作家の堂々巡り
彼女の本性を、決して控えめではないと思っていたが、実際に付き合ってみると、自分から発言する方でもなければ、決して輪の中心になろうという雰囲気でもない。大きめの声はそんな自分を鼓舞でもしているのか、声で抑えている気持ちを発散させようという意識があるのか、抑えていない時は気持ちが入っている。しかし、少しでも抑えようとすると、本性が声にも出てしまうのだろう。声を抑えることで気持ちを抑えようとしているわけではなく、気持ちを抑えようという意識があるから、声を抑えている時に、自分の本性が出るようだった。
理屈で分かったとしても、それを理解することはできなかった。敦子は相手を思い図ったとしても、その人になることはできないからだ。この店の女の子が同じような気持ちなのかどうかは分からないが、店の看板娘だとすれば、これでいいような気がした。
もちろん、客が常連で少ないとはいえ、彼女一人で切り盛りしているわけではない。カウンターの奥に少し暗めの男性が、黙々と作業している。この男性がこの店のマスターなのだろう。年齢的には中年から初老に近いくらいであろうか?
少し白髪も混じっているかのように感じるその男性は、
――脱サラでもしたのかな?
と感じさせたが、ひょっとすると、この店をやっていたのは彼の親で、元々どこかで仕事をしていて、親が店を続けることを断念したことで、店を畳むか、それとも誰か他のオーナーを探すかというところだったのを、息子が、
「それなら俺が後を継ぐ」
とでもいったのかも知れない。
今日初めて見た男性で、しかも何の特徴もない雰囲気のおじさんが黙々と作業しているのだけを見て、結論が出るはずもなかった。ただ、考えてみただけで、却ってそれが楽しみでもあった。
――それにしても、ここの常連客というのは、どんな人たちなんだろう?
と思わせた。
まだ通勤時間には早すぎる時間で、彼らを見ていると、これから会社へ出勤するという雰囲気の人はほとんどいない。ラフな服装で、各々好きなことをしているだけだ。
だが、その雰囲気はマンネリ化しているように思えた。皆くらい雰囲気を醸し出しているのに、誰も何も感じない。初めて見た敦子には、
「凍り付いた空間」
にすら感じられるほどだった。
――まるで時間が止まっているかのようだ――
そういえば、山田大輔の小説の中で、
「消えていく時間」
というオカルト小説があった。
ホラーというような恐怖ではなく、読み終わってゾッとするような、いわゆる
「奇妙な物語」
の一種であった。
れっきとしたジャンルとして認識はされているのだろうが、知名度としてはさほどではないような気がする。読書が趣味の人だとか、文芸に造詣の深い人には馴染みなのかも知れないが、ジャンルとして、
「奇妙な味」
というものが確立されているらしい。
ホラーのようでミステリーのようで、SFのようでもある。つまりは確固としたジャンルというわけではなく、曖昧な雰囲気なのだが、物語としては全体的に奇妙な流れで進行し、ラストの数行くらいで読者に、
「そういうことだったのか」
と思わせることを目的にした小説。
いわゆる奇想天外なストーリーというわけではないが、読み終わってから、
「もう一度読み直してみよう」
と思わせるようなストーリー性を醸し出している話が、
「奇妙な味」
というジャンルを創造しているようだ。
小説の内容としては、場面構成はこの店のような昭和の香りを残す喫茶店であった。敦子が昭和の香りを残す喫茶店に憧れを持っているのは、山田大輔の小説によく出てくる雰囲気の喫茶店を自分の中で絶えず創造しているからだ。店の雰囲気はいつも同じもの。あらためて店の雰囲気を書き出していないと、創造される店の雰囲気は最初に読んだ時に感じた雰囲気そのものでしかなかった。
山田大輔という小説家は、一度描写した光景を、何度も描写することをしない。だから、読む順番が違えば、まったく情景を想像させるような描写がないので、完全に読者の感じた様々な雰囲気が存在してしまう。
雰囲気がバラバラなら、作品に対して感じたこともまた様々だ。しかし、彼の小説に対して、描写への批判は聞いたことがない。皆自己で解釈した雰囲気を、自分の中で消化して、想像を豊かにしているに違いない。
――ひょっとして、それが彼の作風の魔力なのかも知れないわ――
と、敦子は贔屓目で見ていた。
昭和の香りを残すその喫茶店に、ある日、酔っ払いの老人が立ち寄った。時間は早朝だったが、老人は一晩中呑んでいたのではないかと思うほど、みすぼらしい恰好だった。
店は常連が占めていたので、彼らはその男が入ってきたことを意識することはなかった。普段と同じ空気が流れているだけで、誰も老人を見ようとはしなかった。
「なんだ、ここは」
カウンターに座った老人はそう言って、マスターに耳打ちした。
「ここはこういうお店なんです」
というと、
「誰も動いちゃいないじゃないか、呼吸をしている雰囲気もない。まるで時間が止まってしまっているかのようじゃないか」
と老人が聞くと、
「ええ、ここは人それぞれで時間の流れが違うんです。だから誰も人に関わることをしないし、他の人から見ると誰も動いていないように見える。つまり見えている彼らは、『抜け殻』のようなものなんですよ」
と、マスターは答えた。
「なるほど、そうなんだな」
老人は、マスターの話を信じたのか、疑うという素振りをまったく示すことはなかったが、信じたということを決して表に出すこともなかった。
「じゃあ、わしがこの店に来たのも、意味があったということか」
と老人はぼそりと呟き、それ以上口にしなかった。
どれくらいの時間が経ったのか、老人はふらりを表に出た。お金を払った雰囲気はなく、それをマスターが咎めることもなかった。
「毎度、ありがとうございます」
と、マスターは老人を送り出した。
老人はどうやら、同じ日を繰り返しているようだった。その日の終わりがずれてしまっていて、この店から出た瞬間が、この男の一日の終わりだった。彼の一日が流れ出すためには、ずれてしまった時間を戻す必要がある。そのためには、この店に入ることをやめなければいけない。
老人はそのことを分かっているのだろうか。店から出ることをやめるのがいいのか、それとも他のことで時間を消していくのがいいのか、彼は分かっていないようだった。
その結論は最後の数行で分かるのだが、一度読んだだけではよく分からない。ただこの小説のラスト数行にはこういうことが書いてあった。
「夢というのは、どんなに長い夢でも、目が覚める寸前の数秒に見るものらしいよ。目が覚めるまでに見た夢は忘れていくものらしい。どこかに封印しているのか、それとも……」
これがラスト数行の謎解きなのだろう。
まさかこんな結末だとは思っていない読者は、意表を突かれる。
「こんな終わり方、中途半端だわ」
と感じることだろう。