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作家の堂々巡り

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 だから読み直さないと気が済まない。それが作者の狙いであり、読者はその術中にはまってしまったことになる。作者冥利に尽きるというもので、まんまとそれに嵌ってしまった読者も、納得の感情を抱くに違いなかった。
 山田大輔の小説は、文章的には読みやすいのだが、内容が難しいということで、なかなか若い読者には受け入れられない。
 最近の傾向としては、スマホでも簡単に書けるような
「携帯小説」
 と呼ばれるものであったり、一部の無料SNSの投稿サイトでは、異世界ファンタジーなどが幅を利かせていて、他のジャンルはなかなか入り込みにくいという傾向にあったりする。
 それがいいのか悪いのか分からないが、明らかな流行であるのは間違いなく、それを批判することは、誰にもできないだろう。
 だが、山田大輔のような、いわゆる古いジャンルの小説は、アンティークな雰囲気であり、玄人好みと言われる、一種の「大人の小説」だと言っても過言ではないだろう。
 そんな小説を読んでいると、マンガを好んで読んでいる人が信じられない気がしてくる。別にマンガが好きな人を蔑視しているつもりはないが、やはり活字を読んで状況を把握したり判断する小説の方が、高貴に思えてくるのも無理のないことだろう。
 山田大輔の小説が、すべて「奇妙な味」を表しているわけではないと思うが、そもそも奇妙な味というジャンルは、SFであったり、ホラーであったり、ミステリーであったりする。一種の派生型と言ってもいいのではないだろうか。
 あるいは、ミステリー、SF、ホラーなどのジャンルのどれに相当するのかなどという次元の発想ではない小説が存在し、そのどれにも少しずつかすっているものがあるとすれば、それを新しいジャンルとしての「奇妙な味」に分類することも可能であろう。
 ただ、敦子は「奇妙な味」というものをジャンルとしては考えていない。どちらかというと、文章作法の上であり得る発想ではないかと思っている。読者を最後まで欺き続けるという意味で、新たなる作法と言ってもいいだろう。
 この「消えていく時間」という小説も、敦子に大きな衝撃を与えた小説であることは間違いない。
「もっと話題になってもいいはずの小説なのに」
 と感じたが、実際にはそこまで有名になることはなかった。人知れず本屋で棚に一の本として並んでいるだけで、誰からも注目されることはなかった。
 山田大輔の小説は大きなインパクトを与えているにも関わらず、話題になることはほとんどなく、あまり本屋も力を入れて本を売っているという雰囲気は見ることができなかった。
 敦子が思うに、
「ジャンルがハッキリとしていないからではないか?」
 と思っていた。
 ミステリーなのかSFなのか、あるいはホラーなのかがハッキリとしない曖昧な小説は今の時代には受けないと思っていた。
 急に、
「奇妙な味」
 などという新ジャンルを持ち出されてもよほどの新鮮さがなければ受け入れられないだろう。
 しかも、奇妙な味というジャンルは最近になって起こったジャンルではなく、昔から存在はしていたのだが、その時代時代で受け入れられなかったから、影のジャンルとして存在しているに過ぎないからだ。
 敦子はそんな山田大輔の小説が本当に一般読者に受け入れられることを望んでいるのだろうか? 最初は人知れずのジャンルに一抹の寂しさを感じていたが、今ではあまりまわりに浸透していないこのジャンルをこのまま「影のジャンル」として保存しておきたいという気持ちになってきていた。
 特にこの「消えていく時間」という小説は敦子の中では独特だった。
 この小説の中で、敦子は、主人公が曖昧な気がして仕方がなかった。一見主人公は老人のように思えていたが、最初の頃の登場人物としての彼は、露出的には主人公としては十分なのだが、その存在感は微妙だった。
 何か煮え切らない感覚を抱いていて、しっかりとした意識を持っているわけではない。山田大輔の描き方が、わざとそのようなイメージで描いているのかも知れないが、それにしても描き方が一人称で描いているわけではなかった。
 主人公だということであって、彼が自分の意志を独り言のように表現しているのであれば、分かるのだが、読んでいるうちに彼自身も不思議な世界に誘われているだけで、主人公としての様相を呈していないのではないかと思うと、誰の目線で小説を追えばいいのかよく分からなくなってしまうのだった。
 この話の全体を掴んでいるのは、どうやら店のマスターのようだった。主人公はある意味でこのマスターであり、お店自身だという意見は乱暴であろうか。
 ただ、主人公がすべてを網羅していないといけないという小説は、意外と少ないのではないか。特にミステリーやホラーなどの場合、その怪奇性が主人公にもたらすものが謎だとして展開するストーリーも一般的だからである。
 この小説のタイトルである、
「消えていく時間」
 というのも、実に微妙な気がする。
「読者の気を引くために、何となくぎこちない内容のタイトルにしたのではないか?」
 という考えもあるが、タイトルに込められた作者の思いを読み取って小説を読み込んでいくと、見えていなかったものも見えてくるのかも知れない。
 老人が店の雰囲気にただならぬものを感じ、独り言のように言うと、そこでマスターがまるでその質問を待っていたかのように、
「ここでは人それぞれに流れる時間が違う」
 という衝撃的なことをサラリと話した。
 確かに誰も動いていないような、そして呼吸すらしていないような雰囲気というのは、尋常ではないだろう。だが、それは老人が感じたことであって、大げさな表現に他ならないだけなのかも知れないと思えば、別に大きな衝撃を感じることもない。小説の中の起承転結でいえば、「承」の部分にあたるのではないだろうか。
 だが、マスターが言った、
「人それぞれで流れる時間が違っている」
 ということを、あたかも事実のように表現している。
 小説の展開からすれば、「転」あるいは「結」部分にあたることであって、この期に及んで、曖昧な話ではないだろう。
 これこそがこの小説での一番のネタであり、クライマックスであるにも関わらず、マスターは淡々としかも、サラリと言ってのける。
 これを聞いた老人がどのような感覚になったのかということを、小説ではぼかしているようだ。敢えて読者に言わずに考えさせようというのだろうか。この技法は山田大輔の他の小説でも見られることだった。
 ミステリーであれば、それなりの法則がある。ラストまで「ネタバレ」しないようにしないといけない小説や、「ネタバレ」をしたうえで、その後のサスペンスを「結」の部分に持っていくという文章作法である。
 この話は、「ネタバレ」を「転」の部分に持っていき、その後の「結」に結び付けるやり方なのだが、ラストの方では、実際の「ネタバレ」に言及することはなかった。
 あくまでもネタであることを含ませておいて、その後の老人の行動を淡々と書いているだけだった。
 老人は店の表に出ると、近くの神社の境内で一夜を過ごすことになるのだが、翌朝、散歩の老人に発見された。老人は寒さから凍死していたのだ。
作品名:作家の堂々巡り 作家名:森本晃次