短編集79(過去作品)
と言った言葉に反応したのだろうか? 思わず顔が赤くなってしまった。
「熊本は暑いところだね」
差し障りのない会話から入った。少し気持ちをはぐらかそうという腹積もりもあった。
「ええ、そうなの。でも、私にはあまり暑いとは感じないわ。感情には疎い方なのかも知れないみたいなのよ」
「では、あの夜はどうだったんだい?」
と聞きたいくらいであった。会社にアルバイトに来ている時は、少しクールな雰囲気があったので、あの時に今のセリフを言われれば納得したかも知れない。しかし、知ってしまった彼女の身体、そしてさっきのあどけない雰囲気からあまり感じないと言った今が、急に変わってしまったかのように見えてしまう。
「あんまり久しぶりなんで見違えてしまうほどだね。でもよくここが分かったね」
「あら、お上手ですこと、あなたがここの常連さんだってことは知っていましたよ」
そう言いながら、舌をペロッと出した。そんな表情も今までの彼女からは想像できない。
「知っていたなら言ってくれれば、こちらにいた時も一緒に来れたじゃないのかい?」
「いえ、ここはあなたのプライベートな場所でしょう? それを邪魔したくなかったのよ」
彼女にはそういう優しさがあった。しかし、それが時として必要以上の優しさとして、気の遣い過ぎになっていると言えなくもない。相手によっては、苛立ちを覚えるかも知れない。
――やっぱり正直者が損をするんだ――
と思い、自分の性格を顧みる雅人であった。
そんなことを考えている雅人を見ている泰子の顔が一瞬寂しそうだったのを、雅人は見逃さなかった。お互いの気持ちが手に取るように分かっていると思う雅人にとって、泰子の表情は哀れみに見える。
――どうしてそんな表情をしているんだ?
何を言いたいのかよく分からないが、寂しそうな顔も素敵である。
泰子は思ったことをすぐに口にするタイプの女性だった。アルバイトで会社に来てくれている時は、その言葉に啓発を受け、いかにも頼もしく見えたものだ。
「私、すぐに言いたいことを口に出してしまいますの。それが人によっては頼もしく見えることもあるんですけど、でも大半の人が不快な思いをしているんじゃないのかしら?」
「……」
何か助言をしてあげたいのだが、我に返ってしまった雅人に助言は無理だった。言いたいことを口に出してしまって損をしていると思っているのは雅人も同じだからだ。
だが、言い訳はしたくない。最近はそれがジレンマになっている。営業というsごとでは今のところ損はしていない。普通に仕事の話をしている時に、言わなければいけないことを素直に言えるのは最大の武器になるからだ。
しかし不安がないわけではない。営業で相手と対峙していて、
――知らず知らずに相手を傷つけていないだろうか?
という思いをいつも抱いていた。それは、
――正直者が損をする――
という気持ちが前面にあるからではないだろうか。自分が本当の意味の正直者なのかどうか分からない。そして損をする正直者が、本当の正直者なのかどうかも雅人には疑問だった。
熊本で、ハッキリとあの夜の泰子を思い出していた。しかし、今目の前にしている泰子は熊本で思い出した泰子とも、あの夜の泰子とも明らかに違う。自分の知っている泰子であることには違いないのだが、今まで強くイメージしていた彼女とは、いささか違うように思えてならない。
何かを言いたくて、言葉が喉の奥に引っかかっている。理論付けて考えようとすればするほど頭が固まってしまうのだ。柔軟に考えればいいのだろうが、そうもいかない。
――人に逆らうことを知らない性格――
これも自分の性格だと思っている。
悪い性格ではないだろう。人に従順だということは、相手の話を理解していないとできないことだと思っていたが、果たしてまわりはどう感じているだろう?
「お前に考えはないのか?」
と何度言われたことだろう。本当はよくこれで営業が勤まっていると思うほどであるが、人に逆らわない性格が幸いしているに違いない。
しかし、それは本当の自分ではない。怪我の功名で今は乗り切っているが、これが実際に人を動かす立場になったり、会社の中で管理職につくようになった時、果たして自分にできるかどうかが不安で仕方がない。
余計なことを考えて思い悩むのも雅人の悪いくせの一つだ。
「なるようにしかならないさ」
と思えればどんなに楽だろう? それができない自分が腹立たしく、それゆえ自分に対して本当の意味での自信を持つことができないでいる。
泰子の顔を見ていると今まで自分が生きてきた様子が走馬灯のように脳裏によみがえっていた。
特に大学時代の頃のことを鮮明に思い出すのだ。高校まで、あれだけ長いと思っていた時間が、大学に入るとあっという間に過ぎていった。しかし、高校の頃より以前のことを思い出すとすべてが遠い過去になっていて、あっという間だったように思えて仕方がない。
それに比べてあっという間に過ぎてしまったように思える大学時代、思い出せば思い出すほどその時々が鮮明なのだ。軽い気持ちで生活していたつもりだったが、一番不安を抱えていたのが大学時代だったように思う。それは漠然としたものだから感じることなのかも知れない。
夢を見ていても思い出すのは大学卒業間近、卒業するにも危なくて、就職もまともに就けるか分からなかった頃だった。
一年、二年で遊びすぎたと言ってしまえばそれまでだが、自分が他人と同じような性格だと錯覚したのが一番いけなかったと今から思えば感じる。物事をいろいろな角度から見れる人が友達には多く、しかも情報収集には長けていて、その分析力も素晴らしかった。情報は分けてもらえるが、それを分析する力が違えば自ずと結果が違ってくる。根本から実力が違うわけではないのに、どうして人と同じ成績が生まれないのか、それすら最初は分からなかった。
だが、言い知れぬ不安の正体が、自分の考えすぎるところにあると分かると、一年、二年で考えてこなかったことのツケが回ってきていることに気付いたのだ。就職してその不安は半分消えた。だが、半分残っている。それが従順な性格を裏付けているのだろう。
人に逆らえないということは、自分に自信がないからだ。入社して最初はそれでもいいと思っていたが、営業をしていると、それがジレンマとなって自分を追い詰めることに繋がることも少なくない。そんな時に現れたのが泰子だったのだ。
彼女といると安心感を与えられる。
「君が安堵を与えてくれるんだよ。身体全体で包まれているようだ」
こんなセリフをベッドの中でささやいたのを思い出した。あまりにもさりげなく出てきたセリフだったので今まで忘れていたが、思い出してしまうとこれほど恥ずかしいものはない。
ベッドの中で言われた女性はどうだろう? それを聞いて幸せそうな顔に見えたのは、そこがベッドの中という魔力のようなものが働くからだろうか。宙に浮いているような心地よさに身を任せていたのは、お互い様だったに違いない。
作品名:短編集79(過去作品) 作家名:森本晃次