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自殺と症候群

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 と夢の中でなのか、うつつの状態でなのか分からないがそう感じると、一気に身体が硬直し、
「ピキッ」
 という音が本当に聞こえた気がして、一気に足が別を帯びたようになり、呼吸困難に陥って、声も出なくなる。
 まわりに誰もいないのに、無意識に声を出さないようにしていた。
 まわりに人がいればなおさら、声を抑えようとするだろう。自分の足が攣っているという事実を誰にも知られたくないという思いからだ。
 もし、まわりがそのことを知ったら、きっと
「大丈夫か?」
 と言って、心配する顔をするに違いない。
 その心配そうな顔が苦しんでいる自分に対し、余計な苦しみを与えるのだ。
――まわりが心配しているんだから、よほど痛いに違いない。自分が思っているよりもさらに――
 と思う。
 だからまわりに知られたくない。そしてまわりがさらに自分が痛がっている様子を見て、心配しながら、目を背けるのだ。きっと、
「自分がその痛みを感じたら、どうなろだろう?」
 などという想像をしながらである。
 それらのことが、痛みを堪えている自分の中で想像できるのだ。本当は痛みでそんなことを考えるだけの余裕などあるはずもないのに、どうしてそこまで考えなければならないのか、武則はきっとさらに痛みが継続することを確信する。
――本当なら治っていてもいいのに――
 と感じることだろう。
 そう感じると、余計に時間が長く感じる。いろいろなことを一気に考えている時というのは、意外と時間を長く感じるものだ。一つのことに集中している時はあっという間に過ぎてしまうのに、きっとそれだけ頭が回転している間、別のことを考える間隙をついて、その間の時間が長くなっているのかも知れない。
 その時の思いがあるからだろうか。
「人に意識されたくない」
 と思う時期が定期的に襲ってくるようになった。
 それが長い時もあれば短い時もある。短い時は本当に数時間程度ですぐに忘れてしまうが、長い時は一週間でも二週間でも先が見えないほどに感じられる。
 そのくせ、気が付けばその時期を通り過ぎているのだ。人に意識されたくないと思う感覚は、忘れた頃になくなっているようである。あっという間に消えてしまう時も、消えてしまうという意識はなかった。しばらくして、
――あっ、そういえば消えてる――
 と感じるのだ。
 武則は自分のそんな性格を、
「損な性格だな」
 などと思ったことはなかった。
 しかし、あまりいい性格ではないということは自覚していた。それでも、まわりに染まってしまうよりもよほどいいと思っていて、もし、自分がもう少し違った環境で育っていたり、違う時代に育ったとしても、この性格は変わらなかったと感じている。
 人の性格というのは、
「持って生まれたもの」
 と、
「育った環境によって左右されるもの」
 という二つがあるというのが一般的な意見である。
 そのことに武則も間違いではないと思っているが、もう一つ、
「自分が意識して作り上げた性格」
 というのも存在するだろう。
 この第三の考えは、あとの二つのどちらかに含まれるものなのかも知れないが、含まれたとしても、どちらにもまたがっているように思えた。だが、意識はあくまでも意識が生んだという思いから来るものなので、それが生まれ持ってのものなのか、それとも環境によるものなのか、ハッキリはしないだろう。
 武則は自分のこの性格を、
「損だ」
 とは思うが、決して悪い性格だとは思わない。
 もし、他の得になる性格と交換できるとしても、どの性格と交換するかで悩むだけ無駄だと思っている。結局悩むというのは、他のどれがいいかで悩むわけではなく、今の自分の性格との比較がすべてだと思うからで、そう思うと、本当に見つけるべき性格を見つけることができないのではないかと思うのだった。
――これは時間の無駄なだけだ――
 と感じるが、そう思うと急に自分が冷めた性格なのではないかと思えてきて、考えることをやめてしまう。
 武則は、自分が哲学者でも、心理学者でもないと思っているが、こうやって自分の分析をするのが嫌いではなかった。それが、
「他人と同じでは嫌だ」
 と感じた最初のきっかけであり、この思いが武則を自分分析の世界に引き込むことになったのだから、皮肉なものだと言ってもいいだろう。
 しかし、他人と同じとという「他人」という言葉の定義が実は難しい。
「自分以外のすべての人」
 と言えば簡単だが、そのすべての人の性格を分かっていなければ、
「他人と同じでは嫌だ」
 ということにはならないだろう。
 中には自分がこれから出会う人もいるだろうし、まったく出会うことはないが、何かのきっかけで自分に関わってくる人もいるかも知れない。そこまで厳密に考える必要などないのだろうが、これも武則の性格として、ふと感じてしまったことなのだが、無視できないものとなってしまっていた。
 最初に感じた時から、その答えは見つかっていない。このままずっと見つからないものだとも思える。
――ずっと考え続けるのも悪くないかな?
 と思うようにもなったが、それだけでいいのだろうか。
 武則のまわりに自殺者が増えてきたのは、武則が失業してから数か月後のことだった。ニュースなどで失業者の数がどんどん増えて、社会問題になりつつあった時、自殺者もそれに比例して増えてきたという。
 ニュースでは言及していなかったが、巷のウワサでは、
「不況による失業が、自殺者を増やす原因になっているんじゃないかな?」
 と言われるようになっていた。
「失業だけではなく、中小企業の会社社長などの方が深刻なんじゃないか? 負債を抱えて倒産だぞ。借金取りからは追い立てられる。自殺だけではなく、一家心中などというのも大っぴらになってきたようだしな」
「嫌よね」
 と、話を聞いているだけでは他人事のようだが、その声の抑揚は、とても他人事と思わせなかった。
 それだけ深刻な内容を話しているのだし、話している連中にも、自殺しないという保証があるわけではなかった。きっと、ウワサをすることで自分だけの中に抱え込んでおきたくないという意思が働いているからなのかも知れない。
「人に話すと安心する」
 という心理は分かる気がする。
 しかし、足が攣った時のように人に知られたくないという思いがあるのも事実で、どのように分ければいいのか、武則にもハッキリと分かっているわけではなかった。
 だが、武則は自分から、
「他人と同じでは嫌だ」
 という根本的な意志があることで、あまり人に話をするということはなかった。
 そのせいもあって、
「あいつは暗い」
 であったり、
「何かとっつきにくいんだよな」
 と言われて、まわりから避けられているのは分かっていた。
 それでもいいと思っていたが、このあたりの矛盾が、自分の中の、
「損な性格」
 に影響を与えているのかも知れない。
 世間で発表される小説や映画にも、時代背景に則ったような作品が多く見られた。
「失業、倒産、自殺」
 などのキーワードが広告に並び、週刊誌でも社会問題として大いに取り上げている。
作品名:自殺と症候群 作家名:森本晃次