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作家の堂々巡り

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 万が一、どこかの隅にポツリと置いたとしても、一日二日もすれば、他の新人が出てくるのだ。置かれた自分の本は返品されるだけのことである。
 自費出版社系の経営は、いわゆる自転車操業と言われるものである。つまりは本を作ろうとする作家が増えなければ経営が立ち行かなくなるのは当たり前のことだった。
 お金がかかっていると思われるのは宣伝費と人件費であろう。毎日の新聞や雑誌に、
「本を出しませんか?」
 という触れ込みの広告を入れ、いかにたくさんの人の目に触れさせ、そして頻繁に宣伝していることをアピールすることで自分たちの業界が、今が旬であるということを最大限に宣伝する。
 そして人件費としては、まず原稿を送ってくれた人の作品を読んで、それに対して批評をして返す人がいる。批評ができるくらいなので、それなりに執筆や評論に関しての知識と能力を有していないと無理な仕事だ。さらに本を出そうとする人のために、それをフォローする人がいる。他の出版社にもいる編集担当者という人である。これは有名出版社であっても自費出版系の会社であっても同じことで、これも一定の能力を必要とする。
 そうなると、人件費を必要とする社員は、そのすべてに専門知識が必要であり、人件費も高揚するのも当然ではないだろうか。
 さらに、本を作るにもお金がかかる。この部分に関しては本を出したいと思っている人たちに共同出版(出版社によって呼び名は異なる)を呼びかけているのだから、少しはG費用が少なくても済む。しかし、本を作ってしまってから、本屋に置こうとするなら、それにもお金がかかるというものだ。実際に置かれるかどうかは別にしてである。
 そしてもう一つの問題は、毎日のようにたくさんの人の本を千部単位で作製している。それらの本を少しは著者に与えるとしても、残りのほとんどは本屋で流通させるわけでもなくどこに持っていくこともできず、倉庫で眠らせることになる。莫大な量の在庫を抱えて、それが毎日増え続けるのである。在庫を持つための倉庫を確保するためにも莫大な費用が掛かることになる、
 他にもたくさん費用が掛かることもあるだろうが、ここに並べただけでも本当に莫大な費用が掛かることが分かるのだが、その費用を捻出するためには、収入としての本を作ろうとする人の数を増やして、共同出版という形で費用を出させるしかないというのが、この業界の一般的な考え方であろう。
 これが問題になったのは、実際に本をこれらの会社から出版した人が、
「自分の本が約束したような本屋に並んだことがない」
 と言い出し、数人が連名で訴訟を起こしたことから始まった。
 この業界は信用第一である。実際の今の顧客に対しての信用ではなく、宣伝をして集まってくるであろう、これまでまったく知らなかった新規の相手が信用してくれるかどうかが問題だ。
 訴えられた会社でわざわざお金を払ってまで本を出そうとするだろうか?
 詳しい事情を知ることもなく、もっとも知っていればなおさらのことなのだろうが、まったくまっさらな知識の中で、
「訴えられた会社」
 を信用する人などいないだろう。
 当然、応募原稿も減ってくる。応募する人はいても、本を出すことへの抵抗はかなりのものである。一気に収入は減り、支出する費用だけはそのままである。在庫が減るわけではなく増え続けるのだから、それも仕方のないことだろう。
 そのためにすぐに経営が行き詰まってしまい、裁判所に民事再生法の適用を願い出たが、再生のための条件が揃わず、最終的には破産ということになった。
 最初に破産する出版社が出ると、あとはドミノ現象だった。似たような業種の会社は、まるでデジャブを見ているかのように、まったく同じ末路を描く。
 破産した時点で本を作製中だった人は大変だ。お金を支払ってしまった人には、お金は返ってこない。本も出版されないという踏んだり蹴ったりの状況となった。
 そんな社会問題が起こったことで、その後、いわゆる
「出版不要」
 という言葉が流行するようになった。
 活字の本にはお金がかかり、さらにそれに対しての維持費などが莫大であり、割に合わないことが露呈してしまった。
 さらには、ネットやスマホなどのタブレット端末の普及により、手軽に本が読めるようになった。つまり製本の時代から、ネット出版の時代に移行してきたというべきであろうか。
 そんなこともあり、最近はネットの中でのアマチュア作家というのが増えてきた。
 SNSなどという交流サイトが増えたことや、アマチュア作家がお金を掛けずに自分の書いた小説を公開できるということで話題になってきた。
 自費出版社系のブームはあまりにも短かったが、一部の人たちの間で時代に衝撃を与えたのは事実だった。
 実際に小説を書きたいと思っていた人がこの事件で小説を書くのをやめたという人もかなりいただろう。
 元々小説執筆などという高貴な趣味を持っている人は、趣味としては少数派だったのだろうが、今から三十年くらい前にバブルが弾けてから、どんどん増えてきたのも事実だった。
 主婦や、それまで会社での仕事ばかりに没頭していて、いきなりリストラを言い渡されたり、給料とともに仕事の量が一気に減ったりして、
「お金はないが、暇だけはたくさんある」
 という人が増えていった。
 リストラされた人が他の仕事に落ち着いたりすると、余暇を楽しむというのが、それ以降の生き方に変わってきたのだ。
 そんな時、
「お金を掛けずにできる趣味」
 というのが注目され始めた。
 そういう意味では、小説執筆というのは、うってつけだったのではないだろうか。小説を書くというのは、書くにあたって、何か高価なものが必要ではない。筆記用具かパソコンがあればそれだけでできるのだ。これほどお金のかからない趣味はないだろう。
 しかも、小説の執筆はある意味何でもありである。自分で書いて楽しむ分には、思っていることを書けばいいのだ。公開さえしなければ、自分が思っている不満であったり、ストレスをぶつけることもできる。嫌いな人を文章の中で抹殺することだってできるのだ。
 また、自分が上達したと思えば、賞に応募してチャレンジもできる。あわやくばプロデビューという夢を持つこともできる。そんなアマチュア作家の心理を巧みに利用したのが自費出版系の会社だったのだが、バブルが弾けた当初の趣味としてはこれほどいいものはなかっただろう。
 そういう意味で小説執筆という趣味は一般的になっていった。人に言わないまでも影で書き続けていた人はたくさんいるだろう。
 敦子も、小説を書くのを趣味としていて、最初の頃は、
「小説を書いているなんていうと恥ずかしい」
 と思って誰にも言わなかった。
「見せて」
 と言われるに決まっていたからだ。
 高校生の頃は、人に見せるほどのものではないと思っていたし、人から少しでも気になることを言われると、すぐに傷ついてしまうという性格だと自覚していたこともあった。
 それでも大学を意識した時、このまま小説を書くことをやめることはないという思いから、文学部を目指した。
作品名:作家の堂々巡り 作家名:森本晃次