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短編集78(過去作品)

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 絵を描くということは、一点に集中して、そこからまわりのバランスを考えたり、逆にまわりとのバランスから一点を見たりとさまざまである。一点から全体を見ると、どこまで広がるか分からない世界を感じることができる。逆にまわりから見た時は一点が繊細なものに見えてくる。それをバランスというのだろう。
 絵筆を持って、目の前に縦に翳し、片目を瞑って一生懸命に距離感を図っている絵描きを想像することができる。しかし、木下はそんなことをしたことがない。距離感を図ることはするが、絵筆を持って図ることをしない。すべては自分の感性任せになっている。
「君は我流でやっているところが見受けられるな」
 中学時代の先生に、絵画の基本を教えてもらったが、その通りにやると、どうもしっくりこない。それからは描く時にはすべて自分の感性に頼っている。高校の時にそう言われたことがあるが、
「我流ですが、いけませんか?」
 と答えた相手はそれ以上言い返さなかった。いい悪いの話ではないようだ。
――言いたいやつには言わせておけ――
 という気持ちになったのは、その時からだった。
 その気持ちは決して開き直りだけではない。本心からで、それは絵画の世界だけはなく、万事においてそうだった。それが自分の生き方に多大な影響を与えていることも否めない。
「才能だって、ある意味超能力だよな」
 今度は木下が石川に話しかけた。
「そりゃそうさ。人よりも勝っているものすべてを超能力だと思ってもいいんじゃないか? 個性だって立派な超能力だと思うぞ。ただ、それだって、本人が自覚していないと成り立たないけどな」
「結局自覚に落ち着くんだな? でもその意見には賛成だね。自覚がないことには何も始まらないからね」
「そうそう、まずは自分なんだよ。世の中には自分を差し置いても、まず他人のことを気にするって考えのやつもいるようだが、最初に自分がしっかりした考えを持っていなくて、何が他人のことを考えられるものかっていうんだよね。口では言っていても、結局無意識にだろうが、最初はまず自分のことを考えているものさ」
 石川の意見はもっともだ。人の言葉を鵜呑みにして考えると、実際とは違った結果を導き出すことがある。それが考え方の袋小路に入らないとも限らないのだ。
 木下はずっと水平線ばかりを描いている時期があった。それ以外を描きたいと思わないわけではないが、一つ自分の中で納得のいく作品を描きたいのだ。
 水平線の絵を思ったとおりに描くことができれば、きっと他の絵だってうまく描くことができるような気がするのだ。水平線以外にも素晴らしい被写体がある。早くそれを描きたいと思えば思うほど、木下の気持ちは水平線を思い浮かべるのだった。
 キャンバスを目の前に掲げて、遠くの水平線を描いている。静かに過ぎ行く時間を果てしなく描いているような気がして、時々どうしようもない孤独感に襲われることがある。いつも描いていても、この孤独感だけは拭い去ることはできない。
 普段描いている時はいろいろなことを考えながら描いているのだが、考えていることが纏まっているわけではないのに、ふっと我に返るのだ。
 そんな時に決まって襲ってくる孤独感。たった一人の孤独な作業では仕方のないことかも知れない。だが、孤独感に苛まれているからといって手が止まるわけではない。むしろ集中しているせいか作業は進んでいくように思える。それまでゆっくりと進んでいた時間がさらに遅くなっているような気がして、心ここにあらずという気持ちにさせられてしまう。
 絵を描くためには最初にデッサンをするが、デッサンの最中にイラストの話をしていた石川の言葉が思い出されてならない。
 三角形がバランスを呼び、そのバランスが奥行きを作る。奥行きが距離感を感じさせ、そして立体感を描き出すのだ。
 そこまで分かってくるとデッサンには一点の曇りも感じることなく描くことができる。濃い鉛筆が描き出す立体感、その遠くに見えるものは果たして何であろうか?
 出来上がったデッサンを見ながら遠くに広がる水平線を見つめる。あとは、いかに水平線に近づけるようなリアルさを出すかであるが、下手をすると、絵の具を塗りこむたびにリアルさから離れていくのではないかと感じさせられる。
 将棋の世界で、一番隙のない布陣とは、最初に並べた形だというが、まさしく気分はその時の棋士になったような気分である。
 どこを最初に動かすかですべてが決まるといわれるように、最初に色をつける場所、そしてその色に一番気を遣うのだ。
 特にここまで一生懸命に描いてきたデッサンではないか。もう一度同じものを作れといわれてもそれは無理な注文である。しかし、それをプレッシャーと感じているようでは先に進めない。そんな時こそ自分の感性を信じることが大切なのだ。
 しかし、自分がここまでなれるなど、想像もつかなかった。小学生の頃は図工の授業が一番嫌いだった。絵が好きでもないのに、描かされる気持ち、強制されるのを一番嫌った木下としては、これほどの苦痛はない。意地でもまともな作品など描いてやるかという反発しか頭になかった。
 だが、それでも何かを作るということの醍醐味を無意識に感じていたのだろう。
「木下君はなかなか個性ある感性を持っているようだね」
 と先生に言われたことがあった。心の中では、
――何をバカな――
 と思いながらも、何もないところからの創造が素晴らしいことだと気付いていたのだ。
「そういうのを才能というだろうな」
 その一言を聞いて少し有頂天になったのも事実だ。しかしそのまま鵜呑みにすることを拒否したのは、やはりおだてに乗りやすいという自分の性格を感じていたからかも知れない。
 そしてその言葉を思い出したのが中学になってから、ものを作ることに目覚め始めた木下が最初に思い浮かべた言葉で、目に浮かんできたのが水平線だった。この二つは偶然の産物ではないだろう。必然的に現れたのだ。いわゆる潜在意識の成せる業ではないだろうか。
 しかし木下も偶然絵が描けるようになったわけではない。
――絵を描きたい――
 と思い始めて、遠近感やバランス感覚の本当の意味を知るまでにいろいろな努力を重ねてきている。まず最初のデッサンからしてそうである。何が難しいといって最初のデッサンで自分の思い通りのものができないとそこからの修復が難しいことだ。今ではある程度までの修復ができるだけの自信はあるが、最初は不可能といってもよかった。
 最初から水平線を描きたいと考えていたが、いきなり水平線を描くのは難しく、イメージできても、それを実際に描けるほど感性に自信がなかったのである。
 木下は一度一人で水平線を描こうと出かけたことがあった。
 あれは中学で美術部に入部してすぐに訪れた夏休みのことだった。一番近くの砂浜がある旅館に泊まりこんで朝早く起きて描こうと思ったのだ。
 家の人には静かなところで勉強したいと言えば、少し不安だったかも知れないが反対はされなかった。今から思えば水平線をイメージして、一番自分のイメージにあっていたのが、その時に見た水平線だったように思える。
作品名:短編集78(過去作品) 作家名:森本晃次