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短編集78(過去作品)

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 匂いも感じたように思う。雨が降った時に感じる臭い、あれは、塵を含んだ湿った空気が蒸発する時に感じる匂いである。
 それと同じ匂いを小さい頃に感じたのを思い出した。
 子供の頃は運動神経がそれほど発達もしていないのに、危険なことを友達とよくしていた。いわゆるワンパクな少年だったのだ。そのためにケガが絶えなかった。
 木に登っていて、落ちたりしたこともあり、背中から落ちた時は、呼吸が一瞬止まってしまうほど苦しかった。その時に感じたのが石のような匂いだった。あの時も、塵を含んだ湿った空気が蒸発しているような匂いだと感じたように思う。それだけに袋小路に入り込んで最初に感じたのが、子供の頃の記憶がよみがえってきそうだということだった。
 それが鬱状態の入り口だと気づいたのは、前兆があったからだ。
 それから何度か鬱状態に落ち込んでいるが、いつも鬱状態に入りこむ時に同じような前兆を感じていた。
 どういう前兆かと言われるとはっきりとしない。漠然とした気持ちなのだが、胸の奥がムズムズしてくるようで、その時に、
――ああ、鬱状態が近づいている――
 と感じるのだ。
 そんな中で自分の中に余裕ができてきたのか、同じようにシナリオを趣味としている女性と知り合うことができた。考え方も似ているのか、彼女が話そうとしていることはすべて頭の中で先に想像することができた。
 文字だけの関係というのは、今までになかったことだが、これも時代の流れ、中にはメールで知り合って結婚までする人が多いというではないか。以前であれば、ネットでの関係など薄っぺらいもののように感じたが、却って顔が見えない方が本音が言えるのではないかと感じた。
 実際に井沢は本音で話をしていた。本当に目の前にいれば緊張して話せないと思うようなことでも平気で話しているのだ。
 相手の名前は美紗子、ネットなので本名かどうかも分からない。しかし、井沢にとってはそれでもよかった。ゆっくりと仲良くなれればそれに越したことはないと考えていたからだ。
「あまり焦っちゃダメだぞ」
 シナリオ講座で知り合った人にネットを趣味としている人がいて、その人にだけはネットで知り合った女性と楽しく話をしていることを打ち明けていた。彼は名前を上田といい、シナリオ講座の中でも珍しい三十代の男性だった。
「ゆっくりやればいいんだろう?」
「ああ、相手の顔が見えないから言いたいことが言えるだろう? それだけに気をつけないといけないことも結構あるんだよ」
「例えば?」
「そうだなあ、例えば、ネットで毎日話していると、本当に会って話しているのと近い感覚になってくるだろう?」
「なりますね」
「相手もきっと同じだと思うんだよ。男の場合はそこから文字の話だけでは物足りなくなって、電話を使って声で話したり、それでも物足りなくなると、会いたくなるだろう。いわゆる欲が出てくるんだろうね」
「相手は違うのかい?」
「同じような考えだったらいいんだが、今の関係が壊れてしまわないか、それが不安な女性だっているってことを忘れてはいけないよ」
「それはどういうことなんだい?」
「女性っていうのは、想像力も優れているってことだよ。男が考えるよりもメルヘンチックなくせにどこか現実的なんだよ。いいかい、話をしているうちに男だって実際にそばで話しているような感覚になるだろう? 女はさらにその先を行くんだよ。だから今は楽しいという思いが日々増していっていると思うんだが、相手も同じなんだ。だが、それが途中でピークを迎える。ピークを迎えるとその先はそれ以上進みたくなくなるんだ。その時期が女性には早く訪れる。ピークを自分で感じてしまうと先に進むことが怖くなってくる。急に臆病になるんだよ。こちらからわざわざ相手にそれを悟らせるようなことはしない方が賢明だろうね」
 井沢はその話を聞くと、大袈裟に思われるくらい大きく頷いていた。目を瞑って聞いていると自分にもピンと来るところがあるからだ。
「目標を失った時に似ている」
 思わず心の中に語りかけた。
 目標を失った時、ふっと我に返ってまわりを見ると、自分が居る場所というものが分からなくなる。いったいどこから来てどこへ行こうとするのかである。袋小路に入り込む時も同じことが言えるのではないだろうか。そして、気持ちがピークを迎える時、それもきっと同じである。
「女性もきっと我に返るんだろうね」
「そうなんだよ、そこがメルヘンチックな考え方から急に現実的な考え方に変わる瞬間でもあるんだ。それを感じていながら、あまり深く考えない女性もいるだろうが、特にネットなどで知り合うと、自分の姿を客観的に見ているもう一人がいることに気づくんだ。女性だけに限らないが、時々どちらの目から見ているのか分からなくなることがある」
「君もそうだったのかい?」
「ああ、だいぶしてから気がついたんだけどね。きっとそれまでにそのことに気付くヒントのようなものがあったはずなんだ。そのターニングポイントに早く気付くかどうかだろうね」
 上田氏の話は実に興味深いものだった。井沢自身も同じことを感じていながら、きっと話をしなかったら、気付かないまま進んでいたかも知れない。相手の本当の気持ちは、やはり実際に出会って話さないと分からないことが多いということだろう。
 上田氏の言うとおり、仲良くなりかけて電話で話をしようと持ちかけると、相手は今までになかったような警戒心を見せ始めた。
 最初は話をうまくはぐらかそうとしているのだろうが、その意図が次第に見えてくるのが自分で分かってくると、
――もう少し様子を見てみよう――
 と感じるようになる。そんな時の自分は寛容であって、気持ちにゆとりがあるから様子をみようなどという気持ちになれるのだと思えてくる。いや、そんな気持ちになりたいと最初から思っていることを感じているからに違いない。
 だが、そのうちに痺れも切れてくる。
(どうしてそんなに頑なになるんだい。僕が嫌いなのかい?)
(いいえ、そんなことないの。私が臆病なだけ……。あなたが決して悪いわけではないのよ)
 いつも同じセリフを画面が表示するだけである。それこそ気持ちが伝わってこないように感じると、
――やめてしまおうか――
 と半ば諦めかけてしまうのだが、翌日ネットを立ち上げると、また話しかけてしまう。
美紗子はどう思っているのだろう? 話しかけると前の日にあれだけ頑なだった雰囲気は一変し、その日会ったことの日常会話から入るところなど、まったく普段と変わらない会話になっている。
 それだけにネットの世界というものが熱しやすく冷めやすいものであることの証明であるかのようである。
 我々のいる世界を三次元というが、平面である二次元は見ることができる。紙の上の世界などがそうであるが、逆に概念としてしか四次元の世界を想像することしかできない。四次元の世界というイメージは、今いる我々の世界の向こう側に同じような世界があり、そこには違う時間帯の自分がいるというような概念である。どこで切ったとしてもそれはきっと無限に広がっているものではないだろうか。
作品名:短編集78(過去作品) 作家名:森本晃次