短編集79(過去作品)
だが、弘子は違った。従順で、自分の身体が動くたびに反応する体を感じていると、自分から与えることの素晴らしさを思い出したように思う。
――知らなかったのではない、忘れていただけなのだ――
そう感じるのも、自分の中にもう一人いるからではないだろうか。突飛な考えだが、今までに見たことも聞いたこともない場所に行き、目の前に広がる風景を見て、
――以前にもどこかで見たような気がする――
と何度も感じたが、理由が分からなかったその時のことを納得できるような気がするのだ。
学校の油引きの部屋で感じた血の匂い。あれはもう一人の自分が目の前の光景を見ていて感じたことなのかも知れない。
ではもう一人の自分の存在を果たしてどこまで信じることができるのだろうか?
それを考え始めると、今まで自分の中で感じてきた不可解なできごとの解決になるだろう。だが悲しいかな、もう一人の自分を感じると、その時の不可解に感じたことが記憶の奥に封印されてしまうのだった。
――やっぱり一つの肉体で、同時に二つの人格がものを考えることは不可能なんだな――
という結論に達している。
中学時代、「死」について話をしていた友達の顔が浮かんできた。まだあどけなさの残る顔が見る見るうちに凛々しい肖像画へと写り、白髪に白い髭の男性へと変わってくる。一気に年を取ってしまったかのように見えるが、この萩に来てその顔の主が誰かを思い出したようだ。
この宿の玄関に肖像画が飾ってあった。その人ゆかりの宿であることは間違いない。
――伊藤博文に似ているんだ――
かつての千円札の肖像画ではないか。なぜ思い出せなかったのだろう。確かに千円札でなくなってから久しいのだが、それでもあれだけ有名な人物の肖像、分からなかった自分が恥ずかしい。しかし、この萩に来て分かってしまうと、今度は頭から離れなくなってしまった。
――友達の中学時代の顔の方が思い出せなくなってしまった――
記憶の奥に封印されている顔は、彼の中学時代の顔と若干違っているように思えてならない。同じような顔であっても、かなり昔の顔、そうひょっとして伊藤博文の若かりし頃の顔ではないだろうか?
萩に来ると決めた時、観光案内の本を買ったが、その中に乗っていた伊藤博文の若い頃の写真、じっとみつめていた自分に気付いた義弘だった。
――萩というこの街にやってきたのは偶然ではない、必然なのだ――
そんな風に感じる義弘だった。弘子と出会ったのも偶然ではない。まるで約束されたことなのかも知れない。懐かしさを感じる身体、そこにのめりこんでいくように何も考えられなくなりそうな自分を感じるのだった。
この街に来て、すべてが幕末から明治に繋がっているように感じられる。垣根のある家の記憶にしても、小学生の頃の記憶として覚えていることが、もっと昔の他の記憶とブラッシュバックしている。
もう一人の自分が、きっと義弘をしてこの土地にやってくることを望んだのだろう。歴史を好きになったのも、幕末から明治に思いを馳せるようになったのも、すべてが必然、そこにもう一人の自分が介在していることは、もはや間違いないと思われる。
ではもう一人の自分とは誰なのだろう?
分かりそうで分からない。しかし、そこに高杉晋作、伊藤博文が絡んでいることには違いない。
弘子という女性を見ていると、自分と同じような匂いを感じるのだ。抱いていて無性に懐かしく感じるのは、もう一人の自分が感じることだ。きっともう一人の自分は、もう一人の弘子を抱いたことがあるのだろう。かなり親密な仲だったように思えて仕方がない。
だが、まだ合点がいかない。従順なもう一人の弘子であるが、彼女にはどうしてもそれ以上中を見ることができない壁のようなものがある。殻に閉じこもっているとでもいうのであろうか。
影を感じる弘子を抱いていると、血の匂いを強く感じてむせ返るようになる時がある。そして弘子の中にいる女性は、かなり神経質で、先読みをして自分からすべてを判断してしまうような女性に思えてきた。ある意味潔いのかも知れないが、無謀でもある。勝手な判断がいい場合もあれば最悪の結果を生むことがあるからだ。
彼女は最悪の結果を生んだのだ。そして、もう一人の義弘と利害関係が一致したように思えてならない。
もう一人の義弘の利害関係とは何だろう?
そして、どうして今さら自分たちの身体を借りて、よみがえってきたのだろう?
いろいろ考えていると、小学生の頃の思い出から頭の中が走馬灯のようにクルクル回っているように思える。走馬灯で回っている思い出はあくまで義弘本人のもの、決してもう一人の自分の思い出ではない。もう一人の自分の思い出を探ることは不可能なのだ。なぜなら、思い出は封印されているのではなく、最初から義弘の中にないからだ。
――死んでしまうと思い出もなくなってしまうのだろうか?
義弘は考えたが、そんなことはないように思える。思い出がないのは、それなりに理由があり、自分から思い出を残すことを拒否したのかも知れない。
昔の人は今の我々の常識では考えられないような人生ではなかっただろうか?
自分が悪いわけではなくとも、戦の影響で斬首されたり暗殺されたりが横行していた。志半ばで無念にも命を落とすのだ。何とも理不尽ではないだろうか?
だが今の時代はどうだろう? 志すらなくとも、勝手に世の中に失望し、自らの命を絶ってしまう人だっているではないか。
――いっそ死んでしまいたい――
と思うような理不尽な目に逢ったことのある人も多いだろう。いや、中には理不尽なこと以前に、自分から世の中に失望する人もいる。そこは今も昔も変わりないはずだ。
長く生きたからと言って幸せだと言えるかどうか分からない。
伊藤博文も晩年は暗殺だった。しかも日本から遠く離れた朝鮮での暗殺である。若くして、志半ばで戦士した人、高杉晋作のように病死する者、人間どこでどうなるか分かったものではない。
なぜ今こんなことを思うのだろう?
左腕が重みを感じていて、気がつけばまたしても、そこには弘子の頭があった。心地よい重たさで、身体の芯から暖かさを感じていた。身体の感覚が麻痺するほどの暖かさに酔っていたと言ってもいいだろう。意識が朦朧としているのだ。
隣に寝ている弘子の顔が次第に変わっていく。その顔はもう一人の自分が見るとハッキリ分かる顔であった。
「お光ではないか」
思わず声を掛けてしまった。その声を義弘は意識がある中で聞いていたが、自分の身体は完全にもう一人の自分に支配されていた。
「中島様、お久しぶりでございます。お会いしたかったです」
「まさか、またこうやって君を抱けることになるとは思わなかったよ」
「ええ、高杉様にはとても感謝しておりますわ。でも、高杉様も……」
「ああ、きっとあれからすぐに亡くなったのだろうな。我々の後を追うように」
どうやら中島様と呼ばれた男と、お光とは恋仲だったようだ。時代の動乱からか、それとも身分制度のためか、当時ではいわゆる「なさぬ仲」だったに違いない。
作品名:短編集79(過去作品) 作家名:森本晃次