短編集78(過去作品)
ネットの世界が四次元の世界と比較になるかどうか分からないが、少なくとも、ボンヤリとした概念という意味では同じような感覚から考えてしまいがちである。今井沢は四次元の世界の自分を思い浮かべているのかも知れない。それは鏡を自分の両脇に置き、どちらを見てもその先には無限に写っている自分を見ているようなそんな感覚である。
シナリオを考えるというのも似たようなところがあるのかも知れない。目の前に広がる無限の発想をいかにして映像にするかを頭で描いているのである。映像にするためにはいくつかのステップや過程を必要とするが、シナリオはその中核であるという自負もある。
原作があれば、原作が作詞作曲でシナリオはアレンジの部分に相当する。それは、原作では補えない部分、つまり映像化するには曖昧な部分をシナリオで明確にすることを目的としている。逆にシナリオだけでは補えない部分を映像として写してみることで、リアルな感覚を感じることができるのだ。原作をいかに忠実に映像化するのもシナリオライターの腕に掛かっているといっても過言ではない。
いかに相手に感情までが伝わるかということをテーマとした小説の世界と、映像にすることを前提にあくまでプロセスとしてのシナリオとの違いはここにある。シナリオとは原作小説とは違って、縁の下の力持ちなのだ。
美紗子とそんな話で何度盛り上がったことだろう。彼女も井沢とまったくと言っていいくらい同じ考えを持っていた。
(あなたの考えって、まるで自分に語りかけているようだわ。あなたはどうなの?)
(僕だって同じさ、実際に話をすれば、きっと時間の感覚なんてなくなるさ)
この会話も何度もした。それに対する回答が返ってきたことは一度もなかった……。
――そんなに違う世界に住んでいるのだろうか?
そう考えると、またしても四次元の世界を思い浮かべてしまっている。
――あ、まただ――
と感じるのも、いつものことで、それも同じところを思い浮かべている時に気づくのである。実に面白いではないか。
臆病で怖がりな美紗子、自分にも同じように臆病なところがある。美紗子を臆病だと言い切れない自分に、井沢は自分を見ているのかも知れない。
そういえば有美子が言ってたっけ、
「シナリオを書いている時の自分は自分じゃないのよ。まるで何かに取り憑かれたように書いていて、時間の感覚はおろか、疲れをまったく感じない時があるの。出来上がった原稿を見て、自分じゃないって思うこともあるくらいだわ」
「僕もそうなんだ。ついさっきまでのめり込んで書いていても、その内容をまったく覚えていない時が多いんだ。だからシナリオを書いていて一番辛いのはその時の書き始めなんだよ」
本当に覚えていないのである。最初の頃、なかなかストーリーが進まないで悩んでいる時はそんなことはなかった。スムーズに書けるようになってから忘れっぽさを感じるようになったのだ。
――なかなかうまいことはいかないな――
と感じさせられたものだった。
美紗子との会話を思い出してみると、本当に自分の考えていることと寸分変わらないような発想だったように思う。彼女の次なる発言が手に取るように分かり、考えていることが先読みできるのだ。
それは文字だからだろうか?
人の性格を判断することに、相手の顔や表情は不可欠だったはずだ。しかも声がない文字だけで、相手の性格など判断できない。どうしても自分というものを基準にしか考えられない。それだけに、相手を理解しようとするとまず自分に近いところから、接点を見つけて行こうとするだろう。そういう意味で一番身近に感じられるところに一番の接点があったということなのだ。
だが、その接点をどうやら美紗子も感じているように思える。それだけに臆病になり、警戒心を露にしているというのは考えすぎだろうか?
井沢とすればもっとスムーズに親密になれると思っていた。しかし一旦警戒心を露にされ、バリアを貼られてしまうと、どうしても越えられない壁が目の前に立ちはだかっているのを感じるのだ。
――いや、壁なんだろうか?
壁に向って笑うと相手も笑う、睨むと相手も睨み返してくる。ここまでは相手の気持ちが分かっている状態である。しかし右手を上げればどうだろう? 相手は左手を上げるのではないだろうか?
目の前に立ちはだかっているものは壁ではない。鏡なのだ。鏡を通して見ている相手、それは自分ではなかろうか。そう考えると相手の気持ちが手に取るように分かる理屈も成り立ってくる。バーチャルな世界で探していた同じ感性を持つ相手、話をしていても時間を感じないはずである。同じ考えを掘り下げるような話に花が咲いていたのだから、尽きることもないだろう。
井沢はふと考えた。
――どうして、美紗子と知り合うことができたのだろう?
よく似た顔を持った人間はこの世に三人いるというではないか。確かにネットと言えば全世界の不特定多数の人と会話ができるものだ。顔が似ているよりも、さらに鏡を見ているかのように瓜二つの性格を持った人間がそんなにいるだろうか?
顔は持って生まれたものからの影響がほとんどと言ってもいいだろうが、性格は持って生まれたものに、さらに育った環境が大きく影響してくる。それだけに鏡を見ていると思えるほど同じ性格の人間がいること自体が、ものすごい偶然である。ましてや知り合うなどということは、砂の中から砂金を見つけるよりも難しいことのように思える。
美紗子と話していると、その後ろに誰かを見ているような気がずっとしていた。
――そうだ、有美子だ――
有美子と別れた理由の一つに、
――どうしても、どこかに境界線のようなものがあったように思える――
と今では感じる。それが鏡だったのかも知れない。それを有美子はずっと感じていたと思えば、別れようと思ったのも納得できる。
だが、もしそのことに井沢が気付いていればどうだっただろう。鏡の向こう側が見えてきて、永遠に二人の姿が続いているように見えるのではないだろうか。見えるはずのない先のことが見えてきて、その時こそ本来の自分の気持ちに気付くだろう。
「白鷺は乙女の化身」
井沢には、白鷺にしか見えなかった有美子が自分にとっての乙女であったことに今さらながら気がついた。美紗子という女性の存在がそれを感じさせる。美紗子が鏡の存在に気付くと、どうなるだろう?
きっとそこには井沢の追い求めていた有美子との鏡の向こうの生活がよみがえるではないかという思いを抱いて、じっと鏡に写っている自分の姿を見続けている井沢がいることだろう……。
( 完 )
作品名:短編集78(過去作品) 作家名:森本晃次