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記憶

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 だが、あくまでも些細な問題なのである。いちいちそんなことを気にしていては、せっかくのゲームを台無しにしてしまうと思ったあすなは、なるべくゲームをしている時は、そんな思いを忘れるよう試みていた。
 だが、ゲームの中の克幸は、あすなのそんな気持ちを分かっているかのようだった。たまに落ち込んだような表情になる克幸をあすなは分かっていて、分かってはいるが触れることができなかった。
 あすなは自分で自分の躁鬱を意識しているので、克幸の様子から落ち込んでいる時の雰囲気は誰よりも読み取ることができると自負していた。それは克幸に対してだけではなく、他の人にも言えることなのだが、今は克幸しか見ていない自分なので、見えるとすれば、克幸だけだとあすなは思っている。
 克幸があすなの気持ちが分かるのだということをあすなが意識したのは、しばらくしてからのことだった。
 それまでは、
――ゲーム中でのことだから――
 という意識があってのことだったが、それだけの機能が含まれていることは、育成ソフトの頃を見ていると容易に想像がついた。
 だが、克幸があすなの気持ちを分かるようになったというのを感じるようになると、あすなは急に違和感を感じるようになっていた。その違和感がどこから来ているものなのかすぐには分からなかったが、克幸の実写画面を見ているうちに分かってくる気がした。
――確か、このゲームは、育成ソフトの間は人間に比べて相当早いスピードで成長するけど、設定した年齢に至ると、そこからは恋愛シミュレーションとなり、その人、いわゆる人間と同じ速度で成長していくことになるって言っていたわよね――
 ということを思い出した。
 だが、今あすなは一つの疑問を持っていた。
――どうして最初にこの疑問を感じなかったのかしら?
 と思うほどだが、思い返してみると、そのことを感じたのかも知れないが、そのことを考えないようにしようと思ってからか、その後は、考えていなかったことにするという思いに至ったと感じたのだ。
 その疑問というのは、
「このゲームの週末はどこにあるのだろう?」
 というものである。
 同じ年齢で進むのであれば、プレイヤーが二十歳になれば、ゲームの人も二十歳になることになる。
――ゲームに寿命ってあるのかしら?
 と思い、綾香に聞いてみたが、綾香は知らないという。
 あすなはもう一度メーカーのサイトを見てみたが、ゲームの仕様にはそこまでは書かれていなかった。要するに誰にも分からないということなのか、それとも、これが一種の「ネタバレ」のようなものとなり、プレイヤーにゲームへの意欲を失わせるものとなると考えたのか、結果として、ゲームのラストは「謎」なのである。
 ただ、ラストはあるもので、基本的に、
「恋愛シミュレーションとしての機能が失われたら、ゲームはそこで終わり」
 ということになるのであろう。
 あすなが現実の男性を好きになって克幸を忘れてしまうというのが、一番考えられるシナリオに思えた。
 でもあすなとしては、
「そんなの嫌だわ」
 と思っている。
 せっかくゲームをしているのに、余計なことを考えて興味が半減するのを恐れた。やはり、結末を知るのは。このゲームとしては危機的状況になるのだろう。
 あすながゲームを始めてから、いつの間にか克幸が「お兄さん」的な存在になっているのに気付いた。
 最初は、
「彼氏になるのだから、自分よりもしっかりしていて、お兄ちゃん的存在になってくれるのが一番いい」
 と思っていたが、それよりもさらにお兄ちゃんとしてのイメージを感じるのは、実はあすなにはお兄ちゃんがいたのだが、あすなが生まれる前に死んでしまったという事実があるからだった。
 あすなは、その事実を忘れていたわけではなかったはずなのに、育成ソフトをするようになってからは、完全に意識していなかった。
――このゲームには、何かを忘れさせるという特殊な能力が備わっているのかしら?
 とまるで都市伝説の類のような発想を感じていた。
 あすながお兄ちゃんがいたという事実を知らされたのは、小学三年生の頃だっただろうか。母親がお兄ちゃんの月命日にはいつも哺乳瓶でミルクを供えていたからだった。小学三年生になって、それがどこか不自然だったこともあって母親に初めて訊ねた時、
「実は、お前にはお兄ちゃんがいたんだよ」
 と教えてくれたのだった。
 どうやら、母親はあすなにいつその話を伝えればいいのかを考えていたようだ。小学三年生ではまだ早いと思っていたが、小学生の間には話すべきだと思っていたようだ。あすなの方から聞いてくれたことで母親としても気が楽になったのか、それまでためていた思いをぶつけてきたようだったが、あすなに母親の気持ちが分かるはずもないので、その話を聞いた時、母親の少しむせぶような話し方に圧倒された気分にはなったが、話を聞いていくうちに、気持ちが伝わってきたのか、母親が話したかったということだけは分かった気がした。
 お兄ちゃんがいたという事実をこのゲームを始めた時、きっと忘れてしまっていたのだろう。記憶から消されたことを後で思い出すというのは、不思議な感覚である。
――もし、このまま思い出さなかったら、どうなるんだろう?
 と不思議な気持ちになっていた、
 思い出すことがないのであれば、何も感じるはずもないだろう。それなのに思い出さなかった場合のことを思慮するというのは、まるで手応えのないものを蹂躙するような気分である。
 あすなにとってそんな気分にさせられたこのゲームは、自分がこのゲームにおいてどのような役割を果たしているのか、あるいは逆にこのゲームが自分にとってどのような影響を与えているのかを考える指針ではないかと思えた。
「たかがゲーム」
 であるが、
「されど、ゲーム」
 でもあるのだ。
 しかし、あすなはゲームが恋愛シミュレーションに入ったとたん、それまで忘れていたお兄ちゃんのことを思い出した。
 お兄ちゃんのことを忘れたという事実、そして恋愛シミュレーションに入ってから思い出したという事実、その両方を鑑みると、あすなはこのゲームが自分に与える影響の方が大きいと思うのだった。
 あすなは克幸を見ていると、
「まだ見たことがない」
 そして、
「永遠に見ることのできないお兄ちゃん」
 を意識せざるおえなかった。
――お兄ちゃんが生きていれば、こんな感じだったんだろうな――
 と感じて、克幸を見た。
 すると、微笑んでいる表情なのだが、その奥に悲しみを感じさせるような表情が潜んでいると感じると、あすなは自分の母親がどうして自分に兄がいたということをすぐに話してくれなかったのか何となくだが分かった気がした。意識をすることもなく事実だけを知るというのは、兄に対して申し訳ないような気がしたのだ。
 あすながお兄ちゃんのことを思い出していると、その様子を克幸は黙って見守ってくれているような感じだった。あすなにとってお兄ちゃんのイメージはまったくない。兄がいたということを聞いても、
――だから何なの?
 という実に冷めたような印象を受けたのが最初だったように思う。
作品名:記憶 作家名:森本晃次