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短編集76(過去作品)

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「そしてその小さな溝がやがて大きな綻びになってくるんでしょうね」
「ええ、そうなの。そこまでなるのに、遅いか早いかですよね」
「そうなんですよ。私はそれを思っています」
「でも、それが早いからといって不幸って言えるのかな? 早く気がつけば立ち直りっていうのも早いでしょう?」
「確かにそうですわね。でも、遅かろうが早かろうが、気持ちの中に残るトラウマはきっと変わらないでしょうからね」
「トラウマということがどんなものか分からないけど、人間不信というか、自己嫌悪のようなものが襲ってくるのかも知れないですね」
「ええ、そして何事にも無気力になる時期があるんですよ。一生懸命に尽くしてきた人は特にね」
――無気力――
 確かに洋三も無気力になる時期を感じていた。鬱状態への入り口というか、すべてを悪い方へと考える、そんな時期である。
 悪い方へと考え始めると歯留めを掛けるのにどれだけ大変か、今さらながらに知った時期でもあった。中学の頃までは悩みがあっても、それは自然に形がつくものだと思いこんでいた。確かにその一時期は辛いこともあるだろう。
 悩んで悩んで胃が痛くなる。そんな話を学校の先生がしていたが、実際にいの痛みはおろか、胃の存在すらあまり感じたことのない洋三にとって、寝耳に水であった。
 だが、元々悩みこむ性格ではあったようで、理不尽な考えはすべて否定して考えるような堅物的なところがあった。
――人の考えを認めない――
 こんな性格を一番嫌いなくせに、我に返ると自分がそんな性格だったのだ。
 だが、人の話を聞くことを信条とし、自分の意見を後回しにしてでも聞くタイプであるにも関わらず、その一方で自分の意見と違う他の意見を心の底で認めていないのだ。何とも複雑な性格である。
 女性に対してもそうだった。
 最初は相手の話を聞いてあげて、的確なアドバイスをしていたはずなので、相手から信頼されて好かれることが多い。そのくせ、複数と付き合うことに何の罪悪感を持っていないハイド氏のような裏もあるのだ。
――一体どっちが本当の自分なのだろう――
 と何度考えたことだろう。洋三にとってそれを考え始めることが袋小路への入り口であった。
 袋小路に入りこむと、まわりが見えなくなる。元々視界を広くできるタイプだとは思っていなかった。例えがおかしいかも知れないが、満遍なく平均的に何でもこなせる人間よりも、一つのことに秀でているタイプの人間を目指している洋三は、時々自分が変わり者ではないかと思いこむことがあるが、それはきっとそういう考えから来ているのだろう。
 どちらも自分だと思わないと自分を把握することができない。感覚が麻痺している時の自分を否定するのは簡単かも知れないが、否定してしまうと一旦袋小路に入ってしまった時の逃げ道を自らで塞いでしまうような気がするのだ。
 結婚をしたことのない洋三は、結婚に対して特別な感覚を持っている。人からいろいろな話を聞かされているし、自分の中にあるイメージもある。自分の中のイメージは、甘いイメージが前面にある。今まで扉を開けると飛びこんでくる暗く冷たい部屋からの空気、それが結婚生活では暖かく甘い匂いが明るい光とともに飛んでくるのだ。食欲をそそる匂いに誘われるかのようにお腹が反応し、欲が急に活発になるだろう。食欲、そして性欲、淫らな考えではあるが、それも新婚の甘い匂いの一つである。
 しかし、それとはまったく違った生活を思い浮かべることもある。新婚当初はそれでもいいが、ある程度生活に慣れてくると、家の中での自分の居場所がなくなってくるかも知れないという危惧がある。子供が生まれればそれこそ顕著に現われるだろう。今まで自分に向いていた妻の目はそのすべてが子供に向くのだ。一歩間違えれば家の中での自分が邪魔者である。家庭サービスや買い物の運転手としてこき使われるのが落ちではないだろうか。
 そんなことを考えても仕方ないだろう。今はそれほどでなくとも、本当に子供が生まれれば子煩悩になるかも知れない。先のことは分からないが、一抹の不安として残ってしまう。
 だが、自分で仕方ないと思えば思うほど、自分の中で萎縮してしまうのか、無気力さが出てきてしまうようである。無気力というのが諦めの境地からの出発点であることを自分でも分かっているつもりなのだが、なかなか脱却できないでいる。感覚が麻痺しているからであろうか。
 瑞穂の話は、なるべく結婚経験のない洋三に不安を与えたくないという気持ちで話してくれているのがよく分かる。気を遣ってくれているというよりも、洋三が考え込んでしまうとなかなか話しが先に進まないことを分かっているので、腫れ物に触るような接し方をしてくれているように思える。
 足が攣ったりした時、痛くて悲鳴を上げたいが、人に知られたくないという思いでいる時がある。下手に気を遣って心配そうな顔をされると却って痛みが増幅してしまいそうな感じで、なかなか痛みから解放されないからであろう。
 瑞穂の気の遣い方は、足が攣った時の自分の感覚に似ている。それだけにありがたいのだ。
 話をしているうちに洋三は瑞穂に惹かれていく自分を感じていた。最初会った時、
「初めて会ったような気がしない。まるで前から知り合いだったような気分だ」
 と感じたことを思い出す。その気持ちが萎えることなく次第に大きくなっていくことで洋三は自分が惹かれていることを実感している。
 だが、無気力になりかかっている洋三が、今女性に惹かれていることに気付いたからといって、告白できるだろうか。自分に自信がある時ならともかく、自信のない時に、しかも無気力な時に言葉が出てくるものだろうかと思い悩んでいた。
 自分に自信があってこそ、洋三は自分を表現できると思っている。自分に自信がなければ、そこから先は進むどころか、気分は後退していくばかりで、何も生まれることはないだろう。
 では自分に自信を持つというのはどういうことなのだろうか?
 何か形になって表れることがまずその一つである。例えば仕事やプロジェクトで成功を収めたり、趣味で表彰されたりすれば形となって現われる。洋三はその時、これといった趣味があるわけではなかった。しかし、形となった結果を残すことが自信に繋がると分かっていたことから、趣味を持ちたいとはかねがね思っていて、趣味を模索していたのだ。だがなかなか自分に合った趣味が見つからず、いろいろなことに挑戦はしていた。
 努力はそれなりにしているのだが、最終的に自分の満足いくものが結果としてついてこない。満足のいくものであっても、それが自己満足の範囲ではないかと考え始めることもあるくらいで、欲の深さを感じてしまう。どうしても堂々巡りを繰り返し、ひとつにまとまらないのは、まだ若い証拠なのだろう。
作品名:短編集76(過去作品) 作家名:森本晃次