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短編集79(過去作品)

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 しかし、恋愛モノを読んでいると、病み付きになってしまうようだ。普通なら同じジャンルを続けて読むようなことがなかった保だったが、恋愛もの、しかも不倫などといったものを得意としている作家がいるのだが、彼の作品には陶酔していた。最初に読んだ時には、
――何だこの作品は……。これほどドロドロした作品をよく書けるな――
 と思ったほどで、読んでいる最中は、この人の作品を読むのは最初で最後と思ったものだ。
 やはり、この作品は恋愛モノとして見ていいのか分からない。
 作家の名前は宇津木聡という。宇津木先生についてのプロフィールはまったくの謎らしく、作品は数多くいろいろな出版社から発表されているにも関わらず、そのプロフィールを掲載している本はどこにもなかった。
 実際に最後まで読んでしまうと、他の作品を読みたくて仕方がなくなった。不倫やドロドロした人間感情を巧みに描いているのが子供心にも分かったからだろうか?
 計算高いと自覚している自分だから、子供であっても理解できるのではないだろうか?きっと友達と遊びまくっていて、それが楽しいような少年だったら、この本の内容が分かるはずもない。読んでいて不愉快になるかどうかさえ疑わしいものだ。
 本の後ろに解説が載っている。他の作家や編集者の人が作品の内容や、作家についてのコメントを載せているのだが、どれを見ても、
「実に不思議な作風である。自分にはとてもマネのできる内容ではないし、また発想すら想像の域を逸脱している。まさに奇妙な世界を描く作家だ」
 という共通の意見が載せられているのだ。
 きっと解説をしている人たちにも表現が見当たらないのだろう。もし保が解説をしろと言われると、同じような解説しかできないように思えて仕方がない。
 元々が不倫や恋愛モノというのは経験からしかできない想像もあるだろう。それだけに子供の保に分かるはずもないのだが、どこか他の作家とイメージが違うような気がする。
――作品に力強さを感じないわりに、インパクトが強い――
 ほとんど宇津木聡の作品を読破し、しかも気に入った作品を何度も読み直すことでやっとそこまで感じることができたのだ。
――他人のように思えない――
 自分が大人になればこんな作品を書いてみたいと思うようになっていた。しかし、基本的には浮気や不倫は許せないと思っている。想像だけで書けるような作品ではない。密かに不倫や浮気に憧れているのだろうか? 自分でも複雑な気持ちだった。
 そんな保が唯一馴染んでいたのがおじさんだった。優しさが顔全体に滲み出ていて、両親にも見たことのない笑顔を保に向けてくれている。
 おじさんが連れていってくれるところは、どこでもついていった。デパートや遊園地など楽しいところも多かったが、たまに仕事の用事ということで、少し遠くに連れていってくれたことがあったのだ。大体二、三時間ほどで仕事が終わっていたようだが、それまでは、
「ここで待っていなさい。店の人にはよろしく言っておいたからね」
 と、仕事場の近くにある喫茶店に保を預けていた。
 保も家の近くであればあまり話さなかっただろうが、まったく知らない土地ということで、却って饒舌になっていた。
 店にはマスターと、その奥さんらしき人がいて、あとアルバイトの女の子が一人いるだけだった。保がいる時間帯はあまり客がおらず、相手をしてくれるので退屈もせずに過ごすことができる。その時間帯だけがいつも客がいないのか、それともいつも客のいない店なのか分からなかったが、少なくともバイトの女の子がいるくらいなので、客が多い時間帯もあるのだろう。
 アルバイトの女の子は、美穂と呼ばれていた。子供の目から見ても美穂は綺麗である。美穂目的の客もかなりいるのではないかと思えるほどで、美穂がいるといないとではかなりの売上に影響があるのではないかと生意気なことを考えていたものだ。
 大学生だと言っていたので、二十歳前後だろう。赤いワンピースがよく似合っていて、
「なかなか似合うね」
 と言うと、
「そうなの。私は自分で赤が似合うと思っているんだけど、皆からも赤が似合うって言われてその気になってるわ」
 そう言って、にこやかに笑っていた。まんざらでもないのだろう。
 夏の時期など、カキ氷がおいしかった。うるさくてたまらないセミの声も、クーラーの効いた室内に入るとほとんど響かない。耳鳴りのように残っているのは、それだけ表が暑かった証拠で、胸の鼓動もすぐには収まらなかった。
 室内には風鈴が掛けてあって、風鈴の音を聞きながら食べるカキ氷は最高だった。
「保君はおいしそうに食べるわね。お姉さん嬉しいわよ」
 と言って覗き込んでいるが、
「照れくさいよ」
 そういいながら自分の顔が真っ赤になっていくのを感じていた。
 家にいて読む本がドロドロした内容なだけに、喫茶店でのひと時は実に新鮮だ。美穂と一緒にいるだけで楽しい気分になるのも当然のことで、ゆっくりとした時間が過ぎているように感じていた。最初は二時間がその倍くらいに感じられたが、楽しい時間というのはあっという間に過ぎるもので、そのうちに、
「ああ、もうこんな時間だ」
 と感じるようになっていた。
 美穂とどんな話をしただろう? 学校の話、勉強の話、ほとんどが保中心の話だった。
 美穂は自分の話をあまりしなかった。子供の立場であまり聞いてはいけないと思っていたのだが、話をしていくうちにどうしても知りたくなるものだ。美穂も保の気持ちは分かっていることだろう。だが、それでも自分からすることはなかったのだ。
 時々話をしていて辛そうな時もあった。
「どうしたの?」
 聞きたい気持ちが喉まで出掛かっていたが、今にも涙が出てきそうな顔を見ていて、
――聞いてはいけないことなんだ――
 と自分に言い聞かせる保がいる。
 何がそんなに悲しいというのだろう? 自分も彼女くらいの年になれば分かってくるのだろうか?
 子供の頃、それも小学生の頃は悲しいことがあっても、すぐに他人事のように思えるようだ。それは自分が高校生くらいになってから気付いたことで、その時に気付いていたとは思えない。
 だが、美穂を見ていると漠然とであるが、自分が大人になったような錯覚に陥る時がある。彼女と対等か、さらにそれ以上の気がしてくるのだ。その時、自分が恋人になったような気分になっていることだろう。
 もちろん、まだ小学生、異性に興味を持つ年ではなかった。
――ちょっとマセた少年――
 というくらいにしか思えない。
 夏休みの間、そこにいた記憶しか残っていない。家にいて本を読んでいる時間もあったが、内に秘めた感情が湧いてくる程度で、受け入れる感情ではない。一方通行の感情に、気持ちも内へと向いてしまう。そんな気分だった。
 週の半分はおじさんに付き合って喫茶店に行っていただろうか。夏休みの間だけ、それ以外は学校があるので、付き合うというわけにも行かず、少し寂しい思いをしていた。
 ある日、母親から聞かれたことがあった。
「保はいつも昼どこに行っているの?」
「おじさんの仕事に付き合っているだけだよ。待たされることが多いんだけどね」
作品名:短編集79(過去作品) 作家名:森本晃次