短編集78(過去作品)
自分の性格を把握していない連中よりもよっぽど潔い判断ができそうな気がする。嬉しささえ感じるほどだ。
きっとまわりから見れば偏屈に見えることだろう。そう考えてしまうと少し殻に閉じこもりがちになる自分がまだ子供だと自覚させられる。結局は背伸びでしかないのだ。
絵を描くことの素晴らしさ、それはバランス感覚にある。
「バスケットをしていたのだから、バランス感覚はあるだろう」
と部活の仲間からは言われるが、逆に、
「俺にバランス感覚があれば、ここで絵なんて描いてないさ」
と言い返したくなる。バランス感覚の劣ることが、自分をバスケット選手として一歩踏み出させない理由だということは分かっていた。身体全体を使うことで表現するバスケットという競技、自分の長所、短所はすぐに分かってくる。バランス感覚さえ身につけば、きっとバスケット選手として一流に近づけたかも知れない。要するにバランス感覚のないことは、自分がバスケット選手を続けていく上での致命傷になっているのが分かってきたのだ。
――自分に才能がないことをすぐに理解できることが才能だなんて、実に皮肉なことだな――
そう感じて一人苦笑いをする木下だった。
芸術家肌として自覚できるようになると、見る夢も変わってきた。漠然とした夢が多かったが一貫して共通の夢を見ているような気がする。漠然としている一番の理由は、目が覚めてから覚えていないことだが、覚えている夢を結び付けても、現実の世界からは卓越した何かを感じるのだ。
一貫していると感じるのは、すべてバランス感覚に繋がってくることだと思えるからであり、いつも心がけていることを夢に見るのだと思えば、何も不思議なことではない。夢とは潜在意識が見せるものだというではないか。
イラストを描いているサークル仲間が面白いことを言っていた。彼は名前を石川といい、イラスト以外にもいろいろ興味があるやつだった。
「イラストって三角形が大切なんだよ」
「三角形?」
「ああ、画用紙のどこでもいいから、目を惹きたいと思うことを三角形で表現するんだ。例えば被写体を拡大して一辺に置いて、もう一つにビックリマークを置く。さらにもう一辺には主人公の驚いた顔があると言った感じだね。これがいわゆるバランスだと思うんだ」
そういって、イラストを見せてくれた。突発的なことを表現しているイラストで、主人公を左半分で表現し、右側には今言っていたトライアングルを完成させていた。確かにビックリマークと被写体、そして、主人公の表情がリアルに描かれている。
石川は続ける。
「トライアングルを形成するということは、立体感を生むんだよ。大きさや距離感というものをうまく表現するには、トライアングルが最高なんだ」
「微妙な影を作っていると奥行きも感じられるね」
「イラストって、絵画のような色などを使ってのリアルな表現方法ではないので、いかに奥行きや立体感を表現できるかが命なんだよね」
油絵のリアルさは、ある程度の距離を想定して表現される。あまり近くとも、遠くなってもリアルな立体感を表現できない。だが、一定の距離からでは、これほどリアルなものはないだろう。
それだけイラストと油絵とは表現方法の違うジャンルなのだろうが、目指すものは同じ気がする。油絵には油絵のイラストにはイラストのよさがあり、それぞれのよさを認識することで、自分のジャンルをさらに専門的に掘り下げて見ることができる。そんな気がするのだ。
さらにこんな話もしていた。
「主人公を描きたい時に、下から見るのと上から見るの、さらには前からと後ろからで、かなり違った情景が現れるんだよ」
その時見せてもらった絵は、下から後姿を描いたもので、ちょうど振り返ったところだった。
「驚きの表情がうまく描かれているだろう? 下からのアングルで、しかも振り返ったところというのは、驚愕を実にうまく表現できるんだ。逆に上からの絵だとどんな風に感じると思う?」
目を瞑って思い浮かべてみた。しばし間をおいて
「寂しさを感じるかな? 哀愁を感じるように思える」
「そうだろう。角度によって同じ主人公を描いてもそれだけ違ったイメージに見えるんだ。全体的に大きく描きたいと思えば、描きたい主人公の性格や表情を把握することが大切だよね」
自分の世界を広げるためには、他の世界を覗いてみることも大切だ。そのためには、いろいろな人との意見交換も大切だ。
それからだった。夢の世界も次第に広がっていく。潜在意識として自覚していること以外も夢となって見ているように思えた。そこに、他人が介在しているとは思えないが、自分の中にもう一つの人格が形成されているのではないかと感じられる。
――二重人格?
今まで考えたこともない二重人格という性格。一途だと思っているだけに、信じられない。
「誰だって二重人格者さ。それに気付くか気付かないかだけの違いだよ」
これも石川の話だった。サークル内で話す人はいつも決まっているが、石川はその一人である。
「いろいろなことを考えている自分がいるんだよね。自分というものの再発見をしているみたいだ」
「人間は、自分の持っている力の一割も出していないというではないか。よくテレビで超常現象の特集ということで超能力者が出てくるだろう? あれだってそれほど不思議なことではないんだ。皆潜在的にあれくらいの能力は持っているらしい」
「だけど、やっぱりすごいよ」
素直な感想だ。十人が十人、素直な感想として答えるに違いない。
「そう思っている以上、どんなにがんばったってあれだけの能力は引き出せないさ。潜在能力を引き出すのだって、いわゆる超能力なんじゃないかな? どちらにしても皆持っているんだよ」
その話は本で読んだことがあるが、あまりにも信憑性に欠けることとして、右から左であった。しかし、なぜか気になるのも事実で、話だけは覚えていたのだ。その内容はまさしくその時に聞いた石川の話に酷似したものだった。
超常現象の話と二重人格とはあまり関係ないかも知れない。しかし、二重人格にしても、超能力にしても、どちらも意識していない自分の中の潜在意識に違いない。表に出るか出ないかで違ってくるのだ。
「要するに意識しているかどうかだよ」
石川のその一言にすべてが凝縮されている気がした。
最近の木下は、絵を描きながら自分の潜在意識について考える。目の前に写っている光景を忠実に描いているつもりでも、どこかに違う光景を思い描いている気がして仕方がない。
どこにそんな意識があるというのだろう?
そうだ、意識があるとすれば、夢で見た光景しかない。しかし夢にしても潜在意識が見せるものではないだろうか?
ではその潜在意識はどこから?
と考えていくと、袋小路に入り込んでしまう。
絵を描いている時の自分と、それ以外の時の自分とでは明らかに違うように思える。どこがどう違うのか言葉では説明できないが、目の色が違うとでも言えばいいのだろうか。これは自分でも感じるのだから、他人から見れば一目瞭然に違いない。
作品名:短編集78(過去作品) 作家名:森本晃次