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短編集77(過去作品)

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 おじさんはそういってニコニコ笑っている。それから先、どのようにして箱が一杯になったのか、あまり記憶にない。ただ、橋本の顔を見てニコニコ笑っているおじさんの顔を横目に感じながら顔は台を見つめていたような気がしている。
――このおじさんはきっと常連さんなんだろう――
 そう感じたが、間違いないはずだ。店員を呼んでくれて、その後の手際のよさはさすがと思わせた。
――怖い人ばかりだと思っていたけど、そんなこともないんだな――
 橋本がパチンコ店に対しての偏見がなくなったのは、そう感じたからだ。
 本屋に行って雑誌のコーナーを見てみる。
「こんなにいっぱいパチンコ雑誌があるんだ」
 と感じるとなぜか嬉しくなってきた。パチンコが庶民の娯楽なんだということは聞いていたが、まさにその通りだと感じた。テレビのCMなどでよく「娯楽の殿堂」という言葉を聞く。まさしくそれがパチンコなのだ。
 といっても、さすがに身を崩すようなことはしない。勝ったり負けたりがパチンコで、「勝つ時には謙虚に、負ける時にはアッサリと」
 というのをモットーにしている。
 雑誌での攻略法を見ていれば楽しいものだ。本当にそのとおりにしていれば必ず儲かるというものでもなく、統計からくる情報であることは最初から分かってみているつもりだ。
何しろ、雑誌ごとに書いてあることが違うのだから、その信憑性も疑わしいものだ。
 パチンコに熱中していると、時々パチンコを知らなかった頃のことを思い出す。懐かしいという気持ちが一番強いが、もし知らなかったらどんな人生だったんだろうとも考えてしまう。
――きっと楽しみのない平凡な人生だっただろうな――
 それは会社でだけでなく、私生活もその延長にあるという意味である。会社と家の往復も、何を考えることもなく、何があっても、それがいつのことだったかすら覚えていないそんなつまらない人生。そこに懐かしさを感じるのだろうか?
 一度知ったパチンコの楽しさは、他の感覚をすっかり麻痺させるものである。食事をするのも、寝る時間すらもったいなく感じてしまう。そんな中でタバコの煙なんて、いったいなんぼのものだというのだろう。
――女を知らないからかな?
 いずれ知るであろう女の身体、妄想に近いものを抱いていた時期があった。まだニキビが気になって仕方がない頃だった。まわりで女性を知らない男は自分だけではないかと思えてくる時期でもあった。
 パチンコというのは勝つ時もあれば負ける時もある。しかし、不思議と橋本はそれぞれの時期が集中していた。
 きっと大きな勝負はしないからだろう。勝っている時に謙虚な気持ちで望むことが、負けない秘訣なのだ。パチンコでは勝とうと思わず負けないことを心掛ける。それが橋本の考え方だった。
 本当のギャンブラーではない。もちろん、普通に仕事も持っているのだからギャンブラーになろうなどとは毛頭思っていない。だからこそ謙虚な姿勢で台に向うことができ、楽しみパチンコができるのだ。
 欲がないからいいのだろう。負けないことが勝ちだと思っている。金儲けが本来の目的ではないのだ。
 勝つ時は二、三回くらいは続けて勝つものだ。そんな時、気持ちが大きくなったり、自分に自信が生まれたりするものである。
――今ならツイてるぞ――
 などと勝っている時に考えるのは橋本だけではないだろう。
 かといって調子に乗って打ち続けたりはしない。たとえ大もうけをしたとしても、そこで運を使い果たしてしまう気がするからだ。だが、そんなことも希で、結局は負けてしまうのがオチであろう。
 まだ二十歳代前半というと、世の中のことが中途半端にしか分かっていないためだろうか、漠然と自信過剰になれる時期である。
――いいことが続きそうな気がする――
 と思えば、案外いいことが続くものだ。怖いもの知らずなのが功を奏するのか、それとも予感めいたものがあるのか、いいことが起こりそうな時は分かるものだ。
 しかし悪いことが起こりそうな時も分かる時があり、一長一短でもある。
 ちはるという女と知り合ったのはそんな時期だった。
 パチンコで勝ちが続いていて少し気持ちが大きくなっていた。その頃橋本には馴染みの飲み屋があり、勝った時など、そこでビールを呑みながら焼き鳥を食べることが多かったのだ。
「橋本さん、最近は景気がいいのかい?」
「そうですね。今はツイている時かな?」
「ツキも実力のうちっていいますぜ」
 マスターはいつもニコニコしている。ツイていない時に見ると、これほどムカムカくる顔もないだろうと思えるほどで、だからこそ勝った時にしかこの店には来ないのだ。
 それをマスターもよく知っていて、ここ数日ほとんど顔を出している。それでもパチンコもキリのいいところでやめるので、店に来る時間はまだ宵の口だった。
「今日は早いね」
 珍しく、座った台が最高の台で、打てば掛かる感じであっという間に箱がいっぱいになった。さすがに夏、終わって表に出るとまだ完全に夜の帳が下りていなかった。
 昼の間に熱を持ったアスファルトから、もわっとした暑さが立ち上ってくる。気だるさを感じながらであるが、それでも懐の暖かさが心地よい満足感を与えてくれる。
 夏の時期は縄のれんがかけられていて、実にほっとした気分にさせてくれる雰囲気が好きだった。最初に入ったきっかけはこの縄のれんを見たからだ。もうそろそろ常連になってから一年が経とうとしている。他の常連客とあまり話すこともなく、一人で呑んでいる常連は多いのだろうか?
「そうですね。一人で来られる方も多いですよ。あまり人と話すこともないですね。本当に一人で飲んで、すぐに帰られます。その店橋本さんは私に話しかけてくれるから嬉しいですね」
 マスターの言葉は嬉しかった。
「女性で一人で来られる方もいますよ。一人で黙ってのんでいる人もいるし、私に話しかけてくれる方もいます。どちらもありがたいお客さんですよ」
 そんな話をしている時にちょうど女性が入ってくるというのも、橋本にとって偶然というより何か運命のようなものを感じてしまうほど、ツイている気分になっていたのかも知れない。
 まだ店内は早いせいか、橋本しかいなかった。
「こんばんは」
 透き通るような高い声が橋本の鼓膜を刺激した。久しぶりにこれほど高い声を聞いたと感じたのと同時に、声に懐かしさのようなものがあったことで、思わず声のする方を振り返った。
 彼女は橋本の視線を感じていたのかいないのか、すぐに橋本の二つ隣の席に腰掛けた。他に客がいないので、ほとんど隣に座っているような感覚に陥ってしまう。
「初めてお会いしますね。いつもこの時間なんですか?」
「いえ、もう少し遅いことの方が多いですね」
 彼女にはパチンコが早く終ったからだと言いたくなかった。
「私も遅い時もありますが、このくらいの時間もありますね」
 正面を見るとマスターがニヤニヤと含み笑いをしている。
「嫌ですわ」
 マスターの表情に気付いたのか、彼女は恥ずかしそうにしている。
「いえね、彼女のパチンコの腕前もなかなかなものなんですよ」
作品名:短編集77(過去作品) 作家名:森本晃次