短編集79(過去作品)
晋作を想う
晋作を想う
児玉義弘は歴史が好きで、よく歴史モノの本を探しに本屋に出かけていた。都心部の大きな本屋に行けば、歴史のコーナーが大きく設けられていて、コーナーを見て歩くだけで、時間を忘れることができる。学生時代から歴史は好きだったが、好きな時代とあまりよく知らない時代があるのは、義弘だけではないだろう。
主に日本史が好きで、日本史に伴うところでの世界史なら少しは精通しているだろう。特に近世からは世界の舞台に踊り出た日本の歴史は世界を無視しては語れなくなった。
中学の頃から好きだった歴史の授業、先生の話もなかなか面白く興味があった。裏話などよく知っている先生で、教科書に載っていないような話をしてくれたりしていた。変わったところがある先生で、少し宗教かかっていたかも知れない。
どの辺りが宗教かかっていたかなど、中学生に分かるはずもなかったが、そのことに気付いていたのは、義弘だけではなかっただろう。
時間というものを神秘と考えていた頃だった。だからこそ歴史に興味があった。何かが一つでも違えば、その後の歴史に多大な影響を与える。それは自分のまわりの歴史ということだけではない。自分が知らないところで誰かに影響を与えていたり、逆に与えられていたりするのである。
だが、何が違っているのか分かるのだろうか? もしかしたら今いるこの世界以外に違う世界がどこかに広がっているのではないかと思える。人物一人に注目しても、地域一つに注目しても、気付いていないまでも、どこかでそれぞれが影響しあっているだろう。
高校を卒業してからしばらくして、歴史の勉強をしたいと思い始めた。学校の勉強のようなものではなく、本を読んで興味の湧く時代を深く知りたいと思うようになった。
本を読んでいて、興味の湧くゆかりの場所には行ってみたいと思うようになり、大学に入ると時間ができたこともあり、アルバイトで稼いだお金を旅行に使うようになった。
――無駄遣いじゃないんだ――
大学でも歴史に関してのサークルがいくつかあったが、あまり人と一緒というのは好きではない。旅先で友達になった人と行動をともにするのは好きなのだが、最初から攣るんで行動することは嫌だった。
いろいろな思いに耽りたい時だってあるはずだ。自分の好きな歴史上の人物に思いを馳せ、物思いに耽ることもあるだろう。例えばゆかりのお寺の境内で、ずっと庭を見てみたくなることもある。そんな時に団体行動は適さないのだ。
特に西日本が好きだった。これといって絶対的に好きな時代があるわけではない。本の背を眺めながら、
――この人の時代を旅してみたい――
と思うのだ。誰か一人を主人公にして、その時代を思う。それも義弘にとっての一つの歴史の見方である。
歴史の見方でどれが正しいというものはない。
「何が正義で何が悪か」
などということは誰が決められるというのだ。確かに、
「勝てば官軍、負ければ賊軍」
という言葉があるが、皆自分の国や主人を憂いての行動である。歴史が答えを出すというが、いったい答えはどこに存在するというのだろう。
ある事件が起こったことでどう世の中が変わってきたか、それが歴史である。しかしそれが正しいことだったと誰が言えるのか教えてほしい。
答えなんてないのかも知れない。
結果から見て、悲惨な末路が待っていれば悪で、少しでもいい方に繋がっていけば善だと言うだけなのだ。善といえることだって、それ以降の歴史に影響を与えないとは限らない。かくも歴史を勉強するということは、答えのない問題を探すようなものである。
それだからこそ面白いと言える。義弘が夢中になったのは、ありえない答えを自分なりに見つけてみたいと思ったからだ。そしてそれはきっと自分の中だけの結論として見つかることだと思っている。
――狭い世界――
自分が生きていく上での世界、見ることができる世界からはみ出さなければ、答えを見つけることができそうな気がするのだ。
こんな話を友達とよくしたものだ。
友達の中で義弘と同じ考えを持っている人もいる。
「世の中には同じ考えを持った人が出会うことだってあるんだ。それだって自分にとっての歴史上の重大事件だよな」
まさしくその通りである。
名前を東といい、大学に入って最初に友達になった人だ。彼が歴史好きだと聞いて、まるで運命の出会いだと言って、喜んだ自分が懐かしい。東との出会いは必然だったのだろうか、そればかりを考える自分が少し不思議である。
彼は高杉晋作が好きだった。幕末の動乱期の風雲児といえば、まず彼の名前を思い出す人も多いことだろう。
幕末には義弘も特別な感情を持っていた。何が正しいのかの判断が難しいからだ。確かに鎖国政策を取っていた日本は世界の歴史の流れから取り残されていた。特に隣の中国のように植民地化されているのを見た人は、焦るだろう。急進派が過激になるのも仕方がないというもので、特に攘夷派と呼ばれる連中の過激さが世の中を混乱に導いていた。
もはや幕府になくなった力を武力で支えるもの、攘夷を実行するために武力に訴えるものとの壮絶な戦いが繰り広げられる時代である。前者は新撰組を代表とするもので、後者は長州、薩摩、を中心とするものだ。薩摩などは、時々分からない行動に出るが、それでも、長州藩が中心の攘夷派、高杉晋作はその中の長州藩の人間である。
何度も、投獄されたり命を狙われたりしたが、それでも長州藩、いや日本のために遁走した彼は、志半ばで、病に倒れるという運命を背負っていたのだ。
彼の悲劇の足跡は山口県の萩にある。萩という土地は小学生の頃に家族で行ったことがあるが、その頃は歴史に興味などなく、ただ旅行が楽しかったという思い出しかなかった。むしろその後に行った広島の方が印象深かったくらいである。平和公園で見た悲惨な原爆の爪跡、そして、その後の急速な復興、今のような大都市になるまでの苦労を思うと、感無量になってしまう。そんな旅行だった。
大学に入り、義弘は再度萩を訪れた。本当は東と一緒にくればいいのだろうが、あえて一人旅を選んだ。
季節は夏だった。前家族と来た時は確か冬だったと思う。大学に入ってから一人旅ばかりしている。一人でゆっくり名所旧跡を回りたいという気持ちもあるが、旅に出るとそこはまったく自分のいる世界とは違う世界が広がっていると思うからだ。
大学生というと旅行に出かける時間はある。アルバイトで稼いだお金を旅行に当てているので、週末の小旅行など、それまでにも何度かあった。
その度に新しい友達が増え、その後も連絡を取り合ったりしている。それこそ旅行の醍醐味というもので、実際の大学での友達とは少し雰囲気も違っている。
旅行でできた友達とは、いつも会っているわけではないが、偶然知り合って意気投合したのである。それだけに、気持ちのつながりはむしろ毎日会っている人よりも強いかも知れない。
そんな友達の中に、
「萩はよかったですよ。街も綺麗ですし、街の規模からしても史跡の多さにはびっくりさせられました」
作品名:短編集79(過去作品) 作家名:森本晃次