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短編集77(過去作品)

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「タバコの煙があまり好きじゃないので、まわりに人がいるとその台には近づかないんです。一つの通路で、誰もいないところを探しては、ゆっくりと打つようにしているんです。それでも、当たる時は当たるんですよ。急にタバコの匂いのきつさを感じたと思うと、当たるって確信するんですよ。間違いなく当たるみたいですね」
「それがジンクス?」
「ええ、そうなんです。でも最近はそのジンクスもあてになっていないですけどね」
 テレ笑いを浮かべるちはるだった。どうやら橋本もちはるもそれぞれタバコの煙が苦手なのは共通しているが、匂いを感じることでその台が当たることを確信できたようだ。
 パチンコというのは当たることもあれば負けることもある。それを知っていたつもりだが、最初の頃は負ける気がしなかった。タバコの煙を感じていたからだ。
 それでも最近はタバコの煙を感じなくなった。パチンコ屋に頻繁に出入りすることで、他のタバコの匂いに慣れてしまって、特殊なタバコの匂いを感じなくなってしまったのだろう。大当たりが出る時もあるが、突然に当たるのだ。それだけにスリルもあるが、やはり感じていた匂いを感じなくなったのは寂しい。
 最近は眠気を感じなくなった。じっと前を見ていると自分の姿を感じなかった。
 だが、その日はまるで初めてパチンコ屋に入った時のような新鮮な感じがあった。
 いつも通っている店であるにもかかわらず、感じた新鮮さ。そこにはツキがあったのかも知れない。クーラーがかなり効いていたのか、寒気がするくらいだった。指先は痺れ、お腹が空いているのか、ムズムズしていた。パチンコを打つ時にいくらお腹が空いていようとも、ムズムズすることなどなかったのにである。
「私には、きっと幸運の女神がついているんだと思うんですよ。最初にパチンコをした時、隣にいたおばさんがいろいろ教えてくれたんですよ。その人の言う通りにしていれば、大当たりが出たんですよ」
 そう言いながら含み笑いを浮かべたかと思うと、
「私は天邪鬼みたいで、あまり人の言うことをまともに聞く方じゃないんですよ。でもさすがにその時は始めて入ったパチンコ屋で心細かったというのもあるんでしょうけど、素直にその人の言うことが聞けましたね。あんなに素直になったのって、学生時代以来なかったことですから、自分でも不思議でした」
 橋本も自分が天邪鬼だと思っている。
 本当なら人から指示されることを一番嫌うタイプである。子供の頃からよく親に怒られていたが、その時の記憶がよみがえってくるのだろう。責められているわけでもないのに、すぐに萎縮してしまって、何も言えなくなっしまう。いつもそんな自分が嫌で仕方がなかった。
 子供の頃など、親がどこか遊びに連れていってくれると言ってくれても、一応逆らってみた。逆らったからといって、どうなるものではないが、きっと注目されたかったのだろう。つい最近まで人に注目されたいと思っていたのだが、最近はひっそりとしていたいと思うようになっている。何をするにも気が乗らなくなったのと起因しているに違いない。
 その日のタバコの匂いは特に強烈だった。頭が重たくなったのを感じると、すぐに頭痛がしてくる。いつMっものようにまわりに人はいなかった。自分が打っている通路には数人がいるだけで、幸いにもタバコを吸う人はいなかった。最初に座った時はハシモト一人だったが、他の人は後から来たのだ。ずっと誰もいないと思っていたのだから、それだけ台に熱中していたに違いない。
 音の激しさもあるのだろう。耳鳴りを感じながらじっと見ていると、台が小さく感じられてくる。今までにもあったことだが、そんな時には必ず大当たりが出ていた。
「きっと今日も来るぞ」
 と思った瞬間である。大当たりが来るまでがスローモーションのように見えて、デジタルの止まった瞬間が見えたような気がしていた。
  この瞬間があるからやめられない。リーチが掛かってなかなか当たらないじれったい時間を過ごしながら願いを込めて止まったデジタルは、目の前で光って見える。
 先ほどのちはるの話にダブってしまう。だが、その話も遠い記憶のような気がするのはなぜだろう?
 ちはるを目の前にして、ジョッキーを口に運んでいると、酔いのまわりがいつになく早いように思う。
 元々アルコールが弱い橋本は、その時点で顔は真っ赤、さらに指が痺れているようで、今考えていることが本当に今のことなのかすら、分からないくらいである。
「今日は初めての台で当たったんですよ」
 ちはるがニコニコしながら話していた。
「え? 私もなんですよ。今までに初めての台で当たったことなんてありませんよ」
「偶然ですね」
 本当に偶然なんだろうか?
 パチンコ屋で、お互いに吸わないタバコを意識している。初めての台に座って大当たりを引き当てる。それがまったく違う店で打っていた二人なのに、その後同じ店で隣合せて飲んでいる。偶然で片づけられない気がしてきた。
 橋本はちはるにとって、ちはるは橋本にとって幸運を呼ぶ相手なのかも知れない。今まで出会うことがなかっただけで、出会ってしまったことがこれからの自分にどう影響するか、恐くもあるが、楽しみでもある。
 その日、橋本は家に帰らなかった。最初はちびりちびりと飲んでいたはずなのに、気がつけばかなり酔っていた。顔が火照ってきているのを感じていたが、それがここまでの酔いになるなど、思ってもみなかった。
 いくら弱いといっても意識がなくなるまで飲んだりしたような覚えはない。その後に襲ってくる苦しみを知っているからで、学生の頃に一度意識を失うまで飲まされたことがあるが、その思いは二度としたくない。要するに、自分が馬鹿をみるだけなのだ。
「こんなになるまで飲まなくてもいいのに」
 遠くで声が聞こえる。きっと病院のベッドで横になっていた時だろうか? 辛くて目を開けられないが、声の感じは一番薦めていた先輩に違いなかった。
 目が覚めて白い蛍光燈の眩しさが目を突き刺すようだ。そんな中、自分の記憶にある先輩の声、
――あんたが一番飲ませたんじゃないか――
 苦しみから動くこともできず、心の中で憤りを感じている。
 その時初めて無理に飲めないものを飲むものじゃないと感じた。意識がハッキリしてくるにしたがって、麻痺していた感覚が戻ってくる。そのため、痛さや苦しさが復活してくるのだ。
 その日の橋本は、苦しさというよりも、宙に浮くような心地良さがあった。悪酔いする時も同じような感覚になるのだが、それとはまったく感覚が違う。同じ宙に浮くような感じでも、悪酔いしている時には指先の痺れを感じない。それだけ意識と同様、身体の感覚も麻痺しているのだ。
 その日は指先に痺れはなかった。感覚が麻痺しているような感じではない。気がついた時には肌にまとわりつくシーツが心地良さを誘っていた。服を着ていないことが分かると、そこがホテルの一室であることを自覚するまでにそれほどの時間は掛からなかった。結婚する前の一時期利用したことがあっただけで、すでに三年以上は入った覚えのないところだが、シーツの心地良さで、そこがホテルであることはすぐに分かった。
作品名:短編集77(過去作品) 作家名:森本晃次