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記憶

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 だが、あすなも本当に相手の考えていることをすべて看破しているわけではなかった。肝心な部分は見えてこない。まるで逆光で相手の顔を見ているようで、逆光だから見えていない顔ではあるが、見えていないのをいいことに、顔が存在していると思い込んでいるだけで、本当はその顔には目も鼻も口もない「のっぺらぼう」なのかも知れないという思いも浮かんでくるのだった。
 あすなは相手の顔をじっくりと見つめることをしたことがない。それは自分がされたら嫌だと思うからだ。
「自分がされて嫌なことは、相手にもしない」
 というのがあすなの基本的な考え方で、この思いがあるから、相手に信用してもらえるのだと思っていた。
 その感覚は間違っているわけではないだろう。だが、そう思いながらも相手のことをじっと見てしまう自分がいるのも事実で、それは無意識に見ているというよりも、もう一人の自分が出てきて、相手を凝視しているという感覚だ。だからあすなの意志ではなく、無意識のうちにやっていることで、急に我に返ってハッとすることがあるが、それは急に表に出ていたもう一人の自分が、隠れてしまうからであった。
 あすなは思春期になっていろいろ変わったと思っている。しかし、その中で変わったというよりも新たに感じるようになったこととして、
「自分がしていることも相手がしていることだ。相手がしていることを自分が嫌だと思うと、相手にはしてはいけないんだ」
 と思うようになったことだった。
 小学生の頃、いや、思春期に入る前のあすなは、他人のことを意識することはあっても、こんな感覚になったことはない。これはいいことなのだと思うが、マイナス面がないわけではない。むしろこのマイナス面が思春期の中である意味、一番あすなを苦しめることになってしまったのではないかとも思えるのだ。
 特に小学生の頃から感じている躁鬱状態を繰り返すことは、自分だけではないと思うようになると、まわりの人のその時の状態をどうしても意識してしまう。
――ひょっとして今はこの人は鬱状態なのではないだろうか?
 と感じると、うかつなことは言えないと思うのだった。
 自分が痛い思いをしている時、あるいは苦しい時というのは、放っておいてもらいたいと思うものであり、あすなは、たまに寝ていて足が攣ることがあるが、そんな時、なるべく声を出さないようにしている。
 実際には声を出せないほどの痛みが襲ってくることもある。呼吸困難になり、息ができない状態で声など出せるものではないからだ。
 こんな時、まわりには誰もいないのは分かっているが、もし誰かに触られるのはもちろん、痛がっているのを心配されて、
「大丈夫?」
 などとまるで怖いものでも見るような視線を浴びせられると、痛みは究極に達するのではないかとあすなは感じていた。
 今まで誰かの前で足が攣ったことがないのは幸いだったが、そのおかげか、本当の究極の痛みを感じたことはない。思っているよりも大したことはないのかも知れないが、意識を失うほどの痛みが襲ってくるのかも知れないと思うと、やはり恐ろしい。
 あすなの思春期はまだ途中なので、終わってから思春期のことをどう感じるかというのを、今から想像することもあった。
 だが、考えてみれば、いつを持って思春期の終わりだと言えるというのか、思春期に入った時は、何となくだが感覚があった。それは鬱状態の時、躁状態への移り変わりを予想する。
「トンネルの中の黄色いライト」
 のようなものを彷彿させる何かがあったわけではない。
 だが、鬱状態の時に感じた、明らかに普段とは違う見えている背景の色の違いのようなものを感じた気がしたのだ。
 鬱状態と背景の色というのは、黄色掛かった空気だった。まるで黄砂が舞い降りるような黄色い膜のようなものが目の前にあり、サングラスでも掛けているような感覚である。
 思春期に感じた色は、赤だった。
 あすなは赤い色を感じたことで最初に想像したのは、
「血の色」
 だった。
 それは、初潮の時にも感じたことだったが、目の前に赤い膜のようなものが貼られたのだ。
 その膜は夕焼けの赤とは違う色で、深紅の鮮やかなものだった。実際の血の色というのはもっとどす黒いもので、あまり見たくない色だという印象だが、思春期になって見えた膜になった赤い色は、深紅の鮮やかな赤だったのだ。
 あすなが初潮の時に感じたのは、色だけではなかった。鼻をつくようなひどい臭いで、それはまさに血の臭い。鉄分を若干含んだような臭いで、実際に齧ったことはないが、実際に齧ったとすれば、こんな臭いなんだろうと思わせるような臭いだったのだ。
 思春期に入ると、そこまでひどい臭いではないが、鉄分を含んだ嫌な臭いを感じることが時々あった。それが生理の前というわけではなく、規則性はあすなの中で感じられなかった。
 ただ、その時は膜が貼った赤い色がさらに鮮明になっていて、
――どうしてこんなに鮮明に感じるのだろう――
 と思ったが、その理由もすぐに分かった。
 飛蚊症という言葉があるが、目の前に蚊が止まったようなイメージというか、クモの巣が張っているかのようなイメージである。
 これは冷静に考えると、毛細血管が浮き出しているのを網膜が捉えているからだと分かるのだが、そんな状態になる時も何か規則性があるわけでもなかった。急に襲ってくるものであって、長い時は一時間近く、短くても十数分は、前をまともに見ることができないほどに視界が限定されてしまっている。
 時間がくれば、その状態は脱するのだが、その後には頭痛が待っていた。
 いつもいつもというわけではないが、四回に三回は襲ってくる。意識としては、
――ほとんどと言っていいほど頭痛に見舞われる――
 と感じているのは、それだけ頭痛に見舞われた時の痛みが印象に残るからであろう。
 頭痛と一緒に吐き気も襲ってくる。病院に行くと、
「目の疲れからくるものでしょうが、精神的にあまり疲れないようにしてください。精神の疲れが無意識に何かをしっかり見ようという感覚にさせられるので、それが影響してこういう症状になるんでしょうね。とりあえずはまだ若いんだから、あまり深く考えないことです」
 と言われた。
 あすなは、思春期ならではの感覚で、
「私くらいの他の人も同じようなことがあるんでしょうか?」
 と聞いてみた。
 先生は笑って、
「ええ、思春期には多いんじゃないから? 特に女性は発育が男性とは違うので、身体のいろいろな部分に負担がかかってしまうこともあるんじゃないかって、先生は思っていますよ」
 と言われた。
 あすなは、ホッとした気分になり、少し笑顔を見せたが、
「そうそう、その笑顔をしていれば、痛みはすぐに治まるよ。先生も君のその笑顔が好きだよ」
 と言ってくれた。
 病気の時に、信頼する相手にそう言われると、救われたような気がする。あすなは先生の言葉を全面的に信じ、
――これは思春期には誰もが陥ることなんだ――
 と思うようになった。
作品名:記憶 作家名:森本晃次