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自殺と症候群

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「世の中で当たり前だと思われていることを再考してみるのも大切なことなのかも知れない」
 と感じた。
 武則にとって、今回の夢遊病が何か自分の人生に大きな影を落とすのではないかと怯えるようになっていた……。

                  カプグラ症候群

 それから時代は少し流れていた。武則が交通事故に遭った時もあったが、世の中は、かつての好景気を思わせるさらなる好景気に浮かれていた。歴史上、空前の好景気の後には絶対に大きな不況が襲ってくるということが証明されているにも関わらず、人というのは学習をしないのか、それともその時がよければ、いやいい時にこそ、できるだけ蓄えようとするのか、つまりは自分のことだけしか考えていないような状態になってしまう。
 それを、
「感覚がマヒしている」
 という一言で片づけてしまうのは危険だろう。
 しかし、そのことを頭の中だけで理解しようとするのは、自分のことだけを考えて貯蓄に走る人たちとさほど変わっているようには思えない。この意見はあまりにも時代を浅いところでしか見ていないからなのかも知れないが、深く掘り下げたからと言って、このスパイラルを解決できるわけではない。解決策が何か見つかったとしても、経済界を担う世界はあまりにも大きすぎるのだ。
 時代はいわゆる、
「バブル経済」
 に湧いていた。
「バブル」
 つまり実態のない泡である。
 それを回すことで経済を活性化させるというものなのだが、これこそ、自分たちだけがよければいいという発想の表れから生まれたものではないかと武則は思っていた。
 あまりにも乱暴であるのは分かっているが、実際にバブル経済の真っ最中に、誰もそんなことは考えない。
「今ならどうすれば儲かるか」
 そればかりを考えているのだ。
 膨れ上がる泡というものには、しょせん中身に限界があった。誰もがバブルに限界はなく膨れ続けるものだと思っていたのかも知れない、いや、バブルが弾けてしまうまでに自分だけは助かるように貯蓄に走るというやり方が蔓延していたのだろう。
 バブルが弾けることは、経済学者には分かっていたかも知れない。どこまで分かっていたのかは疑問だが、それをいきなり発表してしまうとどうなるか、考えられることは二つだろう。
 一つは、いきなり重大発表をすることで、世の中がパニックになるということである。一人が発表すると、きっと他の経済学者の中にも同じことを想っていた人がいれば、彼らもその意見を裏付ける話を始める。
「誰が最初に発表するか」
 ということが重要なのだ。
 こんなことを発表するには勇気がいる。警鐘を鳴らして、その解決方法まで提示できれば、その人はノーベル賞ものであろう。ただ、それで経済が混乱しなければの話である。
 しかし、何んらの解決法を示すこともなく、ただ警鐘だけを鳴らしてしまうと、本当に混乱だけしか招かないことになる。それは実に危険なことである。
 またもう一つは、バブルに浮かれている人たちが、警鐘を鳴らす人に対して、まともにその言葉を信じるかということである。
 ひょっとすれば、ここまでは思っていなくとも漠然とバブルが危険だということに気付いている人がいても、なるべく目を瞑って、自分だけが何とかなればいいと思って貯蓄に走っている人からすれば、
「何をバカなことを言ってるんだ。そんなことあるはずないだろう」
 と、最初から聞く耳を持たないような態度を取るに違いない。
 その人にとって警鐘者の言葉は、
「ありがた迷惑」
 以外の何物でもないのだ。
 しかも、専門家が口を揃えて、警鐘者の言葉を、
「なんの根拠も持たないデマだ」
 として言及すれば、多数決という観点からも、皆が彼のことをほら吹きのように罵ることで、完全に、
「出る杭は打たれる」
 という状況になってしまう。
 武則も、バブルに対して一抹の不安を抱えていたが、他の多くの人と同様、
「自分だけは困らないように」
 という思いから、貯蓄に走っていた。
 だが、貯蓄と言っても、普通の経済流通のように、形のあるものを売って、その代価を得るというものではない。バブルの根本は、
「形のないもの」
 である。
 例えば土地の売買などは、相場というものがあり、高い時もあれば安い時もある。普通に考えれば、土地の売買で儲けようと思うと、
「安い時に買って、高い時に売る」
 というものであろう。
 それは土地に限らず、株券のような有価証券にも言えること。そうなると、たくさん安い時に買って、高くなってから売りに出すというのが当然であった。
 しかし、自分だけがバブルを考えているわけではなく。まわりの皆が同じ発想をしているのだ。
「高くなって売り出されたものを、買う人はいない」
 というのが当たり前で、
 いくらたくさん持っていたとしても、誰も買う人がいなければ、ただの紙切れというべきである。
 そのうちに、モノがどんどん高価になってくる。気が付けば、バブルは弾けてしまっていた。
 武則はその頃に生まれていなかったが、年配の人が思い出すのは、
「戦後の新円の発行」
 ではないだろうか。
 大東亜戦争での日本の敗戦により、世の中は物がないという極度のインフレに陥ってしまった。
 それを解決する案として政府が出したのは、
「新円の発行」
 だった。
 貨幣価値を根本から変えることで、極度のインフレを解消しようというものだが、それまでしこたま持っていたお金は、そのほとんどが紙屑同然になってしまった。それを知っている人からすれば、
「あの時と同じだ」
 と考えたかも知れない。
 実際に同じかどうかは分からない。ひょっとするとまったく違ったものなのかも知れない。
 少なくとも新円の発行は政府の意図したことであるが、今回のバブルの崩壊は、予知はできたとしても、防ぐことのできない一種の「自然現象」のようなものだという解釈も成り立つのではないだろうか。
 世の中は、今までの考え方を根本から考え直さなければいけなくなった。それまではどの会社も尾、
「いけいけドンドン」
 つまりは、働けば働くほど儲かったのだ。
 だが、バブルが弾けてからは、働けば働くほど思った以上に儲からないことで経費の方が嵩んでくる。そのために、生まれた言葉として、
「リストラ」
 であった。
 一番の経費である人件費を削ること、それが企業が生き残るための方法である。
 バブルの時代には、優秀な人材を抱え込むのは当たり喘のことだが、人海戦術を駆使するために、「兵隊」も必要だったのだ。
 バブルが弾けると、まずはその兵隊がリストラされる。次には、それまで年功序列でエレベーター式に出世してきた人の能力が見極められ、本当に優秀な人以外は、人件費削減のターゲットになった。つまり中間管理職の大幅リストラである。
 さらに続いたのは、会社が生き残るための、
「吸収合併」
 である。
 いかに会社を存続させるか、零細企業などは中小企業がつぶれれば連鎖倒産を余儀なくされる。中小企業としても、安泰ではない、何といっても、それまで絶対に瞑れることはないという神話が存在していた銀行などが、平気で倒産してしまう時代に突入してしまったのだ。
作品名:自殺と症候群 作家名:森本晃次