短編集77(過去作品)
「私は前から人をすぐに好きになるタイプの女性だと思っていたんだけど、どうやらそれが勘違いだったように思うんです」
「男に騙されたりしたから?」
「ええ、そうかも知れません。でも、私はすぐに人を信じてしまうので、騙されていたかどうかも定かではないんです。傷ついてもまたすぐに人を好きになる。それは同性でも同じことなんですよ」
「いいことだと思いますが?」
「最初はそれでもよかったんです。人と知り合うことがとても楽しく、お話していても自分がだんだん成長していくような気がしてくるからですね。それも私が子供の頃はあまり友達と遊ぶのが好きじゃなかったからだと思うんです。友達と遊ぶよりも一人でテレビを見たり本を読んだりしていましたね。ゲームなどはあまりしていなかったですけども」
真面目な感じがするのは、子供の頃の面影を残したまま大きくなったからだろう。子供の頃から大人びた女の子だったことを想像させる雰囲気がある。
それにしてもこれは本当に夢で見たことだろうか?
あまりにもリアルな感じで、顔自体は覚えていないが、雰囲気は頭の中に入っている。思い出そうとすると後ろから差し込んでくる光が影になり、シルエットになって浮かんでいるようだ。
会話を隅から隅まで記憶しているように思えるのは、夢の中が起きている時に考えているシチュエーションに似ているからかも知れない。普段から医者になった自分がどういう患者を相手にするかなどというイメージを抱いているようだ。
患者はさらに続ける。
「要するに人を好きになることに冷めてきたように思うんです。そんな感情が薄っぺらいものであって、自分が作り出した虚像なのではないかと思えてならないんです」
「何かそう感じる根拠は?」
「ええ、最近ネットに嵌まって、会わなくても会話できるソフトを使って、いろいろ話をしていると、時々話しが噛み合わないことがあるんですよ。でもそれも面と向って話しているのであれば相手の顔色や口調などから気持ちが分かるし、説得のしようもあるのですが、文字だけの会話だと感情が見えてこない。怖さを感じましたね。何が怖いって、まったく感情の分からない相手と、分かったように会話していた自分が怖くなったんですよ」
「それで、悩んでいるわけですね?」
「ええ、そうなんです。どちらかというと悪い方に考え始めると、とことん悪い方へ想像してしまうところがあるので、相手が見えないことがさらなる恐怖心を煽るみたいなんです」
最近のネットの普及は果てしないものある。時代といってはそれまでなのだが、嵌まりやすいが、ある時期に差しかかると、億劫になってくる人もいるようだ。やはり現実と、ネットというバーチャルの挟間で、急に自分を顧みてしまうのだろう。自分がいるその場所、今まで見ているつもりで見ていなかったまわりの光景が急に開けようとしているようだ。
自分のいるその場所は今まで真っ暗だったに違いない。まるで夢の中にいる時のようにふわふわしている感覚、その先も後ろも考えることなく、画面だけを見つめている。まわりがどうであれ気にならないのは、ネットの世界にそれだけ入れ込んでいるからではなかろうか。
「ネットの世界に未来を見ていたんでしょうね」
彼女が呟くように溜息混じりで言った。
「未来って、それは自分のですか?」
「自分とまわりの未来ですね。もちろん、自分の目から見た、実に都合のいい未来ですけどね」
「感覚が麻痺してくるんじゃありませんか? ネットをしていると時間を感じないって言いますしね」
「確かにそうですわ。時間を感じることもなければ、自分の立場すら考えられなくなってしまっているようです」
未来というのは、そんなに簡単に見えるものなのだろうか? そういえば子供の頃に漠然と考えたことがある。
未来にはそれぞれ扉があって、そのどれを開けるかによってその人の運命が決まる。では、自分のまわりの人間の運命はどうなのだろう? あくまでも自分中心的な考え方の未来ではないか。他の人も同じようにいくつかの扉を持っている。それを開けることによってその人の運命は決まる。実に矛盾した考えだ。
――未来が一つである必要があるのかな?
結論はそこに行ってしまう。そうなるとまわりの人間がすべて自分の運命のためだけに存在しているように思えて、紙のように薄っぺらいものではないかと思えてくるのだ。彼女のいう未来というのが、薄っぺらい人間関係に結びついてくるとすれば、湯川には納得のいくことなのだ。
――だからこそ、ハッキリと夢を覚えているのだろう――
イラストを書いている時、未来をイメージすることが多かった。真理子の小説のそんな未来について書いていた話が好きだったからだ。ジャンルはファンタジーやメルヘン系と甘めの感じを受けるが、ハッキリとした主題がないだけに、未来に対する想像力が感じられ、イラストにも自然と未来に対するイメージが湧いてくるのだった。
同じ夢を見ているつもりでも微妙に違うものだ。匂いの微妙な違いであることは感覚的に分かっているが、それが分かることで、却って自分のイメージどおりの夢であることを自覚しているに違いない。
最近時々思い出したいと思っているのは、真理子と別れるようになった理由である。ハッキリした理由があって別れたはずなのだが、ハッキリとした理由を思い出せない。
いや、自分で認めたくなかったのか、理解しようとしなかったように思う。大学時代というまだ考えがしっかり固まっていない時代、その日その日で考え方も流動的だったに違いない。だが、それでも固まりつつあった自分の考え、その途中のプロセスが別れの理由になっているからだ。
真理子が湯川から離れていったわけではない。むしろ湯川のことを好きだったに違いない。ひょっとして今でも好きでいてくれているのではないかという虫のいい考えが浮かんでくるほどである。では一体なぜなのだろう? その理由をいろいろと考えてみる。
確かに人と付き合うことが億劫になっていたのかも知れない。あの頃から周期的に人と話すのが億劫になることがしばらく続いた。それまで人の笑顔を見れば自然と自分の顔が綻んでくるのを感じていた自分がウソのようである。微笑みかけられても笑顔を返したとしても引きつった笑顔であろう。そんなワザとらしい行動は間違ってもしたくなかった湯川は、逆に相手を睨みつけていたはずだ。
「どうしたんだ、あいつは。馬鹿じゃないか」
と、さぞかし思われていたことだろう。
――自分に過去と未来の分岐点があるとすれば、きっと真理子と別れた時だろう――
医者の夢を見てしまうのも、その分岐点を探しているからではないだろうか?
高校時代に感じていた医者になりたいという思い。それが過去だとするならば、医者になった夢を見て、患者の話を聞いている今が未来。もし、医者になっていたら、夢に出てきたような未来が待っていたのかも知れない。
だが、それは本当に自分の未来なのだろうか?
作品名:短編集77(過去作品) 作家名:森本晃次