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短編集77(過去作品)

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タバコの臭い



                 タバコの臭い


 橋本四郎、彼のサラリーマン生活は、今まで実に平凡なものだった。会社でも目立つことはなく、忙しくない部署でそれなりに失敗もなく無難に仕事をこなしていた。仕事を無難にこなすためか、与えられた以上の仕事をするわけでもなく、残業もあまりすることはない。まだバブルがはじける前のこと、それで会社としては十分だった。
「人は余るほどいるんだ、普通に仕事をこなしていればそれでいいんだ」
 そんな時代だった。
 結婚も二十代後半だった。これもほとんどまわりの反対を受けることなくスムーズなゴールインだった。橋本自身、勤めている会社の知名度はかなりなものがあり、大企業としての名前も通っているので、社会的立場も悪くはなかった。彼女の親も、平凡な生活を歩んできた人らしく、奇抜な考え方をしている男よりも橋本のような無難な生活を歩んでいる人の方が好ましかったに違いない。
 すっかり父親とは意気投合していた。
「橋本君は、趣味とかあるのかね?」
「そうですね、これといってはないですが、しいて言えばミステリーを読んだりするくらいですか」
「ほう、ミステリー。私も青田拓郎の小説は好きでよく読んでいたよ」
「え、お父さんもですか? 私も青田拓郎氏の作品を好んで読んでいますよ」
「それは奇遇だな。仕事の疲れを癒すにはあのくらいの作品が一番いいんだよ」
「まったく同感ですね」
 この話が二人を結びつけた。確かに父親の言うとおり青田拓郎の小説は、あまり考えることもなくさらりと読めるストーリーで、展開も早いため、あっという間に読破できる。それでも最後の数ページにクライマックスが潜んでいるので、読み終わってからの余韻もしっかり残っているというものだ。橋本はそんなところが気に入っていた。きっと父親も同じ意見なのだろう。
 青田氏の作品を読んでいると、一気に読破できることから生活が充実して感じられる。それが彼をベストセラー作家へと押し上げた理由だろう。
 それにしても、よくあれだけのアイデアが生まれるものである。年にいったいどれだけの作品を発表しているのだろう。気がつけば本屋に新作の文庫本が並んでいて、一度に文芸雑誌数冊で連載しているというすごさである。
 不思議なことに、作品のほとんどがまったく違う作品であるにもかかわらず、読み終えて感じるのは、
――どこか一本同じ筋を感じる――
 という思いだった。違う作品でも求めているものが同じということなのだろうか。最後の数行でのどんでん返しが、橋本の心をいつもドキドキさせていた。
 平凡な生活に唯一刺激があるとすれば、青田氏の作品を読んで感動することくらいだろうか。本当は仕事で感じなければいけない感動なのかも知れないが、青田氏はそれでよかった。どこか冷めたところのある青田氏は仕事にも会社にも、自分を出すことなく、一歩距離を置いている。自分を枠の外に置くことで、客観的に見ることができるという利点があるような気がしているからだ。
 当時の橋本は、すぐに頭痛を起こしていた。
 最初は仕事が嫌で、身体が勝手に拒絶反応を起こしているのではないかと思ったが、そうでもないようだ。当時、仕事が終わって時間がある時に時々で掛けていたパチンコ店、そこでのタバコの煙によるものであることを最初は分からなかった。
 元々タバコは吸わない方である。アルコールは適当に嗜む程度に飲んでいるが、タバコだけは受け付けない。
「あんなもの、百害あって一利なしさ」
 まわりに嫌煙家が多かったことも橋本にとって幸いだった。
 それでも子供の頃はタバコの匂い、嫌いではなかった、父親が好きでよく家でも吸っていたからである。しかしある日を境にそのタバコを父親がやめてしまった。健康のためらしいが、確かにいいことだ。
 なかなかやめることができないで苦労している人が多い中、スッパリとやめてしまった父親を見ていると、タバコを吸うことなど金輪際ないと誓える自分を感じるのだった。
 元々タバコというもの自体冷めた目で見ていた橋本は、父親の件がなくとも自分から吸うことはなかったかも知れない。しかし父親の行動がその気持ちに拍車を掛けたのは間違いない。その時初めて誰かを尊敬した橋本だった。
 しかし時代が移り行く中で、嫌煙家の立場は強固なものとなってきた。ちまたでは禁煙席が増え、喫煙家が肩身の狭い思いをしている。タバコを吸わない者にとっては実に嬉しいことである。特に女性や子供には嬉しい限りだろう。マナーの悪い一部の喫煙家の中には禁煙場所で喫煙する不逞な輩もいて、腹の立つことも多かったが、それでも嫌煙家が力を持ってくると、不逞な輩など、一網打尽だった。厳しい目で見られたらひとたまりもなかっただろう。
――やっぱりタバコは諸悪の根源なんだ――
 とまで感じたほどだった。
 それにしても最近のタバコは変わってきたのだろうか? 小さい頃はそれほど頭が痛くなるほどのタバコを感じたことはなかった。禁煙場所が増えて、ほとんどが過ごしやすい環境になったため、昔のようにタバコの匂いが染み付いたところを気にしなくなっただけなのかも知れない。
 だが、明らかに違うような気がする。喫煙家は身体の中からタバコの匂いが染み出しているように思うくらいである。
 タバコの煙を気にせずいられる場所、それはパチンコ屋くらいだろうか? 気にせずという言い方は適切ではないかも知れない。タバコの煙を気にするよりも熱中しているからというべきである。
 橋本がパチンコを始めたのは、入社して三年経った頃のことだった。
 その時、実はまだパチンコ屋に入ったことがなかったのだ。近くを通っても入ろうという気にならなかったのは、やはりタバコの煙が気になったからだろう。
 そしてテレビの影響も大きかった。どうしてもパチンコ屋というと大人の世界というイメージが強く下手に立ち寄ると焼けどしてしまいそうに感じたからだ。
――自分のような平凡な男が立ち寄るところではない――
 これが本心だった。
 本当に自分は平凡な人間だと思っていた。まだ子供だったのだ。確かに今だって本当の意味での大人ではないと思うが、いわゆる「大人の世界」を垣間見るにはそれなりの度胸がいると思っていたのだ。
 しかしきっかけなど単純だった。出張に出かけて予定よりも仕事が早く終わったこともあって、一人で夜の街に出かけた時だった。いつも通っている道とは違う風景は、明るさを感じ、悩ましいネオンサインを感じるのだが、なぜか気が大きくなっていた。
 駅前に立ち並ぶパチンコ店。少しくらいならいいだろうと思い、そのうちの一軒に入ったのだ。
 やり方も分からずに、とりあえず玉を買って遊んでみる。
「にいちゃん、当たるよ、それ」
 隣にいたおじさんがそう教えてくれた。
 何をどう見れば分かるのか不思議で、聞こえないふりをして台を見ていれば、けたたましい音とともに、目の前の画面がしきりに点滅を始める。
「にいちゃん、初めてかい? 落ち着いてやれば大丈夫だ」
作品名:短編集77(過去作品) 作家名:森本晃次