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短編集78(過去作品)

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「そうかい? 私はそんなことは気にしないよ。どっちでもいいことだ」
 とアッサリ聞き流されてしまった。もう少し興奮して言い返してくれてもいいのにと思っているのに須崎の強かさが強調されるばかりだった。
 まるで刑事ドラマの主人公のようだ。そんな人には得てしてまわりに引き立て役がいるものだが、会社にも腰巾着のような男がいた。彼は名前を吉塚といい、少し甲高い声で課長に媚びる様子など、まさしく巾着のようだ。
「須崎課長は吉塚さんをどう思っているのかしらね。私たちなら絶対に許さないわよね」
 吉塚のような男は一番女性に嫌われる。
 頼りがいがない、まわりの目を気にすることなく人に媚びる。そんな男が自分を持っているわけもない。それがおおよそ女性が考えることだろう。声を聞いただけで虫唾が走り、目を瞑るとなぜか時々思い出されてしまうことに聡子はウンザリしていた。
「何であんな男の顔を……」
 考えただけでもおぞましい。須崎のことを考えているとなぜか一緒に吉塚の顔まで浮かんでくるのである。一番考えていたい男と、一番考えたくない男が頭の中で交錯する。そんな自分が嫌だった。
――あの二人、本当はどんな関係なんだろう?
 見た目だけでそのまま判断できると果たして言えるだろうか? さすがにそこまで人を見る目に自信のない聡子は考え込んでしまう。お互いに遠慮しているのかぎこちなく見えて、そこに言い知れぬ苛立ちを感じている。その苛立ちが吉塚に集中していることは間違いない。
 目指す須崎の部屋は、いつも小奇麗にされていた。時々聡子が掃除しているのもあるが、あまりモノを溜めない性格だからであろう。課長としての須崎もそうであり、逆にそうでもないと仕事での莫大な情報量を管理していけないのかも知れない。女性でまだ新入社員に毛の生えた程度の聡子には漠然としてしか分からない。
 だが、小奇麗にしている男性はたいていモテるものだ。それは須崎にしても例外ではなく、女性社員の中には小奇麗な雰囲気の須崎を好きだという人もいる。しかしそれもいつも小言を言われていては本当に好きになれないのが現状で、実際にはあまり気にしていないようなので、聡子は内心ほくそえんでいる。
 ドアノブの横にキーを差し込む時が、ある意味一番複雑な心境かも知れない。
「通い妻」
 そんな表現が頭を掠めるが、それがピッタリの表現かどうか分からない。しかしその言葉に異常なほどの興奮を覚えるのも事実で、自分の置かれている立場を一番感じる瞬間だった。
 扉を開けると飛び込んでくるのは真っ暗な部屋から熱い空気が漏れてくる感覚である。顔に当たる灼熱の空気に一瞬たじろいでしまうが、それは自分の部屋でも同じなのだが、誰もいないはずの部屋から漏れてくるタバコの匂いを感じる。壁やカーテンに染み付いていて、部屋全体にこもっているのだろう。決して嫌な匂いではなかった。
 急いで入ってクーラーのスイッチに手を掛ける。それが最初の行動である。涼しくなるまでのしばしの辛抱、その間に部屋のシャワーを浴びるのだ。上がってくる頃にはいつも涼しくなっている。
 最初は気付かなかったが、さすがに真っ暗な部屋に入ってくると嫌でも眼に入ってくることがあった。
 部屋の奥にはリビングがあり、その手前がキッチンになっている。リビングとキッチンの間に境目はなく、横長のキッチンカウンターが置かれているが、その上に電話機がある。キッチンカウンターが横長なのでその上にはいろいろ置かれているが、その一つに電話機があるのだ。
 シャワーから上がると真っ暗になっているリビングの電気をつける。最初の頃は何も気にせず電気をつけるだけだったが、途中から部屋の雰囲気が少し違うことに気付いた。それはキッチンカウンターの電話機を見た時である。
 聡子が来る時には必ず赤いランプが点滅しているのである。明らかに留守電が入っている証拠である。赤いランプに気付いた時はそれほど気にならなかったが、それからずっと聡子がこの部屋に来る時は必ずついている。まさか聡子が来る時だけの偶然などということは考えられないので、少なくとも聡子が気付いてから毎日に近いくらいの確率で留守電が入っているに違いない。
 しかも最初の頃には気付かなかっただけで、掛かっていなかったと誰が言えよう。掛かっていたと考える方がずっと自然ではないか。聡子はそのことを須崎に確認したことはない。別に聞くくらいは何ともないのだが、なぜか怖いのだ。彼が自分の想像をはるかに超える答えを用意していそうで怖いのだ。
 留守電を気にしないために、聡子はいつも喫茶「ポエム」に寄る。なるべく一人でこの部屋にいたくないのだ。それが喫茶「ポエム」での楽しい時間になるのだから一石二鳥というものである。
 事務所に掛かってくる無言の留守電、異常なほど敏感に感じるのは、須崎の部屋で暗闇に光っている赤いランプを見ているからだ。関連性がないにもかかわらず、ただ留守電というだけで言い知れぬ不安が次第に大きくなってくる。それだけ臆病になって神経質になっているからだろう。
 元々神経質な性格なのは、聡子自身分かっていることだ。だが、神経質な性格を表に出すことはない。自分の性格を表に出すことは恥ずかしいことだと思っているのも事実で、それは女性なら大なり小なり感じていることだろう。
「早く帰ってこないかしら」
 思わず口に出して呟いた。これもいつものことである。
 大体須崎の帰ってくる時間は決まっていた。聡子はその時間から逆算していつも喫茶「ポエム」での時間を計算しているのだ。
 マスターはどうして聡子がいつも決まった時間だけ店にいるのか、本当の理由など知る由もないだろう。もちろん、須崎との不倫の話はマスターはおろか、身近な人間と言えども誰も知るはずがないからである。
 しばらくすると須崎が帰ってきた。
「ただいま、待ったかい?」
 会社では見せたことのない顔、安心しきったような笑みを浮かべている。聡子にはその一瞬がたまらなく嬉しかった。そしてそのまま須崎はいつもシャワーを浴びるのだ。
 シャワールームから勢いよく流れる水の音を聞きながら待っていると、たった十分ほどでもかなりの時間が経過しているように感じる。それは最初がそうだったからで、聡子は最初に感じたイメージをそのまま頭の中に封印してしまうことが多い性格なのだ。
 須崎は四十歳を少し過ぎた程度だろう。同じ事務所といえども、それほど皆いろいろ知っているわけでもない。まして面と向かって年齢を上司に聞くわけにもいかない。
 この部屋では年齢なんてどうでもよかった。一緒にいるだけで、それだけで幸せな気持ちになれ、却っていろいろ知らない方が現実逃避しているようでいいこともあるのだと気付いていた。
 果たして須崎の方はどうだろう? 彼はどれだけ聡子のことを知っているというのだろう。調べれば分かることくらいは知っていても不思議はないが、彼の調べている姿など想像もできない。
 須崎は部屋の中ではいろいろな顔を見せてくれる。会社ではいかにも冷静沈着な課長の顔だが、部屋では安心するからなのか、それとも相手が聡子だからなのか、幾分気持ちを開放しているようだ。
作品名:短編集78(過去作品) 作家名:森本晃次