短編集79(過去作品)
「ここは初めて泊まるんですか?」
「ええ、萩に来るのは何度目かなんですけども、ここは初めてです。でも、以前にもまったく同じような光景を見たような気がして仕方がないんです」
淡々と呟くように話すが、そう言うわりには、表情に余裕がある。懐かしさを堪能しているようだ。ゆっくりと中に入ると、中から冷たい風が吹いてきた。これには義弘の方が懐かしさを感じ、小さい頃に泊まった田舎旅館を思い出した。
あの頃は、退屈で仕方なかった田舎旅館だが、今はゆっくりできることが至福の悦びである。
日本庭園と呼ぶに相応しい庭が部屋から一望でき、お互いに違えた部屋を借りた二人を変な目で見る旅館の人もいるが、気にしなければそんなことは関係ない義弘には、気にならなかった。
「僕も何となく懐かしさを感じましたよ。でも子供の頃の記憶なので、あの頃とはイメージがかなり違いますね。ここの庭なんかでも、子供の頃に見たら果てしなく大きく感じたかも知れない。でも、きっとこじんまりとした庭だからこそ情緒があっていいんでしょうね」
弘子は大きく頷いていた。同じ考えを持った人と出会えたことを喜んだ義弘だが、果たして彼女も同じ思いでいてくれているのだろうか。その表情には、先ほどよりもさらに余裕が感じられる。
「私も同じことを考えていました。でも、それは私が小さかった頃の記憶ではなく、大きくなってからの思いなんですよ。私はそれを確かめたくて、ホテルにせずにあえて日本旅館を選んだんです」
「庭の大きさとかも同じ感覚ですか?」
「いえ、あなたが言うように、前見た時はもっと大きかったように思えるんですよ。記憶の中にしまいこんでいたものを引き出す時って、そんな感覚になるんですかね?」
「そうかも知れませんね」
根拠のあることではない。しかし、二人が二人とも同じことを感じているのだから、信憑性が深いことは間違いない。そう感じながら庭園を見ていると、細かいところにばかり目が行くような気がしていた。
元々細かいところに目が行く性格だったはずの義弘だが、いつの間にか大雑把な性格になってしまっていた。大学に入るまでは繊細で、細かいところにまで注意が行く目をしていたはずなのだが、その反面、暗くてまわりに対しての順応性がなかった。
きっとまわりを信用していなかったからだろう。
人から聞いただけでは決して信用するタイプの人間ではなかった。実際に見たり触れたりしないと話を聞いたとしても、そのまま鵜呑みにすることはなかったのだ。疑り深さは物心ついてからあったように思う。そのためか、何をするにもいちいち納得していないと不安になり、すぐ行動に移せない。それが往々にして損をすることになるのだが、今でもその時のことを思い出すと少し怖くなる。
勉強にしてもそうである。
――どうして勉強をしなくちゃいけないんだ?
考えなければ何の問題もなく勉強していただろう。だが、一度思ってしまうと、疑問を怪傑できるまでは勉強み身が入るはずがない。
他の人が羨ましかった。皆も同じような性格だと思っていた子供時代、
――皆のように何も感じずに素直に勉強できればいいな――
と感じたものだ。
しかし性格は人それぞれ、自分だけがこんなに猜疑心が強いのだと気付いた時はかなりショックだった。
ショックだっただけではない。猜疑心が強いと気付くと、その性格が自分の中で果てしなく膨らんでくることを止めることができなかった。思い込みの激しさも自分にとって悪い性格、中学に入学する頃だっただろう、同時期に自分の悪いところばかり見えてきたので、精神的に最悪だった。
「俺は素直じゃないんだ」
人に聞いてもらいたい。
そう思っていたが聞いてくれる人がいるはずもない。考えが内に篭ってしまうのも仕方のないことで、まわりから見ればさぞかし暗い性格に見えたはずだ。後から思い返して本人である義弘が感じるのだから、それも当然のことだろう。
大学に入るとその気持ちが一変してしまった。まわりにはいろいろな性格の人がいる。今までなら自分のことで皆精一杯で、内に篭った性格の人間など構ってくれる人がいるはずもない。だが、大学生になると、皆が陽気である。きっと今まで押し殺してきた性格が一気に開放されるところなのだろう。
キャンパスという表現、そこには魔力のようなものを感じる。
――何ていろいろな性格の人たちがいるのだろう――
今までなら変わった性格と思える人に近づこうとしなかった義弘も、皆と同じ高校生だったのだ。しかしキャンパスの開放感という魔力は自分の視界を広くしてくれるのと同時に、自分の性格をも開放してくれるのだということに気付いたのだ。
そんな自分に気付いた時、初めて気持ちの余裕を感じた。キャンパスの魔力、それは開放感とともに、気持ちに余裕を与えることだったのだ。
最初に見た大学のキャンパスの大きかったこと。高校の校舎はあくまでも必要最小限の大きさだったように感じたが、大学というところは無駄に大きいところだと思った。だが、慣れてくると、それが適切な大きさに感じられるようになってくるから不思議だった。
そのうちに細かいところが見えてくるようになると、まわりのすべてが最初に感じていた大きさよりもかなり小さく感じられるようになってきたのだ。それは、細かいところまで見てみたいという気持ちの表れだったのだろうか? それとも気持ちの余裕なのか分からない。開放感がもたらした、気持ちの余裕だと解釈することにしていた。
だが、それは勘違いだった。まわりがこじんまりとして見えてきたのは細かいところが見えるようになったからではなく、全体が見えているように感じているからだ。勘違いがそのまま自分の性格だと思い込める時代、それが大学時代である。気持ちに余裕ができて素晴らしい時代である反面、気がつかなければ思い込みの激しい時代になってしまって、感覚が麻痺してくる危険性を秘めている。だからこそ、言い知れぬ不安を裏側に抱えてしまうのかも知れない。
――言い知れぬ不安――
これも気付かなければいいことなのだろう。しかし、気付いてしまうのは持って生まれた性格である。
――自分で見たり触ったりしたものでないと信じない――
というところへ戻ってきてしまう。
結局、堂々巡りなのだ。性格にしても自分で考えているよりもさらに先へ進もうとしても、認識の範囲から飛び出すことはできない。まるでお釈迦様の手の中で弄ばれる孫悟空の心境だ。
そこまで行くだけでも自分の性格を把握している証拠だと思えればいいのだが、そう思えないのも、義弘にとっては因果な性格なのだろう。
――弘子にも同じ匂いがする――
人の性格を匂いで感じることがある。義弘は友達になった人の中で、性格を匂いで感じ取った人が今までにも数人いたと思う。しかし、その大半は、すぐに友達ではなくなってしまった。皆義弘の前から去っていくのである。少し疑り深い義弘に比べ、友達になろうとしてきた連中は、皆脳天気だった。却って、慎重になる義弘も、匂いを感じることで心を開こうとするのだが、その時はすでに遅く、彼らの方が義弘に見切りをつけるのだ。
――友達になるのも、タイミングが必要なんだな――
作品名:短編集79(過去作品) 作家名:森本晃次