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短編集78(過去作品)

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 と講師が言っていたが、まさしくそのとおりだ。最初はただがむしゃらに書いていた。原稿用紙のマス目をいかにして埋めるかということを主題に書いていたのだが、そのうちに、ドラマなどを見ていて共通点に気付くことがある。描写やカットなど、脚本家の個性が出るもので、そこかに自分と同じ感性を持っていると思えるところがあるものだ。それを見つければ、そこから幅を利かせてまわりを見ることができる。
 自分の目標とする作家が見つかるか見つからないかで、続く続かないが決まるのではないだろうか?
 目標がないと、途中で自分の進む道に疑問を感じて振り返った時、何も感じないだけではない。さらにまた前を見ようとした時、今度はさっきまで見えていたはずの前がまったく分からなくなってしまうように思えてならない。どこを向いても同じ光景、自分が今いるところも分からずに袋小路に迷い込んでしまう。暗黒の世界のようだ。
 シナリオを書いていると自分が分からなくなる時もある。あまりにも今まで考えてきたことを描こうとすると、登場人物を客観的な目で見ることができなくなってしまい、まわりの描写と考えが合わなくなるのだ。大きさや距離などなどがその最たる例で、距離感をと大きさの微妙な感覚が想像できなくなることがある。
 山に登った時のことを思い出す。描写の中で山登りのシーンを描いたことがあったが、遠くから見るのと近くで見るのとでの微妙な緑の濃さ、そして、太陽の角度によっても緑の濃い部分と明るい部分とかまだらになってしまって見えたりしていた。それを思い出しながらシナリオを書いていると、山の頂上に登った時に見る下界の風景が、下から見た時に想像していたものとの違いをも思い起こさせる。
 山に限ったことではないが、自然を描く描写はそれなりに興味がある。だが、人物の描写ともなると、どうしても経験に頼るしかなくなってくる。テレビドラマを見て自然や風景を参考にすることはできるが、人物の描写など、そうはいかない。
「あまり同じような内容の話を書いていると、どこか二番煎じのように思われるのがオチです。どこかに自分の感性や個性を出さないと、それ以上の成長はないでしょう」
 これも講師の言葉だ。
「あまりかしこまることはありません。自分の思ったとおりに描けるようになるのが、先決ですね。それができないと前には進めませんからね。そのためには目標とする作家を自分なりに決めて、初めのうちはその人の作品を自分なりのシナリオに仕上げてみるのも上達の近道だと思います」
 その言葉には説得力があった。
 自分の好きな作家の作品をビデオに撮って、何度も見たりした。そして、自分なりに描写を文章にして、それをシナリオとして書き上げたりもした。セリフの間にどんな描写を持ってくるかが難しかったが、慣れてくると自分なりのオリジナリティが生まれてくるとうに感じる。
 講師にそのあたりの話をすると、
「それが第一歩なんですよね。そこまで来ればシナリオを書くことへの抵抗はかなりなくなっているでしょう?」
「ええ、大学時代もサークルで書いていましたからね。でも、あくまで遊び感覚でした。今の方が真剣なくらいですね」
 仕事を持っていて、その気分転換に始めようと思ったのだが、次第に思い入れが激しくなってきたのを感じた。時間を大切にしたいという思いが強くなってきたからだと感じている。
 シナリオ講座に始めてから、パソコンを買った。それまでノートに書いていたのだが、それをワープロソフトで書くようにしたのだ。最初は違和感を感じたが、タイピングが早く鳴るにつれて書いているうちにストーリーを忘れなくなり、今ではパソコンは井沢にとって不可欠なものとなった。
 最初はワープロソフトしか使ったことがなかったが、インターネットをするようになり、そこで友達を作ることを覚えると、同じような趣味を持った人が意外に多いことを思い知らされ驚いた。その驚きは喜びへと変わり、
――同じ趣味を持った女性と知り合いたい――
 という気持ちになってきた。
 さすがに、講義に来る女性と実際に仲良くなることは難しかった。皆どこか殻に閉じこもったところがあり、会話を始めてもある程度から先は進展がない。普通なら回数を重ねるごとに会話というものは進展していくのだろうが、次第に話題がなくなってくるのだ。
 しかし、ネットでの出会いは違う。相手の顔が見えないことで向こうも安心するのか、シナリオの話はもちろん、日常の話から悩みごとまでいろいろな会話を楽しむことができる。そして、その会話には終わりがないのだ。発展こそすれ衰退はない。まさしくそんな感じの会話だ。
 話をしていると相手の声が聞きたくなる。会いたくなってくる。
 そんな気持ちが発展性を呼ぶのだろう。しかも下手なことを言って相手を刺激すれば、もう二度と話をしてくれない可能性だってある。それだけは避けたかった。腫れものに触るようにゆっくりと気持ちを解きほぐしながらの会話であった。
 きっとシナリオ講座が充実しているからだろう。悩みごとがないわけではないが、それよりも今が充実している。充実した人生を歩んでいるとそこに生まれるのは「余裕」であり、余裕があるからこそ、すべてのことに発展性を感じる。
 ネットというものをただのバーチャルと感じていたときに比べれば、視界がかなり広がった気がしていた。知らなかったことを検索することもできるし、いろいろな意見や同じような悩みを持っている人と話をすることで、頭の中がリフレッシュできるような気がしていた。
 しかし、ネットをしていると確かに世界は広がってくる。いろいろな情報も取得できるだろう。しかし難しいのはここからである。
 あまりにも情報が氾濫しているため、よほど自分がしっかりしていないと情報が錯綜してしまい、消化しきれなくなるのではないかと危惧している。いろいろな意見があるため、正反対の意見であっても、説得力に満ちていればどちらを信じるか、迷うところである。
 そのためには自分の意見をしっかり持っておく必要があるだろう。他の意見は参考程度に聞いて、惑わされないようにする。それだけの余裕を心の中に秘めておかないと、情報に振り回されて、袋小路に入り込んでしまうだろう。それだけは避けなければならない。
 学生時代に、悩みごとがあったため、いろいろな友達に意見を求めたことがあった。いろいろな意見があることはその時に初めて知ったのだ。しかし、それでもまだ足りずに他の人の意見も聞きたかった。多数決というわけではない。きっと、自分の気持ちの中とまったく同じ人を捜し求めていたに違いない。
 そんな人がいるわけがないのだ。育った環境も違えば、感じ方も違う。皆顔や体型が違うのと同じで、まったく同じなどありえない。心の中では分かっていたのかも知れないが、そうしても納得いかなかった。
 気がつけば袋小路に入り込んでいた。そう感じたのは鬱病ではないかと思い始めた時でもあった。以前から兆候はあった。まわりの景色が大きく見えたり、翌日には同じ景色でも小さく見えたりと、目の錯覚を感じたのが最初だった。
作品名:短編集78(過去作品) 作家名:森本晃次