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短編集77(過去作品)

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 分岐点を境にして、微妙に変わってしまった未来。もしあのまま目指していた医者になっていたとして、夢に見たような未来がそのまま待っているとは思えない。何か暗示のようなものを感じるが、同じような夢でも微妙に違うではないか。特にハッキリと思えていたように思っていた匂いの微妙な違い。自分にしか分からない違いは、やはり夢というバーチャルな世界だからだろうか?
 夢の中での相談で、バーチャルを薄っぺらいものだという女性がいるが、自分のイメージする理想の女性ではないかと考えている。今までに何度か同じシチュエーションで見ているが、微妙にその顔が変わっているようだ。雰囲気はそのままなのだが、だからこそハッキリと顔を覚えていないのだろう。知っているはずの顔だと思っているのは以前に見た顔と比較しているからである。
 初めて真理子を、いや、女性というものを抱いた時のことを思い出している。あっという間だったような気がするのは、まるで夢だったように思うからだ。夢というのもどんなに長いものであっても、起きる寸前の一瞬に見るものだというではないか。特におぼろげな記憶ほど自分の記憶の奥に封印されていて、夢のように感じられても仕方のないことであろう。
 暗闇でも蛍光色のように光って見えるほどの肌の白さや、きめ細かさだけは覚えている。どうしても忘れることができないのは、すべてが終わってそのまま眠りに就いたのだが、起きて見上げた天井だった。
 最初感じたのは、
――なんて遠いんだ――
 という感覚だった。和風の部屋の天井には木目調の模様がついているのだが、ジッと見つめているとまるで天井が落ちてきそうな錯覚に襲われ、遠近感がまったく取れなくなってしまう。思わず指を目の前に翳して、天井との距離感を計っていたくらいだ。
 その時に遭ったかなしばり、そこまでは記憶にあるのだが、そこから先を思い出したいと思っているのだろう。夢に入っていく瞬間があったとすれば、その時だったように思う。
――医者になりたい――
 という願望、諦めてしまった願望が再びその時に夢という形で現れたのだ。
 ではどうしてそんなに医者になりたいと感じたのだろう?
 その夢を見てから、自分が薄っぺらい人間ではないかと思うようになったのは間違いないようだ。真理子と別れたことで心の中にポッカリ空いた隙間、それが綻び程度のものなのか、それとも大きすぎて全体を見渡せないほどなのか、夢の全体を思い出せない以上、分からないだろう。
 それにしても最近過去のことをよく思い出す。夢ではなれなかった悔しさなのか、医者になる夢が多いような気がする。他の夢も見ていて忘れているだけなのかも知れないが、それにしても過去を振り返ることが多いのは事実だ。
 どうして医者になりたいと思ったのだろう? 漠然と医者になりたいと思ったように記憶しているが、何かきっと心の奥にあったからに違いない。
 それを思い出しているのだろうか?
 夢という願望の中で過去を思い出そうとしているように思えてならない。芸術的なことにまったく疎かったはずの湯川が、大学に入りイラストという新しい世界を垣間見ることによって違う自分を発見した。真理子という女性と知り合ったことも、自分の中の新しい発見を掻き立てたはずだ。真理子が湯川に与えた影響は、恋愛感情だけに留まらなかったはずである。
――自信――
 芸術を知って新しい境地を開いたとすれば、自信と挑戦という気持ちがあったからだ。自信をつけることが一番できる頃、それは何でもできる大学時代だったはずだ。挑戦できる時期に一番自信をつけることができたのは、イラストという芸術の扉を開いたことだ。
 真理子と別れた理由、それが今少しずつ分かりかけている。人間には欲というものがある。その欲とは決して悪いものばかりではないだろう。
 成長したと思う欲だってある。もっともっと素晴らしいものを作って行きたいというのも欲である。また、付き合っていれば相手に対して甘えたい気持ちになったり、いつも一緒にいたいと思うのも一種の欲だろう。
 しかし、それぞれの欲が同一の人間で同時に存在できるものかということは別である。相対する気持ちや気持ちに矛盾している欲もあるかも知れない。それに真理子は気付いたのだろう。
 欲を持てばそれを達成しようという努力が生まれる。努力している時は、目標に向って上を向いているので、充実感が最高に得られることだろう。しかし、ある程度まで時間を掛けて目標に近づいたり、あっという間に目標をクリアしてしまえば、急に目標を失ったように思えてくるものかも知れない。それが人間の持っているさらなる「欲」というものなのだ。
 それが湯川にとってトラウマとなってしまったようだ。
 そのことに自分自身で気付かない湯川に対し、そばで見ていた真理子はきっと気持ちの変化を敏感に感じ取ったことだろう。それが湯川と真理子の間で起こった別れというものではなかろうか。
 医者になりたい夢は、湯川にとってそんなトラウマを解消しようとする無意識な気持ちが働いているのかも知れない。
 患者で現われた「薄っぺらい人生」を匂わせる女性、それは湯川自身の考え方ではないだろうか。気持ちの中でそれを自分だと思いたくないという気持ちから自分が以前になりたかった医者となり、患者として現われる女性は、以前に見たことがあって記憶の底に残っている女性が現われただけに過ぎない。
――薄っぺらい人生――
 それはまさしく湯川自身の人生だった。
 記憶の奥に残っている女性は、本当は思い出すべき女性ではなかった。彼女は以前に湯川のことを気にしていたらしく、湯川自身もその気になったことがあったが、彼女の中にある陰湿な部分をどうしても受け入れられず、結局彼女の気持ちに応えることができなかった。
 それからしばらくしてからだった。彼女が自殺をしたと聞かされたのは。
 葬儀に参列した時に見た遺影は、湯川の知っている彼女ではなく、実に屈託のない笑顔だった。
「こんな素敵な顔ができるんだ」
 と思って、自分の知っている彼女の顔を記憶の奥に封印していたのだ。
「薄っぺらい人生は彼女の人生じゃない。それこそ私の人生なのだ」
 湯川は一人呟いた。
 それが夢の中でのことなのか、それとも、現実でのことなのか分からない。しかし、医者の夢を見ることの理由、そして患者として現われた女性の正体を知ることができた湯川は、自分がいる世界が分からなかった。
 朝靄が掛かっている。
 霧はいつもよりも濃いように感じるが、空気の薄さを感じているようだ。
 甘く切ない香り、これは紛れもなく真理子に感じた香りである。
 生きている間に感じることはないと思っていた香りだった……。

                (  完  )

作品名:短編集77(過去作品) 作家名:森本晃次