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妖怪の創造

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 しかし、出会ってからの三年間、実は今も続いていることであるが、パッと考えるとかなり長く感じられるのに、ゆっくり考えるとあっという間にしか思えなかった。要するにドッペルゲンガーとの出会いの間で、真逆の発想を、いや妄想に近いのかも知れないが、抱くようになったのだった。
 彼がいくつなのか思わず聞いてみたくなった。教授は今年で五十五歳になる。きっと息子がいれば、これくらいの年齢ではないかと思った。
 教授は一度三十歳の時に結婚したのだが、奥さんとは三年後に死別した。子供がいなかったのでは幸か不幸か、その後は完全に研究に没頭していった。教授としての地位は地方都市レベルでは十分な著名人となっていた。気が付けばもうこの歳になっていて、今までは結婚の前と後で自分が変わったと思っていたが、今から思えば、結婚前もゆっくり考えればあっという間の人生だったと思えていた。
――そういう意味では結婚ってただの通過点だったんだろうか?
 亡くなった妻には悪いが、そう思うようにしていた。
 妻にベタ惚れだっただけに、あのまま死別のショックの尾を引いてしまっていると、今自分がどうなっていたか分からない。妻のことを忘れることはないが、その思いがあるのと、研究が最優先という思いとで、再婚を考えることもなく、この歳になってしまったのだ。
 教授はその日、かなり酔っていた。タバコもかなり進んでいたが、普段であれば、酒を飲んでいる時に、そんなにタバコを吸うことはない。別に吸わなくても大丈夫なくらいなので、ヘビースモーカーというわけでもなかった。それなのに、その日はまだ二時間くらいしか経っていなかったのに、十本近く吸ってしまっている。こんなことは初めてだった気がする。
 今までで一番タバコの量が多かったのは、妻が死んでから四十九日くらいまでの間と、自分の研究論文が学会で最初に評価された時、ノミネートされてから発表があるまでの間ったと思っている。その時もタバコはたくさん吸ったが、アルコールを口にすることはなかった。
 妻の四十九日の前の日までと、論文に関しては、発表があってからと決めていたのだ。論文に関しては、おめでとうになるか、残念になるかの違いだけで、呑むことに変わりはなかったからだ。
 教授の論文は、その時認められはしなかった。妻も亡くして、論文も成果が出ない、そんな状態で教授は人生初ともいえる挫折を味わった。それでも教授は自分の理論に自信を持っていたので、今までの理論をさらに深く掘り下げた内容の論文を提出し、今度は大いなる称賛を浴びることになった。
「諦めなくてよかったです」
 授賞式でのこの一言がすべてだった。
 それだけ理論に対して大いなる自信を持っていたということなのであろうが、きっと前の論文が、
「後少しの状態」
 だったのだろう。
 一つの壁を超えるとそこには称賛が待っていた。
「踏み出すか踏み出さないか、これが難しい」
 という言葉を残しているが、そもそも、足元にあるのが踏み出すべき境界なのかどうか分かっているわけではない。雲をつかむようなそんな状態にしっかり自分を失うこともなくやり通せたのが、称賛に値するものだったに違いない。
 教授としては、
「理論的には前に認められなかった論文である程度網羅されている」
 といい、再度過去の論文を見直した他の専門家から、
「本当だ。どうしてあの頃は認められなかったんだろう?」
 と思わせた。
「要するにタイミングと運なのかも知れないな」
 という人もいたが、教授はそうは思っていなかった。
「タイミングはあると思います。他の理論に誘発されて称賛を受ける内容もあるでしょうから、それは素直に認めますが、運に関しては、称賛という意味では関係ないと思います」
 と、教授は答えた。
 ただ、本当に運は関係ないと思っていたわけではなく、心の中では、
「運を認めてしまうと、過去の論文を否定してしまいそうで、それを私がするわけにはいかない」
 と思っていたのだ。
 教授は、それから四十代後半くらいまでに、歴史的発見をいくつか行っている。だが、表舞台に出ることはあまりなく、四十代後半からは、ほとんど後輩にその道を譲ろうとしていた。
 最近では発掘というよりも、田舎の村に出かけて、そこに伝わっている伝記や言い伝えを編纂することが主になっていた。
「趣味の世界ですよ」
 と言っているが、学生の中には、そんな教授に共感し、一緒に研究に勤しむ人が増えてきた。
 そのおかげで教授のゼミは、言い伝えを編纂するためのチームのようになり、図書館や博物館などから、それらの伝説を発見するチーム、そして先生と同行し、田舎の村を転々としながら、実際に聞いた話を構成するチームと大きく二つに分かれていた。
 研究に明け暮れていた時期が懐かしいと、最近までは思っていたが、この頃では、その時期を思い出すこともなくなってきた。それを自分では、
「気持ちに余裕のようなものが出てきたからかな?」
 と感じていた。
 少なくとも研究ち呼ばれるものをしていた時は、地位と名誉を求めるのが最優先だったはずだ。しかし、今ではそんなものはどうでもよくなり、上を見るのはやめた。
――先が見えてきたのかな?
 と考えるようになったが、
「百里の道は九十九里を半ばとす」
 という言葉があるが、教授は研究をやめた時、その逆の気分になっていた。
「まだまだ半ばだと思っているが、実際にはある程度、気持ち的に飽和状態になっているのかも知れない」
 百里の道というのを自分では、
「名声を手に入れるための道だ」
 と思っていたが、今ではそうではないと思っている。
 自分の中で飽和状態になり、
「もう、ここらでいいだろう」
 と感じた時が、自分にとってのゴールであると思うようになった。
 まだまだ先があると思って、五里霧中の中、
「百里の道は九十九里を半ばとす」
 と感じて、ずっと歩んできたが、きっとその感情に疲れを感じてきたのかも知れない。
 後進に道を譲るという思いだといえば恰好はいいが、要するに
「自己満足による引退」
 でしかなかった。
 ただ、それ以降何もすることが頭の中になければ本当に「半ば」だったのかも知れないが、教授には、
「田舎の村での伝説を研究して編纂する」
 という夢が新たにできたのだ。
 この思いは、
「もうここらでよかろう」
 と思った時にふいに思いついたわけではない。
 ずっと前から思っていたことで、正直にいうと、続けている研究と今後やりたいと思っていることの天秤であった。
 その天秤のバランスが崩れたのが、その時である四十代後半だったのだが、そのおかげでうまく人生をシフトできた気がした。
「第二の人生を楽しめばいいんだ」
 と教授が思うようになって、自分なりに若返った気がした。
 すでに四十代後半になっていたが、精神的にはまだ二十代後半くらいの思いだったのだ。ある程度の名声はあったので、教授が後進にその道を譲ろうと言った時、まわりの人の驚愕は想像つくであろう。
「どうしたんですか? どんな心境の変化なんですか?」
 と言われてみたり、恩師である人からは、
「血迷ったのか?」
 とまで言われたが、ニッコリ笑って、
作品名:妖怪の創造 作家名:森本晃次