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自殺と症候群

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 さすがに地団駄を踏んでいる姿までは想像できなかったが、顔が真っ赤になり、身体の奥から熱くなった血が流れ出ているような気分になってきたのも本心だった。
 生まれてきた子は男の子で、命名は、
「武敏」
 であった。
 父親から一文字取った形だが、命名にあまりこだわることのなかった静代は、自分の名前が入っていようがいまいが、関係はなかった。
 武敏が生まれてからというもの、それまでの不況で不幸のどん底だったと思っていた武則に風が吹いてきた。
 自殺しようとまで思っただけに、
「死んだ気になれば何でもできる」
 という言葉にピンとこないと思っていたはずなのに、実際に乗り越えてみると、その言葉の意味が分かったわけではないが、その言葉までも乗り越えたような気がしていた。
 乗り越えたのに、乗り越えた時の心境を分かっていないなどおかしなものだが、信憑性を度返しすれば乗り越えたという事実だけを見つめればいいだけなので、自分を納得させることができるのだった。
 さて、死んだつもりで努力もしたが、その努力がどこで生かされたのか、自分でも分からないうちに、再就職した先ではどんどん出世していった。そのうちに貯金もできたことで生活にも余裕ができ、そのうちに社会がまた未曽有の好景気に沸くようになった。
 試しにやってみた不動産運用。もちろん、下手をすれば地獄を見るのは分かっていたので、余剰の中から、さらに、
「あぶく銭」
 とも言えるようなお金を投資に使った。
 あぶく銭というと、
「お金を粗末にしている」
 などと批判されがちだが、これまでの武則はお金に対して、ずっと真摯に向き合ってきた。
 やってみた不動産が大きな利益を生んだのだが、それも、
「お前が謙虚にお金と向き合ってきたことが報われたんだ」
 と、他の人からも言われるくらいだったので、本当に自分でもそう思っていた。
 当時は、何かに投資して、そこからお金を増やすことが多くなっていた。
 最初の不況を乗り越えたことで、日本は加工という分野で世界にその存在価値を証明した。
 それがそのうちに、物資による利益ではなく、商品を転用したり運用することで利益を生む時代へと移行してくるのだった。
 それが、
「貯蓄をお金でするのではなく、投資で行う。株であったり、土地の運用が利益を生む」
 ということが言われるようになり、いわゆる、
「バブル経済」
 の時代に入っていった。
 土地は持っていれば持っているほど、どんどん価値が上がった。
「お金があれば土地を買う」
 と言われた時代があった。
 ただ、武則が最初に始めた時は、まだそれほど信憑性のあることではなかったが、あぶく銭という意識と、彼に備わっていた先見の明というものが、彼を駆り立てたと言ってもいい。そういう意味での彼の才能は間違いはなかった。またしても、まわりからは、
「ビックリさせられた」
 と言われたのであった。
「まるで小説のようなお話だな」
 と言われたことがあったが、それを実感していて、一番そう思っているのは他でもない武則本人だった。
――自殺しようとまで考えたのにな。いや、逆にあの時、死んだ気になれたのがひょっとすればよかったのかも知れないな――
「事実は小説よりも奇なり」
 と言われるがまさにその通りだ。
 本人には自覚がないが、死んだ気になってやったことが、ある意味王道を貫いていて、それが成功への近道だったのかも知れない。本人はかなり危ない橋を渡ったと思っているが、捉えるところをしっかり捉えていたおかげで、成功したに違いない。無意識だったことが幸いしたともいえるだろう。下手に意識してしまうと、踏み出せる一歩も踏み出すことができず、結局何もせずに終わってしまっていただろう。
 ただ、地道にやってきたという自負もある。たった一度のチャンスをものにできたのだとすれば、それはそれで正解だったのだ。
 会社を首になってから何年が経ったのか、武則は思ったよりもアッという間だったと思った。それが今はお金に困ることもなく、
「会社を運営してみたい」
 という衝動に駆られていた。
 前には働いている会社が倒産して、社長が悲惨な目に遭ったのを目の当たりにしているにも関わらず、今度は自分が会社を興したいと思った。これは彼が経営者への意識が他の人よりも高かったというのもあれば、一度は死にたいと思った時の気持ちを忘れることなく、驕ることもなく、まわりや自分と真正面から対峙してきたことによるものだろう。それだけ彼は真面目な性格であり、一直線なところがあるのだろう。
 家で妻に、
「会社を興したい」
 というと、別に反対もされなかった。
 妻の静代も、前の不況の時代に苦労をした一人だった。武則と知り合った時にはちょうどその不幸から少し光明が見えていた時であり、そういう意味では武則と境遇が似ていたと言えるのではないだろうか。
 武則は妻の静代の当時の話も聞いた。鶴代は水商売にも足を踏み入れていて、どこか男性に上から目線があったのは、彼女の美貌に対しての自信からだけではなく、
「まわりの人から舐められないようにしないといけない」
 という気持ちが強かったのも否めない。
 彼女は自殺まで考えるほどではなかった。芯が強い女性だからという理由もあるが、
「夢見る少女」
 でもあったのだ。
 その性格が幸いしてか、死というものを考えようとはしなかった。静代のいいところは、嫌なことがあっても、
「考えないでいいことは考えないようにする」
 ということができるタイプだったのだ。
 それに比べて武則の方が、嫌なことを考えないようにできるほど人間ができていなかった。これは武則に限ったことではなく、ほとんどの人がそうに違いない。そのことを武則は、
「人間臭い」
 と感じるようになり、この言葉が決して悪言ではないということを感じていたのだ。
 武則と知り合った頃の静代は、まだまわりに対して去勢を張っていた。まわりを見る目は完全な上から目線。自分を好きになる男性はたくさんいると自負していた。
 だが、それは他人といる時だけだった。一人になるとその気持ちは急速に萎えてくるようになっていた。最初の頃は、
「私を見なさい」
 と言わんばかりのオーラを放っていたこともあって、一人でいる時もそのオーラは発散され続けた。
 だが、このオーラを発散させ続けるには、かなりの体力がいった。体力だけではなく、精神的にも強くなければ保つことができないもので、きっと体力にだけ任せていると、精神に病を持つか、ひどい時には何かの疾患が襲ってくるレベルのものだったに違いない。
 静代は最初何も話そうとはしなかった。まだ彼女の中に、まわりに舐められないようにしなければいけないという思いが多分にあり、その思いが自分の思いをシャットアウトしていたのだ。
 だが、自分の身の上を飾ることもなく、しかも自分に気を遣いながら話をしてくれる武則を見ていると、自分が今まで精いっぱいに張っていた去勢がなんであるか、急に分からなくなってしまっていたのだ。
作品名:自殺と症候群 作家名:森本晃次