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短編集78(過去作品)

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G線上のメロディ



                G線上のメロディ


「プルルン」
 今日も電話の音が鳴り響く。深夜の事務所なのだから、誰もいないはずである。それを分かっている人間が掛けてくるのか、実に不思議である。
 相手は男である。なぜ分かるかというと、いつも留守電が残っていて、メッセージはないのだが、息遣いだけが聞こえてくる。いつも留守電を確認する女性事務員は、気持ち悪く思っている。
 留守電を確認する女性事務員、名前を江崎聡子という。彼女は去年入社のまだ新人と言ってもいいくらいで、気丈な性格であることから皆から重宝がられるが、さすがに電話の一件に関しては辛いようだ。
 課長の須崎も同じ気持ちなのか、聡子の顔を見るのが辛そうである。別に苦情というわけではないので、放っておけばいいのだろうが、それにしても聡子の怖がりようは尋常ではない。
 仕事が終われば一番最初に事務所を後にするのは聡子である。定時の午後六時が来る前から帰り支度を始め、終業のベルが鳴るとともに事務所を後にしている。
「お疲れ様でした」
「おつかれ」
 誰も文句を言う者はいない。なぜなら、今でこそ定時に会社を出ることができるが、数ヶ月前までは、子会社の問題があって女性社員といえども残業を余儀なくされていた時期があったのだ。聡子にしても例外ではなく、遅い時は終電ギリギリということもあったくらいだ。
「本当に今まで大変だったね。これからは少し早く帰れるようにしてあげよう」
 課長の須崎がそう言ってくれた時には、子会社の問題もほぼ解決していて、落ち着いていた。
 会社を出る頃はまだ西日が眩しい時間帯である。風が吹いていれば少しは涼しく感じるのだろうが、アスファルトからの照り返しも半端ではなく、歩いているだけで汗が背中に滲んでくるのを感じる。
「夏って嫌だわね」
 思わずそう口ずさんでしまった。汗っかきの聡子にしてみれば夏は体力を消耗するだけ、気持ち悪いというものである。
 途中の公園を通り抜けてそのまま歩いていくと商店街に抜ける。そこに行きつけの喫茶店があり、時々顔を出していた。仕事が忙しくて立ち寄ることができなかった時期もあっただけに少し贅沢な時間の使い方ができる今に満足しているのだ。
「カランカラン」
 鈍い鈴の音が聞こえ、涼しい空気とともに、木の匂いが漂ってくるのが好きだった。バンガローのような雰囲気で、出窓になっているところには高山植物のようなものが植木鉢に植わっていて、それが涼しさを醸し出している。
「いらっしゃい。暑いね」
 いつものカウンターに座るなり、マスターが話しかけてきた。
「ええ、そうですわね。汗がなかなか引かないですもんね。事務所で仕事しているだけでそうなんだから表での仕事の方はもっと大変でしょうね」
 そういって表を見ると、大きな声を張り上げて健気に店頭販売をしているアルバイトが目に付いた。大学生くらいだろうか、聡子も大学の頃にはよく店頭販売のアルバイトをしたものだ。じっと立って声を張り上げているだけというのは、なかなか時間が経過してくれない。時計を見るとほとんど経っていない時間にイライラしていたものだ。
 たった五分が一時間のように感じられる辛さ、それは味わったことのある人でないと分からないだろう。例えばいつも待ち合わせをしている時に待たされている人などは、同じようなことを感じているに違いない。
 この店に初めて来たのは偶然だった。大学の頃に付き合っていた男性に似た人を街で見かけたのだ。その後を追いかけていると、この喫茶店のある筋へと抜けてきた。聡子も少し遅れて角を曲がったのだが、なぜかそこで彼の姿がばったりと消えてしまっていた。
――幻だったのかしら――
 そう感じながらゆっくりと歩いていて見つけたのが、ここである。
「喫茶『ポエム』、なんてロマンチックな名前なのかしら」
 扉を開くといつも感じている木の香り、初めてだけに印象的だった。マスターを最初に見た時のニコヤカで人懐っこそうな雰囲気は、今でも衰えることなく感じられる。
――きっと誰にでもそうなのだろう――
 実際に常連が多い店というのは、マスターの人間性が一番影響してくるものだということを初めて感じた。
 男らしさが前面に出ていて、ポエムという店の名前からは想像もできないような雰囲気にギャップを感じたが、それからしばらくして見かけた奥さんを見て、
「ああ、なるほど」
 と感じたものだった。
マスターの奥さんというのが、これまた高貴な雰囲気の女性で、かといってそれをひけらかすような感じでもない。小奇麗にしているだけで、高貴に見えるのだということを教えてくれるようなそんな女性である。実際に聡子も憧れていて、本当にポエムなどを書いていそうに見える。
「さすがにポエムを書いたことはないわね。今度書いてみようかしら」
 聡子の言葉に荷がわら氏をしていたが、まんざらでもなさそうだ。ひょっとしてあれからポエムを書き始めているかも知れない。
 それに比べてマスターは、顔だけ見ればおっかない。髪の毛は五分刈りで、口元には髭を蓄えている。一件山男っぽさがこの店の雰囲気にマッチしているのは皮肉なものだ。
 だが実際には優しい人である。
――人は見かけによらない――
 と言われるがまさしくそのとおり。いや、おっかなそうに見える人の方が案外優しかったりするものだ。
 中学生の頃の歴史の先生を思い出した。髭を蓄え五分刈りにしていたが、それは山に登ることを趣味にしていて、そのために海外によく行っていた。
「髭はそのために生やしているんだよ。中東などでは髭は必須だからね」
 と嘯いていたのを思い出した。そういう意味では、マスターもきっと立派な山男なのだろう。
「僕は海外にまでは遠征しないけど、山に登るのは好きだね。だから店の雰囲気もそんな感じでしょう?」
 聡子は大きく何度も頷いていた。自分の想像どおりだったことが、ことのほか嬉しかったのだ。
 女性は若い頃には大なり小なりワイルドな男に惹かれるものである。特に聡子の場合は自分が文学に精通していることから、自分にないものを持っていて、しかも文学の題材になりそうな男性に惹かれたとしても、それは自然なことだろう。
 学生時代には文芸サークルに入っていた。それまでは文学というよりも歴史が好きだったのだが、文芸サークルに入った理由のひとつが、サークルで機関紙を発行していたことである。
「まるで作家になったみたいですね」
「ここでは誰もが作家ですよ」
 少し部費が高かったが、それでもバイトで十分に賄えた。
――何でもモノを作るということが好きな性格――
 これが聡子を文芸サークルへと誘ったのだ。
 主に恋愛小説を手がけていた。メルヘンチックなものが多かったのだが、人からは、
「もっとドロドロした恋愛小説を書いても面白いんじゃないかな?」
 と言われたが、どうしても聡子の性格からそれはできかった。
「私は、自分で見たもの経験したものじゃないとなかなか文章にできないの。でもメルヘンチックなものだけは不思議と書けるのよ。きっと憧れがあるのね」
作品名:短編集78(過去作品) 作家名:森本晃次