小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

短編集77(過去作品)

INDEX|9ページ/21ページ|

次のページ前のページ
 

 山の向こうに見えていた夕日があっという間に谷間に消える。だが、あまりにも明るかったせいか、あっという間だったなど信じられない。山を形どった影が田園風景に覆いかぶさっていた。
 夕日が山に完全に隠れてしまうと、次第に暗闇が当たりを支配し始める。もし山に向って大きな声で叫びでもしたなら、こだまとなって返ってきそうな気がするくらいである。
「ふぅ」
 思わず溜息をついてしまう。何も考えていないことが不思議なくらいの溜息だ。やはり何も考えていないようでも、頭は回転しているのだろう。
「こんにちは、こちらよろしいかしら?」
 驚いて後ろを振り向くと、先ほど身じろぐこともなく端の方に座って表を眺めていた女性である。横顔が寂しそうで哀愁を感じたことで、自分よりもかなり年上ではないかと思っていたが、今目の前で微笑んでいる顔は、どう見ても柴田より年上ということはなさそうだ。
――屈託のない笑顔――
 まさしくその表現がピッタリだ。
 だが、先ほど表を見ていた表情も、哀愁が漂ってはいたが、嫌な雰囲気ではない。何かを体から発散させているように思えたのは、大人の女性の色香を感じたからではなかろうか。
「どうぞ」
 見上げる自分の顔はどんな表情だったのだろう。いきなり話しかけられて煩わしそうな表情を一瞬浮かべたのではないだろうか? 今までの柴田にはそういうところがあり、知っている人はいきなり話しかけることを躊躇ったりすることがあるらしい。
 特に何かに集中している時に話しかけられたりすると、邪魔が入ったと思ってしまうようだ。
「あの雰囲気だけは、近寄りがたいからな」
 気の合った連中だったらそれだけで済むのだが、他の人、特に初対面の人には、どうにもこうにもたまったものではないだろう。
 それを自分勝手な性格だと、柴田は感じていない。どこまでが自分の領域かということをいつも考えているからだ。プライベートを大切にしたいと思う一心から、特に考え事をしている時など声を掛けられると、つい苛立ちを覚えてしまう。
 今まで自分のまわりにいる人はそれが分かってくれている人ばかりだと思っていた。中には、
「性格なのだから、仕方ないか」
 と半分諦めている人もいるだろうが、皆が皆、納得しているわけでもないだろう。だが、納得していようがいまいが、自分にとっての時間を脅かされると嫌な思いになるのは、柴田だけではないに違いない。そう感じると、一定の理解はしてくれていると思ってしまうのだ。
 対面式の座席の正面に座った彼女の表情は、柴田が考えているよりもさらに屈託がないように思えた。
――これほど純粋な表情の女性は今までに見たことがないかも知れない――
 と思えるほどだ。
 まるで何も悩みがないような表情に、思わず顔が綻んでしまうのだった。
「先ほど、一生懸命に表を見ていましたね」
「ええ、見ていらしたの? 恥ずかしいわ」
 本当に顔が真っ赤になっているかのように見えるのは、元々の肌の白さから感じることだろう。透き通るような白さが少し薄暗くなった車内を明るく照らしているように見えるのは気のせいではない。
 最近にしては少し暑かった。GWも終わり、後は梅雨の時期を待つばかりのこの時期、さすがに得予行する人も少ないようだ。駅でもほとんど旅行姿の人を見かけない。
 とはいえ、柴田の恰好もラフなもので、それこそ大きくないショルダーバックを一つ持っているだけの簡単なものだ。旅行者だと誰が思うだろうか。どう見ても旅行カバンにとは思えないカバンは網棚に乗っている。
 女性は明らかに旅行者だろう、小さな身体に似合わないほどの大きなカバン、それが旅行カバンでなくて何だというのだ。
 流れている車窓からの景色に見入っていたに違いない。一生懸命な表情は見ている者に何を考えているか分からないものである。
――隙のない表情――
 とは、まさしく先ほど見た彼女の横顔のようなものではないだろうか。それを恥ずかしい表情だという彼女は、きっと上品な考えを持った女性なのだろう。
「恥ずかしがることはありませんよ。表の景色によほど魅せられていたのですね?」
「そうかも知れませんわ。流れるような景色を見ていると吸い寄せられるような錯覚に陥ってしまって、つい目が離せなくなってしまうんですよ」
「それは私も同じです。距離感が分からなくなってくるところがいいんでしょうね」
 目の前の景色は飛んでいくようなめまぐるしさがあるにもかかわらず、遠くに見える山は相変わらずである。思わず山までの距離を測ってしまう自分がいるのだ。
 特に新幹線に乗っている時などに見える山までの距離とはかなり違うだろう。だが、同じような田園風景を眺めているのである。比較したくなっても仕方がないというものだ。
「旅行者ですよね?」
「え? 分かりますか?」
 彼女には柴田が旅行者だということが分かったようだ。
「ええ、私もフラリと旅行に出てきたんですけど、あなたにも私と同じようなところがあるように見えたので、思い切って声を掛けてみました」
「同じようなところとは?」
「何かを求めているような気がするんです。それが何かというのは分からないんですけれども」
 何かを求めている?
 そんな自覚はなかった。だが、言われてみれば期待がないわけではない。それが出会いというものではないかと感じたのは、目の前の彼女の屈託のない表情を見てワクワクしてきた感情に裏表がないように思えたからだ。ワクワクしてきたのは、車窓を眺めていたからだけではないようだ。
 そういえば、人の顔を見て自然に表情が綻んでくるなどという感情は、かなり久しぶりな気がする。完全に忘れていたように思える。多感だった高校時代、同じような笑顔を浮かべた記憶があるが、その頃の柴田は、怖いもの知らずだった。
 何にでも興味があった頃、そして特に異性に対しての感情によって初めて自分の中で気持ちの昂ぶりというのを感じた時だった。その証拠として下半身が反応する。恥ずかしいと思いながらも、思春期の身体を素直に感情が受け入れられる時期でもあっただろう。
「旅行はいいですよね」
「ええ、特に温泉というところは、身も心も軽くなれます」
「私は旅行が好きでよく出かけましたが、以前はあまり温泉というのは意識していなかったんですよ。でも今度は仕事の疲れを癒したいと思っているので、温泉にしました」
 大学の頃までは、旅行の目的は友達を増やしたいことにあった。もちろん、相手は女性である。女性と知り合うには旅行が最高だった。自分も相手も気持ちが大きくなって、知らない人と知り合うことへの快感が昂ぶってくるわりに、自然に声が掛けられる。掛けられた相手も、旅の途中ということで、それほど警戒心もないことだろう。
 たくさんの女性と知り合った。旅から帰ってきても友達でいる人も結構いる。中には付き合った人もいたが、あまり長続きしなかった。
 やはり旅先というのは特殊な雰囲気があり、現実と夢の挟間のような感じであり、現実に戻ってからは、恋人としての感覚ではなくなるのかも知れない。
 だが、今も出会いは求めている。旅先だけの出会いだけではなく、今だったら、長く付き合っていける人に出会えそうな気がするのだ。
作品名:短編集77(過去作品) 作家名:森本晃次