記憶
だが、せっかく二人きりになったのだからと、相談するのもいいのだろうと思い、自分の気持ちを話すようになった。
「私もそうなのかしら?」
「自己暗示に掛かりやすい人って自己暗示に掛かるまでは自己暗示を意識するんだけど、掛かってしまうと、もう自己暗示に対してあまり意識しないようになるんですよ。自己暗示を意識するということは、自己暗示に掛かることを怖がっているので、意識も半端ではないのよね」
先生の特徴として、意識している言葉を何度も繰り返して口にする方なのだろうとあすなは感じた。
先生は続けた。
「でも自己暗示に掛かってしまうと、それが免疫になってしまい、感覚がマヒするのか、もう意識することはないんですよ。無意識に意識しているとでも言えばいいのか、意識しているという自覚がなくなるんですよね」
先生の話には説得力があった。
元々人に相談できることではないと思っていただけに先生に相談できたことは嬉しかった。先生はまだ二十歳代前半くらいであろうか。結婚しているんだろうか? あすなは白衣姿の先生を見ながら、
――できれば結婚していてほしくないな――
と感じた。
先生が見知らぬ男性と一緒に歩いている姿が思い浮かんできた。その姿は、人に見られたくないという意識があるのか、まわりを意識しているくせに、自分たちを意識されたくないという思いから、背中を丸めている。
その姿は、中学生のあすなにも、却って目立つように見えるのではないかと思う。分かっていないのは本人たちかも知れない。あすなにとって先生はモテる女性であってほしいとは思うが、まわりにまわりを意識している先生の姿は、どこにでもいる普通の女性に見えて、それが嫌だった。
しかも先生と一緒にいる男性は、先生とはお世辞にも似合うとは言えない、冴えない男だった。だが、よくよく考えてみると、先生のような頼りになる女性ほど、頼りない男が寄ってきて、そんな男性に母性本能を抱くとすれば、先生のような女性ではないかと思うのだった。
先生が他の男性といる姿を想像していると、
――これは想像ではなく、妄想なのかも知れない――
と思うようになった。
思春期の女の子が抱く妄想は、少女マンガを見ているせいか、淫蕩な香りを感じさせる。恋愛小説も読むが、ひょっとすると少女マンガよりも妄想力が鍛えられたかも知れない。ただそれも少女マンガの絵を見ているからできる想像であって、抱き合わせが最強になるという意味が含まれているのかも知れない。
あすなにとって先生は憧れであり、不思議な存在でもあった。いつも一人でいる光景を見ていて、
――これほど一人が似合う女性はいない――
と思えるほどで、格好のよさを感じさせる。
先生は女性としての魅力以外に、男性のような凛々しさも感じさせる。そういう意味ではさっき妄想してしまった、
「頼りない男」
と、人目を避けるようにしている姿は、どこかおかしな感覚がした。
妄想の中では、目の前に見えている先生とは正反対のイメージであり、それは先生の隠された決して表には出せない裏の部分なのかも知れない。
「あすなちゃんは、自分が自己暗示に掛かりやすいと思っているの?」
「ええ、でも、実際に自己暗示に掛かっているということを意識したことはないんです。そもそも自己暗示というのがどういうものなのかというのも分かっていないんですよ。ひょっとして自己暗示があるのではと思ったのは、小学生の頃、おばあちゃんの家に行った時、霊感のようなものを感じたからだって思うんです」
「霊感のようなもの?」
「ええ、お化けを見たとか、金縛りに遭ったというわけではないんですが、何かに見られているという意識だけは強くて、結局その正体が何かは分からなかったんですが、その時に自分は霊感が強いんじゃないかって思うようになったんです」
「それで自己暗示にもかかりやすいと?」
「ええ、今日のように貧血になりそうな時の予感がその直前にはあるんです」
というと、
「それは錯覚かも知れませんよ」
と先生に言われた。
「それはどういうことですか?」
「貧血になったという意識をその直前に感じたと言ったでしょう? でもあすなちゃんは意識がなくなるその過程を感じていましたか?」
「いいえ」
「本当に前兆を感じたのであれば、貧血に陥って意識が遠のいていく時に、それを感じるはずなんです。だから錯覚ではないかと……」
「じゃあ、私が感じたものは何だったんです?」
「あれは、貧血で倒れてから意識が戻りつつある中で、あすなちゃんは自分が意識を失った瞬間だけ覚えていて、他の瞬間に関しては忘れてしまっていると思うのよ。それを戻りつつある意識の中で思い出そうとすると、それは意識を失った瞬間から自分の中で意識を組み立てようとするのよね。その時、意識を失った時の印象を勝手に組み立てたことで、自分の中で新鮮に感じることで、想像していることを、まるで前もって感じたことのように思うことがある。一種の『デジャブ』のようなものなんじゃないかって先生は思うの」
「なるほど」
先生の言っていることは分かる気がした。
一本船が通った説得力を感じたからだ。だが、信憑性があるわけではない。それでも最後に先生がデジャブと言う言葉を口にしたことで、デジャブと一緒に考えて、
「デジャブが信憑性を作ってくれているんじゃないか」
と考えるようになった。
「あすなちゃんを見ていると、ちょっとだけナルシストなんじゃないかって思うの」
先生はいきなり何を言うのだろう?
「ナルシストって、あまりありがたい言葉ではないですね」
「そうかしら? ナルシストという言葉で一括りにしてしまうと、あまりいい意味には取られないかも知れないけど、目立ちたいと思う人がナルシストだと思えば、決して悪いことばかりではないように思うのよ」
「そうなんでしょうか?」
あすなは、先生の話に半信半疑だった。
ナルシストという言葉は今までロクな意味で使われていないとしか思っていなかっただけに、先生の話にもどこか言い訳的なニュアンスが感じられ、話を聞いていて、どうしてもこれ以上いい意味を感じることはできないと思うのだった。
「人間って思い込むと、どうしても自分の殻に閉じこもって考えてしまうでしょう? それって一種の自己暗示じゃないかって思うの。そういう意味では自己暗示の強弱はあっても、人間であれば誰でも持っているものであり、切っても切り離せないものだって感じるんだけど、これも思い込みだって言われたら笑っちゃうわね」
と言って、自嘲していた。
先生はあすなに向かって微笑みかけているが、あすなはそれにどのように対応すればいいのか戸惑っていた。まるでヘビに睨まれたカエルのような雰囲気に、身体から油が出てしまうのではないかと思ったほどだ。
先生と話をしていると、いきなり話が明後日の方向に飛躍しているように思う。その瞬間に、我に返った自分を感じるのだが、いつの間にか先生の話に引き込まれていて、唐突な話だったはずのものが、最初の話に戻ってくるというスパイラルを感じる。
これは決して、
「負のスパイラル」
ではない。