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短編集76(過去作品)

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 商談を終えて彼女を見ると、疲れているのか、足が重たそうだった。商談の内容としては、まだ商談とまで言えるほど話が煮詰まっていないので、最初の紹介程度にやってきただけだった。商談で疲れたわけではあるまい。
「相川さん、お疲れのようですね?」
 相川さんと呼ばれた彼女は、少し俯き加減にしていた顔を上げた。最初に正面から見た時に比べて、確かにかなり顔色が悪い。これが同一人物かと思えるほどで、いつも見ている同僚にはすぐにその異変が分かったようだ。
「ええ、大丈夫よ。少し疲れているのは確かね」
「珍しいですね。相川さんが最初の訪問で疲れるなんて」
「私だって、疲れることもあるわ。人間なんだもん」
 というような会話だったが、普通であれば最初の訪問が一番疲れるのではあるまいか。佐竹など、最初は軽い話をしながら相手を探ろうとするので余計に疲れてしまう。どちらかというと雰囲気に流されやすいタイプの佐竹は、軽い話を始めると、却って自分までリラックスしてしまいそうな気分になり、それを抑えるのに必死だ。自己暗示に掛かりやすい性格がここでも災いしている。
 雰囲気に流されてしまうタイプなので、コツコツ自分でこなす仕事が一番自分に向いていると思っている。営業のように時には相手に合わさなければならない仕事は、本当なら嫌いだ。だが、成績がそのまま顕著に現われることに関しては、今はやりがいがあると思っている。モノを作り出すことが好きな佐竹は、数字という形の見えたモノを追いかけることに充実感を持っている。
 そのくせ相手に合わせることは合理性を重んじる自分の考え方に、真っ向から逆らっている。そこにジレンマがあり、目に見えないストレスを溜めている。
 すぐにでも決められることであっても、会議を開いて時間を割く。まわりがどれだけ分かっていればいいのか分からないが、別に全員にプレゼンしなくてもいいではないか。そんな時間があれば商談用の資料や、事業計画を作成するのに、と考えることもしばしばあるのだ。
 相川さんと呼ばれた女性の方が上司のようなのだが、商談が終わってしまうと、二人は気さくな会話になった。会社を出るまでは上下関係をしっかりさせるべきだと思っている佐竹には少し分からない感覚である。
――あの二人、実は付き合っているのではないか――
 という邪推が生まれても仕方がない。
 会社を出る二人の背中に当たる西日、いつになく眩しさがあるようで、こちらが見ていて眩しいくらいだ。会社のロビーの自動ドアが閉まって完全に二人が表に出ると、西日の眩しさは感じなかった。斜光ガラスが使われているわけではない。ガラスを通して見える光の線に二人が消えていくように見えたのだ。
 その日、仕事を定時に終えた佐竹は、表に出ると、西日の眩しさを感じた。定時というと五時半なので、先ほどの商談を終えてすぐである。先ほど光の中に消えた二人を後ろから追いかけているような気分になっていた。
 眩しさはそのまま太陽の大きさを示しているようだ。眩しさは朝日の方が強いといつも感じていたが、その日だけは夕日の眩しさは、かつて感じたことのない眩しさだった。さすがにまともに夕日を見ることなどできないが、想像するだけで、十分大きさを計り知ることができるほどである。
 頭がぼやけてきているようだ。
 朝日は目が覚めてから意識をハッキリさせてくれる効果があるのだが、夕日は逆にしっかりしている意識をおぼろげにさせる効果があるようだ。
 疲れているからかも知れない。
 普段から蓄積された疲れが、夕日によってその姿を現すと考えれば、辻褄が合わないわけでもない。
 指先に感じるかすかな痺れ、さらにはヒリヒリするような喉の渇き、先ほど事務所を出る時に一杯のお茶を飲んだのだが、すでに喉はカラカラに渇いていた。
 夕日を背に歩いていると、影を見ながら歩くことになる。目の前に見える影は細長く、果てしなく前に続いている。最近肥満を気にし始めた佐竹だったが、影だけはまるで電信柱にように見える。痩せていると言われていた頃が懐かしい。
 影の形は、少しも歪ではない。朝日を背に受け見ている影は、時々歪に感じることがある。足元から伸びる影を見ているのだから、細長いとはいえ、あくまでも自分を忠実に写しているはずである。それが歪に見えるということは、自分がどうかしているに違いない。得てしてそんな日は、背中に当たる日が痛いほどで、背中が焼けるような思いをしていたような気がする。いつもとは限らないのだろうが、どうしても痛かったことだけを覚えているようだ。
――相川さんも同じような思いで歩いているのだろう――
 と思うと不思議なことに、目の前の影が女性の形に見えてくる。少し歪な角度で見えるのだが、頭から靡いているのは肩までかかっていそうな長い髪、さらには腰のまわりの括れ、明らかに女性を思わせる細い足、眼を疑いたくなり瞬きをした。
 影が歪に見えるのも当然だった。影が伸びている先は自分の足元からではない。斜め牛とから伸びていたのだ。自分の影に重なるように写っていたのでビックリした。だが、どうしたことだろう、自分の影が完全に重なってしまったとはいえ、まったく感じられなかった。足元を見ると伸びているはずの自分の影がない。最初に感じた歪な影が忽然と消えてしまったのだ。
「佐竹はいつも下を見ながら歩いているが、何かを探しているのかい?」
 と同僚に言われたことがあるが、
「いや、そんなことはないよ」
 と言葉を濁していた。別に何かを探しているわけでもないし、何よりも、そんなにいつも下を向いて歩いている意識があるわけではない。たまに下を向いて歩いているが、それも影を見つめているだけで、確かにそんな時はじっといていることだろう。時間の感覚が麻痺し、気がつけば目的地に着いている。同僚の話は半分冷やかしに近かった。
 朝日と夕日の違い。これは明らかだ。
 昇っていく朝日はゆっくりと昇っていく感じがするのだが、沈む夕日はあっという間だ。一度山の後ろに沈む夕日をじっと見ていたことがあった。あれも海岸だったように思う。朝日を感じた海岸の近くにある入り江になったところで、それこそ真っ赤な夕日だった。
――ああ、あの赤色だ――
 朝日が当たる公園に、敷き詰められた濃い霧に包まれて浮かび上がった真っ赤な服。シルエットのように影を作っていた女性の赤い服を見た時に、何となく感じた懐かしさは、夕日の赤を思い出させたのだ。霧が掛かっているわけでもなく、赤いといっても本当の真っ赤であるはずがないと思っている夕日をなぜ思い出したのか、その時の佐竹の精神状態を思い計ることは、もはやできないだろう。
 朝日を感じている時に思い出すことなどできない夕日、夕日を感じながら思い出せない朝日、同じ太陽でもまったく違う顔なのだ。佐竹にとって、いや、太陽を気にしてみているすべての人にとって、西の空にある太陽と東の空にある太陽は、まったく別のものなのだ。神秘性を感じることは、それぞれの独立した芸術を見ているようで、それにより生まれる影にも同じことが言える。そこには、いつも違った顔、そして違った大きさを見せてくれる太陽が浮かんでいる。
作品名:短編集76(過去作品) 作家名:森本晃次