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短編集76(過去作品)

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 まるで妄想ではないかと思えるほどの計画、さすがの洋三も驚いて空いた口が塞がらなかった。
「なぜ、そこまで……」
 それは彼女の父親に拝謁した時にハッキリと分かった。父親の職業は銀行員で、しかもかなりの潔癖症ときている。さらには、母親が体裁を重んじる人らしく、そんな両親の間で育ったのだ、ある程度固い性格になっても当然といえよう。
 両親の性格は似通っていた。お互いにお互いのことが分かるので、なるべく怒らせないようにという保守的な夫婦生活だったのではないかと思えるほど、雰囲気は重かった。さすがに結婚を思いとどまった方がいいのではないかと思ったほどだが、逆に別居するのであれば、あまり詮索されることもないはずだという考えもあった。
 美穂は完全に乗り気で、男としてもてる方だった洋三に選ばれたことが相当嬉しかったようだ。
 洋三もそんな美穂をいとおしく思っていた。それだけに、結婚の話はトントン拍子に進んだのだ。両親もなぜか洋三を気に入り、最初は、まずうまくいかないだろうと思った親の壁が思ったより簡単に崩れた。
「こんなに簡単だとは思わなかったぞ」
「ええ、そうね。うちの両親が一番ネックだと思っていたのに……。でもこれで何も壁はなくなったわね。私、嬉しいわ」
 と心の底から美穂は喜んでいた。
 だが、何もかもがトントン拍子に進むと却っておかしな気分になってくるというもので、実におかしな心境だ。
――本当にこのまま結婚してもいいのだろうか――
 そう考えると、今まで付き合っていて精算してきた女たちの顔が浮かんでくる。
 淫らな顔が印象的だった女性の時折見せる可愛い顔、甘えん坊の女性がたまに見せる淫蕩な顔、そんな表情が思い出されて、今までの女性すべてがいとおしく感じられる。
 彼女たちは洋三の顔を見つめている。しかもすべて視線は目を合わせるようにしているのだ。女というものがこれほど忘れてしまったと思った後に思い出すと神秘的なものだとは感じたこともなかった。
 結局、美穂とは結婚しなかった。婚約していなかったので、婚約破棄というわけではなかったが、当初かなり美穂に恨まれたことだろう。だが、途中から、
「やっぱりあなたってそういう人なのね」
 どういう人に見えたのか分からないが、とりあえず納得してくれた。美穂もさぞや洋三と結婚しなくて正解だったと思っていることだろう。
 あまりひどい皮肉を言われることもなく別れることができたのは幸いだった。もしひどいことを言われていたら、その時に自分が押し潰されていたのではないかと思えるほど、最近は自分が言葉に敏感であることを感じていた。
 美穂と別れ、もう一度人生を考え直してみたくなったのは、他の女たちへの未練からではない。その証拠に美穂と別れて他の女たちと寄りを戻すようなことはなかった。いよいよ美穂と結婚だという時によみがえってきた他の女の面影は、美穂と別れた瞬間にまた思い出せなくなってしまったのだ。
 だが、美穂と別れたことを後悔はしていない。もう一度自分の人生を見直してみたいと考えたことに変わりなく、美穂と別れたことが人生の分岐点になると思ったのだ。
 最初の頃は、怖いものなしだった自分の生き方が最初に描いていた人生設計にぴったりきているような気がしてうまくいっているように思えたのだが、次第に少しずつ違っているように思えてきた。
――小さな針の穴ほどの綻びが、気がつけば大きなものになっている――
 そんな気持ちになった時、自分が悪い方に感じ始めると歯止めが利かなくなってしまう性格だということを思い知らされた。
 元々子供の頃がそうだった。
 いろいろ考え込む方で、子供心にも納得いくことでなければ自分からしようとしない。しかも親や先生から、
「しなさい」
 などという命令口調で言われれば反発あるのに、まともにいうことを聞く気にもならなかった。
「私は損な性格なんだ」
 素直に聞いていればいいものを、どうしても素直になれない。小学生の頃の成績は最悪だった。何しろ勉強をすることの意味が分からないのだから、勉強をするわけでもなく、宿題などもしたことがなかった。親からは、
「どうして宿題や勉強をしないの?」
 と詰るような言われ方で、子供の洋三はそれだけで萎縮していたが、
「お母さんは恥ずかしいわよ。他の人の親や、先生に対して」
 この一言がなかったら、もう少し早く自分を見つけることができたかも知れない。
――まわりに恥ずかしい? 何で母親が自分のことで恥ずかしく思わなければいけないんだ?
 いくら考えても考えが纏まらない。理不尽な考えだと思っているからで、今考えても理不尽以外の何ものでもない。
 そんな状態で勉強をできるはずなどない。
――勉強って一体何なんだ? 自分のためにするんじゃないのか?
 憤りを感じる。教育とは受ける義務ではなく権利ではないかとまで考えた。社会科で習ったその言葉だけが印象に残っているのは、実に皮肉なことだった。
 だがまったく勉強が嫌いだったわけではない。歴史などは好きだった。きっと過去があって現在があるという自分の考えに嵌まるところがあるからだろう。そのうちに算数も好きになるが、それは答えが一つなのに、解き方が行く通りもあり、まるでパズルのような考え方が楽しかったからだ。これらは、上からの押し付けがあろうがなかろうが、自分の中で熱中できる学問だった。
 その二つを好きだということが、洋三に人生設計を立てさせたのだろう。もちろん漠然としたもので、人生設計などというほど大げさなものではなく、ただ想像しているだけのものである。妄想に近いものもあり、家庭の温かさなどまったく知らない洋三が、勝手に頭の中で描いたものだった。
「ああ、何て暖かいんだ」
 目の前にあるろうそくの明かりを見ながら、そう呟いている自分の姿を想像している。まるでマッチ売りの少女、なぜそんな想像が浮かぶのか、自分でも分からない。そんな想像をすることがたまにあるが、きっといつかそんな夢を見たからであろう。
 では一体いつ頃こんな夢を見たのか?
 思い出せない。かなり昔の小学生時代だったような気もするが、ひょっとして、大学を卒業してからではないかとも感じている。
 卒業してから見る夢は、自分だけ社会人で、友達はみんな大学生、そんな夢が多い。都合のいい夢の見方かも知れないが、それこそ潜在意識が見せるものだと思えば納得がいくものだ。
 一瞬にして見るからだろうか、夢というのは自分だけが現実で、まわりは昔のまま、意外と夢の中の方が現実的なことを考えがちなのかも知れない。
 社会人になって酒を呑むようになると、一人で立ち寄る居酒屋を探した時期があった。若い頃は一人が寂しいと思っていて、いつも誰かと一緒にいる時間が多かったが、それでも一人になりたい時間が少しずつ増えていったのも事実である。
 高校時代に見たテレビドラマで、居酒屋のシーンが出てくると、一人カウンターで日本酒を飲んでいる姿に哀愁を感じながらも憧れていたものだ。
 洋三はあまりアルコールが呑める方ではない。
「お前はあんまり呑めないんだから、たくさん食べる方がいいぞ」
作品名:短編集76(過去作品) 作家名:森本晃次