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短編集79(過去作品)

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 保が宇津木聡の本を読むようになったのは、母親を女性として意識し始めてからだ。それまでの母というと、厳格な父に苛まれて、どうすることもできずに自らを押し殺しているような、そんな女性……。子供から見て、母親としても女性としても中途半端にしか思えなかった。
 女性というものを中途半端にしか見れなくなったようだ。それでも思春期になると一人前に女性を好きになる。好きになれば身体が先に反応する。感情は身体の反応に逆らえない。それが辛かった。
 クラスメイトの女性が急に子供っぽく見えてくる。本当は大人っぽく見えるのだろうが、それは肉体的にであって、精神的には違うものを求めているのかも知れない。
 女性の方が男性よりもホルモンの分泌が早いのか、すぐに大人びてくる。身体の変化も序実で、さすがに子供を産む身体へと変化を遂げているのが分かるのだ。男性がそんな女性に興味を抱くのは当たり前のことで、男性は感情が身体よりも先にくるものなのかも知れない。
 保にとって感情の変化は急激だったようだ。大人の女にしか興味を示さないのは、宇津木聡の小説ばかりを読んでいて、感情が麻痺してきたのではないかと思えてならない。
 美穂のことを思い出していた。いつも自分を「おねえさん」と呼んでいた彼女は、完全に保のことを子供扱いにしていた。小学生相手なのだから当たり前だが、それを心地よいと思っていたのだ。くすぐったかったが、何となく物足りなさも感じていた。だが美穂には彼氏がいるということを聞いた瞬間から、やはりおねえさんとしてしか見れないことを知った。だが、また会いたいと思う気持ちが強いせいか、再会できる気がして仕方がないのだ。
「人のものを取ってはいけない」
 この思いが強くなったのはいつからだろう?
 電車の中で見つめていた彼女が男を連れていた、この事実だけでも、保は一歩引いてしまった自分を感じていた。確かに年の違いもあるだろうが、自分の知らない二人だけの世界を持っている以上、少なくとも自分の入る余地などないと思ってしまう。
 ではどうして嫉妬などという感情が芽生えてくるのだろう? 諦めがついていない証拠なのだろうか。嫉妬などという感情は苦しいだけで、何も生み出さないのは分かっている。しかし分かっていてどうしようもないのだ。それだけ自分が女性に対して中途半端な気持ちを持っているのかも知れない。
 人のものを取るのは自分の生き方に反するのだ。厳格な父に逆らいながらも、その中で自分としての人間を形成している。そのためには、父よりもある意味、さらに厳格な部分がなければいけないはずだ。それが、自分の中での潔癖さだと思っている。
 特に女性に対しては確固たるものが存在する。まるで覚悟に似たもののように思える。
――なぜそこまでこだわるのだろう?
 自分でもよく分からない。きっとそれは父親に対する反発心だけではないからだろう。
 宇津木聡の小説の内容を思い出している。そういえば、彼の小説は略奪愛というのはあまりない。確かに不倫や、浮気関係の内容は多いのだが、男が結婚している女を奪ったり、女が結婚している男を奪うといった感じの話を見たことはなかった。
 結婚している女が男に溺れていくという内容が多く、しかも溺れる女は切羽詰っているわけではないのだ。生活に余裕がないわけではない。旦那に不満が多く、ストレスが溜まっているように見えるわけでもない。
 最初は好奇心からの「火遊び」というのが多いのだ。しかし、気がつけば家庭を顧みないようになっていて、相手の男の身体に溺れ、愛情などという感覚が麻痺してしまっている。ドロドロした内容に思うのは、愛情の感覚が麻痺してしまっているからだろう。
 しかし、主人公は男性の時が多い。作者が男性であるので、男性の立場から描くのが一番無難だからだろうか? いや、それよりも、作者自身が主人公と同じような経験をしていないとなかなか書くことができない内容に思えて仕方がない。主人公の性格がいつも似ているのはそのあたりが原因なのだろう。
 主人公にはいつもライバルがいた。それは、女性を挟んでのライバルというわけではない。自分の身近に、それが学生時代からの親友であったり、さらには兄弟であったりするのだ。いつもライバルに対して緊張の糸を絶えず張り詰めている主人公は、女性に言い寄られると、実に脆いところがある。そこを「悲しい男の性」として巧妙に描いている。
 ライバルは非の打ちどころのないほど完璧な人間というわけではない。しかし、彼によって指摘されたことは、間違いのないことなのだ。きっと相手の男は主人公のことをいつも見ていて、どう言えば相手を戒めることができるか絶えず考えているのだろう。
 ライバルという言葉が適切かどうか分からない。主人公にとって相手の男は目の上のタンコブ、いやらしい以外の何者でもない存在であるが、明らかに相手を上として見ている自分を情けなく感じている。
 屈折した感情を女性が安らぎと感じるのかも知れない。
 作品の中の女性は、男性からどこが好きかと聞かれて、
「あなたといると安心できるの。とても暖かいのよ」
 といってその胸に飛び込んでいる。女性も本能のままに男性に身体を預ける。お互いに感情のわだかまりを捨て、本能の赴くままに相手の身体を貪るのだ。
 不満がないはずの女性が、言い知れぬ不満を持って孤独に生きている男性に惹かれる。結末はいつもドロドロしてくるのだが、どこかリアルな生臭さを感じさせられる。それが読者を掴んで放さない理由だろう。
 評論家の中には宇津木聡の作品をボロクソに書いている人もいる。
「低俗で羞恥に満ちた作品」
 と最低ランクの評価をする人がいる。
 しかし、彼の作品は明らかに静かなブームを呼んでいた。そのことが読者としての保には嬉しかった。
 宣伝によって売れているわけではない。作風に共感する人がそれだけたくさんいるということなのだ。もっとも、彼の作品が宣伝できるような内容ではないからかも知れないが、不倫などのタブーに挑戦する作品の中でも異色なのは誰の目から見ても明らかだったに違いない。
 その異色さは「潔さ」を貫いているところにある。
「人のものを取るわけではない」
 という作風も一種の潔さであろう。不倫を隠れてしているが、必死に隠そうとする女性に比べて男性は隠そうという気がないようだ。潔さというよりもやはり感覚が麻痺しているというべきなのだろうか?
 主人公にとってライバルへの感情は、自分が考えているよりもはるかに強いものだった。不倫を隠そうとしないのも、ライバルに見せつけたいという無意識な感情があるのかも知れない。
「彼女はお前なんかより、俺のような男に惚れているんだぞ」
 言いたい言葉をグッと飲み込んでいる。
――まるで子供の喧嘩だな――
 と情けなくなる感情を、彼女の身体が麻痺させてくれる。女性の身体の魔力と、男性の悲しい性、この二つが微妙に絡み合って物語を構成しているところが、保を夢中にさせるのだ。きっと他の読者にとっても同じだろう。
作品名:短編集79(過去作品) 作家名:森本晃次