短編集79(過去作品)
本を読みながら、キャスティングを勝手に身近な人にしてしまう。そうしないとよりリアルなイメージで読めないからだ。いつも主人公で思い浮かべるのはおじさんだった。
主人公とは性格も雰囲気もまるで似ていないおじさんを思い浮かべるのはどうかしているのだろうが、身近に思い浮かべる人がいないからだ。
おじさんにライバルなどいないだろうし、不倫で女性に溺れるというイメージも湧いてこない。しかし、なぜか小説世界に入り込んでいる時に思い浮かべるおじさんは、自分の知っているおじさんから豹変してしまっているのだ。
保は主人公の男性を思い浮かべていて、自分を思い浮かべることができない。自分には不倫やドロドロした関係は皆無だと思っているからだ。
「君はいつも綺麗でいたいんだな」
そんなことを言われたことがある。あれは、自分が臆病なのかも知れないと友達に話した時で、
「何か守りたいものがあれば、人間は臆病になるんじゃないのかな?」
と発言した時だった。
「守るものがない人間なんていないさ。だから人間って臆病なのさ」
という友達の意見には賛成だった。臆病じゃない人間なんていないと言いたかったのだろう。感情というものがある限り、人は臆病なのだ。
「されたら嫌なことは人にしてはいけない」
とずっと思ってきたが、意地悪をしたくなる時もあるものだ。
されたら嫌なことをしてはいけないと思うあまり、他人がその行為をした時に許せない気持ちになる。特にその気持ちが強いのだ。臆病なくせに、人に食って掛かりたくなる。そんな性格を嫌なくせに、どうすることもできないのだ。
宇津木聡の作品は、そんな気持ちをスッキリさせてくれるところがある。
「現実の自分ではありえないことだ」
という思いの中、願望を叶えてくれる。それが彼の作品にはあるのだ。
おじさんと前に来たこの街で、子供だった頃を思い出している。ドロドロとした感覚があるわけでもないのに、宇津木聡の作品を思わせる懐かしさがあるのだ。
――そうだ、匂いを感じるのだ――
モーテルを通る時に感じるあのカビ臭さ、あの匂いが懐かしさに通じるのである。大人の世界を垣間見たような気になっていたのか、やけにリアルな匂いを思い出すことができる。
大人の世界が繰り広げられるモーテルについても、宇津木聡の作品はリアルだった。今でもその描写を思い出せるくらいである。
そのモーテルも国道沿いにあった。男と女が車で入って行く時は、いつも雨が降っている。シトシトとした雨で、決して豪雨ではない。何か涙雨を想像させるものだった。
モーテルが涙雨を想像させるものなのかどうかは分からない。ファッションホテルが立ち並ぶ昨今では、連れ込みホテル風のモーテルは減ってきているだろう。実際に残っていたとしても、カビ臭さから脱却できるものではないはずである。
――僕はこんなところに用はないんだ――
と言い聞かせてはいるが、本能が神秘性の扉をノックするのだ。思わず立ち止まって中を覗き込みたい衝動に駆られてしまう。
時間がさかのぼっていくような気がするのは錯覚だろうか? いや、時間が先に進んでいるのかも知れない。そういえば、そんなフレーズを宇津木聡の小説で見たような気がする。彼の小説には時々超常現象のような話が出てくることがあるが、男と女の話の方がリアルで神秘性があるためか、少しかすんでしまう。彼も小説の中で唱えているが、
「事実は小説よりも奇なり。そして人間関係の中でも男女の関係が一番神秘的である。肉親のように血が濃いわけではないからだ」
と説いている。まさしくその通り、肉親でないがために相手のことを理解できずにいろいろ考えてしまうのだ。だからこそ、発想に発展性があり、想像が果てしなく広がるのだ。
だが本当にそうだろうか? 自分が一番分からないのは肉親である。父や母のことが分からないのである。却っておじさんの方が分かりやすく、一緒に話をしていても理解できるところがある。
ドラマなどを見ていて肉親の情に訴えるような話が出てくると、
――何て親兄弟って素晴らしいんだ――
と思うのだが、実際に我に返ると、一番肉親が分からない存在だ。
反発心がどうしても頭を擡げる。親子だから気持ちが分かるのか、反発してしまう。
だが、そんな父をどうしようもなく寂しく見てしまうことがある。背中を丸め、いつも広い背中に漲っている自信が哀愁に変わっているのだ。
――今なら声を掛けられるかも知れない――
と思って、声を掛けてしまうと自分を形成していた大部分である反発心が萎えてしまって、自分ではなくなってしまいそうで声を掛けることができない。
父の背中に自分を見たような気がする。
あまりにも似ている性格だから相手のことが分かりすぎるくらいに分かってしまい、少しでも感覚が違えば反発を招いてしまう。それが自分たち親子なのだと思う保だった。潔癖症を悪いと思わないのは、無意識に父の考えに染まっているからかも知れない。
だが母はどうだっただろう? 父と同じところがあるとは思えないし、父と保の間に入ってさぞかしジレンマに陥っていたことだろう。保と父の間にある糸のようなものに気付かず、自分だけが蚊帳の外に置かれていたことを無意識ながらに気付いていたかも知れない。家族の中でたった一人孤独感を感じていなかったと言えなくもない。
保はそれからしばらくして美穂によく似た女性に出会った。顔や容姿が似ているというよりも、「おねえさん」という雰囲気が美穂に限りなく似ていた。彼女は保を子供扱いするわけでもなく、話などもキチンと大人として聞いてくれ、男を立てる気持ちも忘れない。
同年代の女性をあまり好きになることのない保は、いつしかそれがトラウマであることを知った。最初は、異常性癖のようなものではないかと悩んだ時期もあったが、そうではないようだ。
ではどんなトラウマなのだろう?
彼女と初めて入ったラブホテルのことは一生忘れないだろう。前にも一度入ったような錯覚に襲われていたが、それもしばらくして理由が分かった。
――宇津木聡の小説に出てきた間取りにそっくりだ――
ラブホテルの間取りなど、どこも似たようなものだと思えなくもないが、一番印象深い間取りにそっくりなのは、少し驚いた。
宇津木聡の作風は主人公の男性が人妻に溺れていく内容が多いので、相手はどうしても落ち着いた雰囲気がある。そんな中で見せる大人の女としてのフェロモンが、男を狂わせるのではないだろうか。
――私も狂ってしまうだろうか?
保は女性を抱きながら考えている。相手が人妻なのを知っているからだ。
あれだけ人のものを取るのが嫌だった保なのに、いったいどんな心境の変化があったのだろうか。
――今なら宇津木聡のような小説を書けるかも知れない――
と感じている。
高校を卒業し、必死で勉強して得た大学生としての立場、その開放感から女性に溺れてしまったとは思いたくない。会うべくして出会った女性、その女を抱いているのだ。
作品名:短編集79(過去作品) 作家名:森本晃次