短編集76(過去作品)
夢といわれれば夢のような気もするが、意識の外なのか内なのかを考えると、夢ではないように思う。ハッキリと赤い色の軌跡が瞼に残っているし、それ以上にぼやけてシルエットのようになっていたが大きく見えたその身体。思い出そうとしても思いだせるものではないが、ふっとした時に瞼に浮かんでくる時がある。規則性はないのだが、疲れている時だけかも知れない。
今までに忘れられない女がいたことはないのだが、懐かしさの残る思いはどこから来るのだろう?
――朝の幻想的な雰囲気が見せた幻想――
と思えないこともない。しかし、それにしてもその女性と会ったのは一日だけだったのに、赤が印象的すぎるのは、あまりにもその場の雰囲気に合っていなかったからかも知れない。
いつになく疲れていて、息が上がっていたことは事実だが、そういえばその日の朝日がやけに大きかったような気がする。しかも形が歪で、初日の出で感じた時のような楕円形をしていたように思える。初日の出の時とは季節も違えば、場所もあまりにも違いすぎる。水平線から浮かび上がる太陽が歪な形をしているのは分かるが、朝の散歩で見る太陽が歪に見えるのは、やはりその時体調が悪かったからではないだろうか。息が上がってくる中、
――変だな――
と感じてはいたのだろうが、それほど気にならなかったのは、その時の霧があまりにも濃くて、幻想的な雰囲気だったからだ。きっと霧が深いことから、
――歪な形に見えても仕方がない――
と感じたに違いない。
どこかで見たという覚えがなければそのまま忘れていたかも知れない。その光景が初日の出の時に見た朝日にそっくりだということを思い出すまでに、かなり掛かったではないか。
クッキリと晴れた冬の海、じっとりとしていて湿気を帯びた初夏の公園、まったく共通点のない早朝の光景で同じ現象を感じたということで、一瞬記憶が冬の海を思い出していた。懐かしさを感じたとすれば朝日の形だけだったはずだが、その懐かしさは紛れもなく女に感じたものだ。
初日の出を見た時に、近くに似た女性がいたようにも思う。それであれば辻褄が合う。
――私のタイプというわけではないのだが――
と今さらのように思う。
どちらかというと子供っぽくて、いつも甘えてくれるようなそんな女性が好みの佐竹にとって、公園で出会った女性はあまりにもおねえさんっぽい雰囲気だ。嫌いなタイプではないのだが、
――自分なんて相手にされない――
とすぐに感じる方なので、それが災いしているのだろうか。相手から口説かれたとしても、その後本当に好きになれるか、自分でも疑問である。元々女性に対しては、「来る者は拒まず」を自認しているので、好きになられれば好きになる方だ。いや、相手から好かれていると思わないと、決して自分から相手を好きになったりするタイプではない。
「お前の性格がよく分からない」
友達に言われた。
「それはどういうことだい?」
「見ていると実に単純で、女性の好みもすぐに分かるんだけど、好みでもない人を急に好きになったりする時があるじゃないか。それが分からないんだ」
「なぜなんだろうね」
その時はよく分からなかったが、基本的に好きになられてから好きになる方である。ある意味ズルイ性格と言えば言えないこともない。
時々そんな自分が無性に嫌になることがある。告白は自分からするのだが、断られることがないという自信を持っていないと告白することはない。断られるのが怖いのだろう。それは誰にでもあることだろうが、特に佐竹の場合は自覚があるだけに確信犯のような気がして気に入らないのだ。
だが、それも相思相愛ならいいではないか。言い訳ではないが、お互いに一目惚れではない限り、どちらかが先に好きになるのだ。それが相手からだというだけで、問題があるわけではない。佐竹が臆病なだけなのだ。
そういう意味で最初から相手にされないだろうと思った相手を気にすることはしない。大人の色香を醸し出している女性などその典型で、実際に大人の女性に好かれたことはない。別に母性本能をくすぐるようなタイプではないし、しいて言えば強情なところがわがままに見えるくらいだろうか。それは佐竹自身、自分で自覚していることだ。そのあたりが、友達の言う、
「お前の性格がよく分からない」
というところなのだろう。
もっとも、自分が「来る者は拒まず」というタイプだということを自覚したのはごく最近のことなので、友達に言われた時もよく分からなかったというのが本心である。
大人の色香を醸し出していた女性に、赤はとてもよく似合っていた。赤が印象的であまりにも似合っていたので、顔をハッキリ覚えていないのか、それとも自分のタイプというわけではなかったので覚えられなかったのか分からない。そのどちらでもあったように思う。
それから数日経って会社に一人の訪問者があった。営業の女性なのだろうが、グレーなスーツがよく似合う、いかにもやり手タイプの女性である。一瞬ドキッとしたものを感じたが、あくまで商談相手、それ以上の感覚を持てる相手ではない。
よく見かけるようなキャリアウーマンとは少しどこかが違う。最初はそれがどこから来るものか分からなかったが、どうやら佐竹を見つめる眼差しの熱さが違うようである。
女性が男性を見る目。それが尊敬の眼差しであったり、恋愛感情を持った眼差しであれば熱さも分かるが、そうではないようだ。商談相手なので、相手の気持ちを思い計ろうと必死になっているようにも感じられない。眼差しに余裕が感じられるのだ。かといって舐められないように毅然とした態度を意識しているわけでもなさそうである。
佐竹も相手を観察する時は、きっと眼差しを熱くしていることだろう。だが、自分にはない雰囲気をその女性が醸し出しているのを感じていた。ある意味、そこか冷めているようでもあり、相手に自分の気持ちを悟られないようにしようという気持ちが表れているように思える。
見る角度によって、同じ人でも違って見えることがある。商談の時、こちらが持っていた話をまとめようとする時、相手が持ってきた話に対し、こちらが判断を下す立場の時、それぞれで立場が違えば目線が違ってくる。見下しているのと見下されているのでは、天と地ほどの違いがあるのだ。
――朝日と夕日みたいだな――
一度そんな風に感じたことがある。どちらの立場の時が朝日で、どちらが夕日なのかピンと来ないが、パッと写真を見せられて朝日か夕日か見分けがつくだろうか? やはりその場にいてその場の雰囲気を味わっていないと分からないものである。影の長さや光の当たり方が微妙に違うのだろうが、写真だけでは判断できるものではない。
――この女性は私によって朝日なのだろうか。それとも夕日なのだろうか――
佐竹は考えていた。
もしプライベートで会うとするならば、きっと夕日が似合うはずだ。しかし、仕事で会うとすればテキパキと仕事がこなせる朝になるだろう。女性を太陽に見立てて見たことなど今までになかったのに一体どうしたことだ。
作品名:短編集76(過去作品) 作家名:森本晃次