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自殺と症候群

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 もちろん、他の自殺でも同じことが言えるが、生前の姿とは程遠い恰好の飛び降りや飛込とは違って、人間の姿を維持したままの死に姿は、無残以外の何物でもないに違いない。
 その次に考えられるのは、ガスなどの自殺。
 これも服毒に似たものがある、ただ、これは後述の睡眠薬と同じで、死にきれなかった時が恐ろしい。
 睡眠薬による自殺であるが、これは一番楽に思える自殺であるが、睡眠薬だけでは死にきれない場合がある。実際の致死量がどれほどのものか分からないし、
「たくさん飲めばいいというものではない」
 と言われる。
 下手にたくさん飲むと、今度は身体が拒否反応を起こし、死にきれないばかりか、拒絶反応から、苦しみだけが残ってしまい、さらには死にきれなかったことで後遺症を抱えたまま生きていかなければならなくなってしまう可能性が強いということだ。こsれは先ほどのガスによるものとも同じことで、どこまでが死に切れるものなのか難しい。だから、ガス自殺をする人の中には、
「睡眠薬との併用」
 を試みる人も多いという、
 その方が確実に死ねるというのか、それとも楽な死に方を確実にする考えなのか、難しいところでもある。
 後、変わったところでは、人知れずに死ぬことでm死体が発見されないということを望む人もいる。
 例えば潮の流れの急な断崖から飛び降りるというものであったり、珠海に入り込むというのもその一つであろう。
 いわゆる、
「自殺の名所」
 と呼ばれるところがその主なところであるが、ミステリーなどの場合では、
「死んだことにして、他の人間になってどこかで生きている」
 という発想も成り立つが、ここまでくると自殺論議とはまったく違った世界に入ってくるので、言及は避けたいと思う。
 自殺にもいろいろな方法手段があるが、一つ言えることは、
「確実に死ねることは、想像するだけでも恐ろしく、楽に死ねると思うことは、生き残ってしまう可能性、そしてそれに伴う後遺症、さらに死に際の様相など、やはり自殺というものはロクなことはない」
 と考えさせられるものである。
 ただ、実際に自殺する人が本当にいるのは事実である。自殺する人がどこまで考えているのかは分かりかねるが、パッと考えてこれくらいのことは想像できるのだから、分かっていないということはないだろう。
 当然、死のうと思うのだから、確実な死を望んでいるのだろうし、そのために、この世への未練を断ち切るだけの思いも一緒に抱えているはずなので、自殺という行為だけに言及する問題ではないように思う。
 そんな中でも社会問題になるほどの自殺者の数、昭和二十年の終戦を迎えるまでは、行きたくても生きられない人がいた時代から考えれば、自殺者が多いという二十年後の世界をどのように考えただろう。
「本当に矛盾していることだな」
 と考える人も多いだろう。
 矛盾というのは理不尽がなければ存在しない。どちらかがいいことであれば、どちらかが悪いこと、それがバランスを取れなくなると、矛盾であったりが発生し、それが理不尽に思えることへ発展するのである。
 自殺する人が多い中、最初は皆、自殺する人のことを、
「他人事」
 というイメージで考えていたのではないだろうか。
 特に、ニュースで話題にでもならない限り、自殺というものを意識することはないだろう。
 実際に飛び降りる人や列車に飛び込む人でも見ない限り、近所で自殺者が見つかったりして警察が出動したりする場合は別だが、それ以外で生活していて自殺を意識することはないだろう。
 だが、経済がそれまでの好景気から一気に不況になってくると、経営者を中心に、労働者にもその風当たりの強さは無視できないものとなってくる。
 従業員にとって、給料が減らされるというだけでも大問題なのに、そのうちに首になったり、あるいは、いきなり会社が倒産したと言われたり、真面目な経営者ほど、ギリギリまで自分で抱え込み、まわりの人に心配を掛けないように努力するものだ。そして二進も三進もいかなくなると、それまで張り詰めていた気持ちが爆発し、現実逃避の気持ちから、無意識な自殺に及んでしまうという人も多かったことだろう。
 遺書が存在するかどうかも分からない。
「なぜ死を決意したのか、まったく分からない」
 という家族の、それこそ青天の霹靂を思わせる状況に、自殺者の、
「張り詰めた気持ちが爆発した「
 という以外の説明がつかない状況をどう説明すればいいというのか。
 そんなある日、テレビのコメンテイターの人が言っていたことに、
「これは、そもそも自殺菌という菌が影響していると言ってもいいんじゃないでしょうか?」
 と言ったことがあった。
 医学者でも精神的な専門家でもない、ただの社会派のコメンテイターの言葉に、ほとんどの人は聞き逃したことだろう。
 もちろん、人が死ぬということなので、笑い話にするわけにもいかず、逆にそれを口にした人の不真面目さが批判を浴びるというくらいであろうが、なぜか自殺菌に対しての批判はなかった。
 もっとも、それを口にした人はその人だけで、一度だけワイドショーで口走っただけのことだった。
「自殺菌などという言葉を使った人がいた」
 ということを意識していた人がどれほどいただろう。
 その日、当事者でして出演していた他のキャスターも、ほとんどがその言葉をすぐに忘れてしまった。
――忘れてやった方がいいレベルだ――
 と思ったのかどうか分からない。
 しかし、忘れてしまうことがあの場では一番ベターなことだったのは、紛れもない事実であろう。
 だが、この時自殺菌という言葉を実際に意識し、頭から離れなかった人がいた。それは武則であり、武則はそのことを意識していたようだ。
 武則の会社は倒産し、武則は会社経営者の自殺という事実に直面した。
 しばらくは就職もなく、どうしていいか分からなかったが、
「捨てる神あれば、拾う神あり」
 たまたま母校の高校の先生に相談に行った時、他の会社社長がその場に来ていた。
 武則を見ていて、同じ業界で働いていたことが分かったので、いろいろ詰問してみたが、その回答は結構的を得ていて、しっかりしているということが分かったということで、その場で採用ということになった。
 実は武則も自殺をまったく考えなかったわけではない。自殺を頭の片隅に置きながら、
――なるべく自殺なんてしたくない――
 という思いから、自殺を思いとどまるためにどうすればいいか、彼は真剣に考えていた。
 そんな時であった。ある食堂でついていたテレビ番組を見ていたが、別に見ようと思って見ていたわけではなかったのに、自殺が話題になってくると、耳が離せなくなった。
 ふと聞こえてきた言葉に、
「自殺菌」
 というものがあった。
――何なんだ、自殺菌というのは?
 正直、好奇の気持ちしかなかった。
 自分を救ってくれる言葉にはあまりにも程遠いものであるという意識とともに、
――何を死に対してバカにしたような発言をしているんだ――
 と思った。
作品名:自殺と症候群 作家名:森本晃次