることであるので、ほぼ信憑性はないと言っても過言ではないだろう。
迷信や占いのごとくの世界に、誰が信用するというのか、気休め程度のものでしかない。特にこの界隈では、迷信らしい話はたくさん残っている。元々閉鎖された場所だけに、似たような伝説であっても、別物として信じられ、そのまま伝承されてきたのだから、迷信の類が多いというのも頷ける。
ただ、その中には全国的にも有名な話も多分に含まれていて、この界隈も、他の閉鎖された村と変わらなかった。
確かに日本という国は海に囲まれた島国であるが、海岸線というよりも内陸の方が圧倒的に多い、山岳地帯も乱立しているので、当然、村の数は限られてくる。隣村に行くのに山一つ越えるというのも当然のことで、閉鎖されているという感覚は、農村の方がより強いだろう。
しかし数としては少ないかも知れない漁村であるが、漁村にも漁村としての誇りのようなものがあり、いくら隣接していても、隔絶された世界であることに違いはなかった。ただ、海というのは、農家のように家の庭に位置しているわけではなく、広大な大海原という一種の未知の世界に入り込んでいくという恐怖と背中合わせになっている。それだけに迷信めいたことや言い伝えなどは、農村に比べれば信じられてる可能性は大きいだろう。それを研究しているグループもその後いくつかあったようで、ただ、あまりにも言い伝えが都市伝説であったので、信憑性に欠けていたのも事実だった。
その後に研究が進んで、海に出没する妖怪の特徴がよくあらわされるようになってきたが、まず一つとして、
「海の妖怪は、夜に出没するものが多い」
と言われていることである。
そして、もう一つの特徴として、
「妖怪に出会うと、その人はほとんどの場合、死んでしまう」
という言い伝えである。
そういう意味で、海に出現する妖怪の類は恐ろしいものが多く、食われてしまったり、海に引きずりこまれてしまい、結局は死んでしまうというものが多いということになるのだろう。
ただ、一つの特徴として、
「海の妖怪を見ると死んでしまうという伝説がよく囁かれているが、それを予防するための伝説も伝わっている」
という話もあるらしい。
これは妖怪というものが、本当に存在するものなのかを疑問視する説でも言われることなのかも知れないが、最初からその予防策があるということは、
「人間が故意に創造したものではないか?」
という説が成り立つのかも知れない。
要するに、物語として面白おかしく伝わったものとして、怪談と同じような趣向で、用いられるものもあれば、海という神聖な場所に、邪気やただの好奇の考えのみで入ろうとするのを戒めるという意味もあったのかも知れないという考えも成り立つのではないだろうか。
その後の海のように、行楽を目的とし、実際に妖怪すら住めないような海岸線を作ってしまったことは人間の罪と言えるのだろうが、
「妖怪すら住めない世界」
にしてしまったその罪の大きさを、誰が代償するというのか、
「時代は繰り返す」
というが、最後には人間すら住めない世の中になると、妖怪世界では信じられているのかも知れない。
足立村の特徴は、
「他の村に比べて、死体が流れ着く比率が高い」
と言われていることだった。
海での生活を強いられ、さらにまわりすべてが海に依存しながら生きていることもあって、どうしても人の「土左衛門」(放送禁止用語らしい)が多いのは仕方のないこと。何しろ、予測不可能な天候と、それに伴った潮の流れなどの複雑な状況が引き起こす自然現象は。無限と言ってもいいほどに考えられる。したがって、海の事故は本当に予測不可能であり、海に出れば、「死」というものを覚悟しなければいけないというほどの危険な場所でもあった。