短編集79(過去作品)
しかし、そんな彼女が男性と……。あれはいつのことだっただろう? 初めて彼女を見かけてから少しは時間が経っていたように思う。すぐだったら、ここまでのショックは受けなかっただろう。
しかも、いつもの神秘的な彼女ではなく、どこにでもいる女子大生の姿だったことは、保に動揺を与えてしまったようだ。
その時の保は、見てはいけないものを見てしまったようで、目のやり場に困ってしまった。ショックというだけでは言い表せない気持ちだった。
――失恋?
失恋というには恋をしたという確証がなければいえないことなのに、恋をしたといえない自分がいる。もし恋心を分かったとすれば、男を連れていることの悔しさが恋なのだとしか言えないのだ。
――嫉妬――
今まで幾度となく聞いた言葉であるが、まさか自分にそんな気持ちが芽生えるなど思ってもみなかった。もちろん恋愛感情と嫉妬は表裏一体、切っても切り離せない関係にあることは分かっている。分かっているにもかかわらず、自分に関係のないことと思っていたのは、本当の恋愛感情を見ようとしていなかったように思えてならないのだ。
高校生の男性と大学生の男性では、あまりにも差がありすぎる。太刀打ちできるはずもない。地団駄を踏んでいる自分の姿が目に浮かんできそうだった。保にとって、彼女が特別な存在だったことには違いないからだ。
自分と同じ宇津木聡の本に夢中になっている女性、きっと自分と性格が合うはずだ。ずっと一つのことを話題にしていても、飽きることもなく話ができるだろうと思っている。
もし、恋人に求めるものは何かと聞かれれば、
「ずっと続く話題性」
だと答えるだろう。保には話題性がない。相手から提供された話題なら何とかついていけるかもと考えたのだ。
話題性がないということはそれだけ発言に自信がないのだ。何かを喋らないと雰囲気が暗くなることくらいは分かっているはずなのに、何をどう話していいのか分からない。
それに気付いてからは、自分から女性に告白できるようになったのだが、さすがに彼女の時は辛かった。しかも一緒に男性がいるところを見てしまったのだ。好きな人に相手がいると、つい自分から身を引いてしまうところが保にはある。
臆病だと言われればそれまでなのだろうが、それよりも人のものを取るということへの罪悪感が保の気持ちを苛めるのだ。厳格な人物を父に持つからだろうか、それともその父の血を受け継いでいるのか、どうしてもそうなってしまう。
しかし、逆らいたくなる性格も前面に押し出している。
――父のようになるものか――
これは物心ついてから、ずっと感じてきたことだ。だから、父に似ているかも知れないこの性格が時々嫌になる。自分で否定しながら、似ていることを自覚すると、たちまちジレンマに陥ってしまう。父に似ている性格が決して悪い性格ではないということを分かっているからである。
いつも冷静沈着な父を見ていると、喜怒哀楽を派手に表現してしまう自分を感じてしまうのもその一つで、何かあれば派手なパフォーマンスを表情に浮かべ、まわりに少しでも分かってもらおうとしたものだ。
「それは損な行動だぞ」
高校に入ると先輩から指摘され、我に返ったことがあるが、一旦身についた性格はそう簡単に抜けるものではない。
嫉妬の気持ちがメラメラと心のうちから湧きかえってきた時、どのような表情になったのだろう? 自分でも恐ろしい。
もっとも最初は相手の男の顔を見て気が動転してしまったことが、すぐに嫉妬だと気付いたわけではなかった。
――相手の男も宇津木聡の本を読むのだろうか?
女性の方は、不思議な魅力が漂っていて、いかにも宇津木聡の読者だと思えるところがあったが、男性はいかにも軽そうな感じで、保にしてみれば、絶対にあんな軽い男になりたくないと思ってしまうほどだった。
――そんな男にどうして彼女のような女性が?
騙されているんじゃないかと言いたいくらいだった。
だが、男女の間は実に複雑怪奇、それは宇津木聡の本を読んでいても分かるではないか。男女の仲一つをとっても、あれだけの作品量、考えてみればカップルの数だけ人間模様が広がっているのだ。一人の人間をモチーフにしただけでも、立派に一冊の作品としてできあがるわけである。
この二人の間にどんな男女関係が渦巻いているのだろう?
考えていると、実に不思議な感覚に陥ってしまう。今までに男女を見てどんな関係なのかを無意識に思い浮かべようとしたことはあるが、意識して思い浮かべたのはその時が最初である。
軽い男も二人だけの世界になると、女を夢中にさせる何かを持っているのかも知れない。そう考えると、あまり真面目なだけの男は損をするとも思えるが、これも性格、どうしようもないところがある。
それまで女性と付き合ったことのなかった保は、妄想だけはかなりなものだっただろう。しかも宇津木聡の作品を読んでいるだけに、女性というものの神秘性、そして男女関係の神秘性に酔っていたところがある。
宇津木聡の作品が自分に当てはまるなどと、保は思っていない。しかし、相手の女性によって、自分もいかように変わるか想像がつかないところもあり、実に興味のあることだった。しかし、作品を架空の話だと思うためか、なかなか現実味を帯びてこない。それだけに、気持ちも中途半端なところがあった。
それを彼女の出現で急に現実味を帯びてきたのだ。目の前に現れた女性が、自分の中のイメージを固めてくれる気がしたのだ。
嫉妬という言葉が妙に身に沁みていた。暑くもないのに汗が背中を流れ落ちる。しかし、顔面が熱くなっても、額から汗が滲むことはない。実に不思議なことだ。いつもと違う感覚を嫉妬だとは最初から分かっていたわけではない。初恋の時に、いつが初恋だったのかと聞かれて、
――あれが初恋だった――
と初めて言えるのと同じような感覚である。
好きな本を持っていたから気に留まったのか、それとも気に留まった人が同じ感性の持ち主であるように感じたので気になって仕方がないのか分からなかった。一つ言えることは、これから彼女と同じイメージを持った人をずっと探し続けるのではないかということである。
――どこか母に似ている――
何かに怯えているように思えるのは保だけだろうか?
自分だけだと思っていると、そこに男が現れたのだ。しかし、その男が怯えを与えるようにはどうしても思えない。男は彼女にとってどうでもいい男なのだろうか。頭の中で考えが堂々巡りを起こしていた。
「私のどこが好きなの?」
と聞かれて答えられない保。強いてあげれば宇津木聡の本に出てくるような不思議な魅力を持った女性……。そう答えたかった。しかし、それは女性というものを自分の中で誰か一人のイメージとして持っているからに違いない。
――母ではないだろうか――
そう感じたのは、やはりおじさんと一緒に来た喫茶店を思い出すからだ。母に秘密を持ったということが自分の中で罪悪感を作り上げ、子供心に女性を初めて意識させたのかも知れない。
作品名:短編集79(過去作品) 作家名:森本晃次