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自殺と症候群

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 母親の指先は震えていて、唇も紫色に変色しているようだった。母親のどこが一番以上だったのかというと、唇の色だったように思えてならなかった。
 安心した静代だったが、まだ何も分かっていなかった時、自分がパニックになっていたことは分かっていた。何を考えていたのかということも理解しているつもりだったが、パニックになっていたという意識は消えていた。
「お母さん、本当にどうかしたんじゃないかって思うほど、パニックになっていたよ」
 と、安心している母親の横から武則に言った武敏だったが、その時に母親がどんなリアクションを示すか、それが気になっていた。
 予想に反して、母親は別に何らリアクションを示さなかった。
「な〜あんだ」
 と心の中で呟いたが、どうもリアクションがないということは、母親がパニクっていた時に何を考えていたのか、落ち着いてからも思い出せるのではないかと思った。
 そして、パニクったことも覚えているだろうと思ったことで、実際の母親の状況に対して、
「当たらずとも遠からじ」
 だったと言えるのではないだろうか。
 ただ、静代の様子を見て。パニックっていたことを自分では意識していないということを理解していたのは武則であり、彼は自分が静代に感じていることのほとんどが当たっているという意識がないまま、本当に理解していたのである。
 当の静代は、自分よりも自分のことを理解してくれているのが夫の武則であるということを分かっているので、武則に対しては、
「逆らえない」
 と思っていた。
「ヘビに睨まれたカエル」
 のような恐怖心からではなく、彼女の性格ともいうべき従順さが、夫を見つめる態度の中にあったのだ。
 奥さんは武則の様子を見て、安心したようにいろいろ話をしていたが、どうやら武則には交通事故に遭ったという意識が自分ではないようだった。
「気がついたら、ここにいたんだ」
 としか言いようがなかった。
 当たったという意識はあったが、それをいまさら妻や子供に話しても仕方がない。
 ただ、意識を取り戻してから警察が事情聴取に来た。医者が許可したようである、事情聴取と言っても被害者なので、その時の様子を形式的に聞きたかったようで、きっと加害者の証言との辻褄を合わせていただけだろう。
 だが、本人がほとんど覚えていないということで、話をした時間は短かった。しかも、その短い時間で、武則に微妙な変化が訪れたのを掲示が察して、医者に相談したところ、
「今日はこのあたりにしていただけませんか?」
 と言われたので、すごすごと引き下がったというわけだ。
 話としては、それ以上粘ったとしても、得られる情報はないことが分かっていただけに、刑事もそのまま引き下がった。とりあえず元気になったことだけでもよかったと思っていた。
 当の武則の方は、
「大丈夫です」
 と医者に告げると、
「そうですか、きっと疲れがたまっているのでしょう。刑事さんには、またの機会にしてほしいと言っておきました」
「ありがとうございます」
 医者も武則も、その時は別に何もないということを信じて疑わなかった。
 医者というのは外科の医者であり、外科診断としては、問題なかった。ただ、頭を打っている可能性も否定できなかったので、レントゲンやCT、脳波の検査も行った。すぐに結果の出る部分だけでは、何ら問題はないということだった。
 脳神経かの先生に聞くと、
「まあ、今見た限りでは問題ないでしょう。精密な結果は後日になりますが」
 ということだった。
 一安心という感じで、二人は安心していたが、奥さんにもその話をすると、やはり安心して、一緒に連れてきた子供に、
「お父さん、大丈夫だって」
 というと、
「そうなんだ」
 という冷めたセリフが返ってきた。
――なんて冷たいんだ――
 と思われがちだが、思春期の中学生であれば、別に不思議のない態度に思えて、医者も顔色を変えることまではしなかった。
「じゃあ、明日は何か必要なものを揃えてきましょうね」
 と奥さんは言った。
 確かに取るものも取らずにとりあえずにやってきたという感じだったが、それだけ心配だったということを示しているのだろう。
 二人は、武則が大丈夫なことを確信して帰宅していった。何か必要なものを本人から聞いてメモっていたようだが、その顔は真剣に聞いていたのが印象的だった。
 奥さんと子供が帰ったのは、夕方誓うであっただろうか、帰ってからすぐに病院では夕飯の時間となった。普通に生活していれば、こんな時間に食べることはないというほどの早い時間だったが、武則にはそれほど早い時間という気がしていなかった。
 ケガをしているだけで、内臓などが悪いわけではないので、病院食は物足りないものだった。今まで病院に入院などしたことがない武則だったが、病院食の寂しさは人に聞いて知っていた。それでもさすがに目の当たりにすると、
――これじゃあ、足りないよな――
 と思ったが、さすがに口にすることはしなかった。
 ただ、表情には出ていたようで、それも仕方のないこと。気持ちを封印することなどできるはずもないし、する必要もないと思った。まわりの人を見ても、無言でさらには無表情で食べている。きっとこの人たちも最初は同じ思いだったのだろうと思い、そのうちに自分も彼らのように、何も考えずにただ食べるだけになってしまうのではないかと思うと、少し寂しい気がした。
 急いで食べることをせず、ゆっくりと時間を掛けて食べた。正直、おいしいと思えるものではないが、時間をかけることで少しでも腹に溜まればいいという意識だった。それは強く持った意識というよりも本能に近い意識だったように思う。
 他の人はすでに食べ終わっている。そしてそのうちの半分の人は、そのまま眠ってしまったようだ。それを見ながら食べていると、自分まで眠くなってくるのを感じた。
 武則はまわりが眠くなっている状況を見なくても、食事が終われば、自分も軽く眠ろうと思っていたようだ。その意識があるからか、まわりが眠ってしまったことを余計に意識するようになり、自分も食事を終えると、そのまま目を瞑って眠りに入っていくのを感じていた。
 普通、眠りに入ったからといって、眠ってしまうまで意識できているということはない。目が覚めて初めて、
――俺は眠ってしまったんだ――
 と感じるだろう。
 ただ、本当に寝ようと思っていて眠ったわけではない時に感じることで、今回のように最初から寝ようと思っていた時に感じることではないと思った。
 しかし、実際に目が覚めた時最初に感じたのは、
――眠ってしまったのか?
 ということだった。
 そして、病院のベッドで目を覚ましたということに違和感はあったが、すぐに前後の事情を思い出し理解はできたのだが、目が覚めたその時がいつなのか、すぐには理解できない自分がいた。
――一体、今は何時なんだ?
 と思い、まわりを見てみると、ライトは非常灯以外はすべて消えていて、他の人のベッドにはカーテンが掛けられていて、眠っているところを見ることはできなかった。
――ということは、病院の消灯時間を過ぎるまで眠っていたんだ――
 と感じた。
作品名:自殺と症候群 作家名:森本晃次