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短編集77(過去作品)

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 なるほど、マスターは二人ともパチンコの報酬によって二人がここに来ていることを知っている唯一の人物だったわけだ。
「あなたもパチンコをされるんですね?」
「ということはあなたも?」
 彼女の顔がさっきまでの恥ずかしそうな顔から、イキイキとした顔に変わった。目がキラキラ光っているように見えて一瞬たじろいでしまいそうなくらいだった。
「ええ、私はただの趣味に毛が生えた程度なんですけどね」
「それが一番いいと思いますよ。私もパチンコを初めてからだいぶ経ちますけどね」
 最初まだ二十歳代前半くらいかと思ってみていたが、パチンコはベテランと聞くと、橋本よりかなり年上に見えてくるから不思議である。好きなことや熱中していることで自分よりもベテランと聞くと、まるで大人と子供の違いのように思えてしまう。
「それはでもすごいですね。私はまだひよっこですね」
「そんなことはありませんよ。要するに楽しくて損をしなければいいんですよ。まぁ、それが難しいんでしょうけどね」
「ええ、その通りです。どこで見切りをつけるかって難しいですよ。パチンコに限らずなんでしょうけども」
 恋愛にしても何にしても同じことが言えるだろう。
 最近結婚した先輩が言っていたっけ。
「年貢を納めちゃったよ。結婚したいというのとは別に諦めの境地に達したのかな? どこで見切りをつけるか、それによって人生のターニングポイントが見えてくるんじゃないかな」
 結婚はゴールインではない。スタートラインなのだが、スタートラインに立つのにも見切りをつけなければならないのだろう。
「恋愛と結婚は別だ」
 とは、よく聞く言葉であるが、確かにそうだろう。そのことに気付くからこそ、結婚というものを真剣に考えられるようになり、人生のターニングポイントを見切ることができるのだ。
「あ、まだ名前言ってませんでしたね。私は橋本四郎といいます。あなたは?」
「私は竹下ちはると言います。よろしくね」
 すると横からマスターがちはるの説明に補足を加える。
「新婚さんなんですよ。数ヶ月前に結婚されたんですよね」
 ちはるに向かってそう言うと、ちはるもテレ笑いを浮かべながら、
「ええ、そうなんですの、でもパチンコの楽しみだけは忘れられなくて、今でも嵌まっています」
 パチンコ店のあの喧燥とした雰囲気、そしてもやが掛かったかのようなタバコの煙、どれもがちはるの雰囲気に合っていないように感じるのだ。
 雰囲気は間違いなく大人しめの女性である。甘い香りの香水が匂ってきそうな雰囲気だが、感じるには柑橘系の香りである。長いストレートな髪が肩まで伸びて、薄暗い店内の明かりではあるが、光って見える。
――シャンプーの香りがしてきそうだ――
 心の中で呟いていた。気がつくと目を瞑って、顎を突き出すようにして、うっとりしていた。我ながら恥ずかしさを感じたが、どうやらちはるもマスターも気付いていないのか、こちらを見る素振りはない。
 そんな綺麗な髪の毛にパチンコ店のあのタバコの忌まわしい匂いが染み付いていると思うと無性に腹が立ってくる。
「ちはるさんは、タバコは大丈夫なんですか?」
「前は苦手だったんだけど、今はそれほど感じないですね」
 橋本と逆ではないか。最近になってタバコの匂いに気付いた橋本は自分のまわりに吸う人がいなかったので余計にきつく感じている。ということは、ちはるのまわりにはタバコを吸う人ばかりだということだろうか?
「ちはるさん、おタバコは?」
「私は吸いませんわ」
 一瞬ホッとした気分になった。
 橋本もそんなに強い方ではないが、ジョッキーを軽く二、三度口に運んだだけで顔を真っ赤にしているちはるも、かなり弱いみたいだ。顔がテカッいて、まるでりんごを思わせる。
 そんな横顔を見ていると、ホッとした気分になってくる。今までであれば人妻と聞くとあまり話しかけようという気持ちにはならなかった。自分も結婚しているくせに、恋人になれる人を探しているからだろう。露骨に態度も違うかも知れない。男だからしょうがないというところもあるのだろうが、そんな自分が嫌になる。
 だが、ちはるに関しては違った。下心がないといえば嘘になるが、まるで独身の女性と話してるような楽しい気分になってくる。新婚といっていたが、少なくとも橋本と話している時は、そんな感じに見受けられない。
 それがちはるの性格なのだろう。いいのか悪いのか分からないが、話していて違和感を感じない。同じ趣味を持っていて、それについて話しているからだろう。
「タバコの匂いって、自分は苦手ですね」
「そうね、最近は臭いのきついタバコがあるみたいだから」
「そうなんですか、タバコを吸っている人は近づいただけでも分かりますからね」
「結構神経質なところがおありなんですね」
「そうなんですよ」
 確かに橋本は神経質である。かといって整理整頓が得意というわけでもなく、ある意味いい加減なところがある。あまりいい傾向ではないかも知れない。
「でもあなたを見ていると、そこまで神経質に見えませんね。本当に神経質な人は顔を見ればすぐに分かります」
「ご主人さんは神経質なんですか?」
「曲がったことが嫌いで、実直な性格ではあるけど、それほど神経質というわけでもないわ」
 橋本と似ているように感じた。理不尽なことが嫌いで、それが神経質に見えるからだ。だが、その理不尽さというのも、あくまでも自分の尺度であって、他人が見てどこまで理不尽なことか分からない。だからこそ自分でも神経質だと思っているに違いない。
 喫煙する人のマナー、以前は目を見張るものがあった。最近でこそ見かけなくなったが、駅などが全面禁煙となり、一箇所に灰皿を置かれ、そこが唯一の喫煙場所となった。タバコを吸う人の中にはまだ自分たちの立場を把握できていないのか、灰皿がなくともタバコを吸い、そのまま線路やホームの後ろにポイ捨てをするというとんでもない連中がいたりした。
 見ていてこれほど腹が立つことはない。普通にルールを守って吸っている愛煙家の人たちまで色眼鏡で見てしまっている。ごく一部の人たちのために、色眼鏡で見られる愛煙家もたまったものではない。そこにモラルなどという言葉は存在せず、まわり全体を不快にさせる諸悪の根源が存在しているだけだ。
 最近の橋本は、少し人間不信に陥っている。自分のことはよく分からないにしても、まわりにいる人間のほとんどが理不尽な連中に見えてしまっているようだ。きっと自分の中の歯車がどこか狂っているのだと思うが、それを元に戻す術を知らない。
 何が元だったのかが分かっていないからだ。
 あまり目立つこともなく、平凡に暮らして行こうと考えるようになったのも、狂った歯車を元に戻そうという意識が働いてのことなのだ。自分を客観的に見ることであまり熱くならず、冷静に見ることができれば狂った歯車を元に戻せそうな気がしていた。だが果たしてそうなのだろうか?
 冷静なのは元々の性格で、冒険をしようとはしない。ギャンブルにしても最近始めたパチンコだけで、それ以外はやってみようとは思わない。
「ギャンブルに思い入れ過ぎは危険だ」
作品名:短編集77(過去作品) 作家名:森本晃次