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作家の堂々巡り

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 この密室は犯人にとって、やむ負えない密室であり、本当は密室にしない方が本当の完全犯罪だったのだ。なまじ密室に仕立て上げられたためにそこから足が付いたと言っておお過言ではない。そこを言及する評論家はいなかった。
 小説の中で山田大輔はその謎解きの中で、そのことを言及している。それなのに評論家が何も書かないのは実に不思議なことだった。
 またこの小説でさらに魅力的だったのは、トリックばかりが表に出てきてしまって、小説の本当の「言いたいこと」が影に隠れているということであった。
 本当に作家が言いたいのは動機の面だった。小説内で、
「トリックを解いても、事件は解決していない」
 と探偵が言っていたが、まさにその通りだった。
 トリックを解くことで犯人が誰かは分かったが、その動機やその背景にあるものは何も分からなかった。確かにこの話はトリックや奇想天外なストーリー展開という意味ではkぁんぺ期であるが、その裏に隠された本来であれば一番言いたいことを読者が分かっているかそうか疑問であった。
 実際に敦子は、
「この事件の動機が一番重要だということを、本当に読者に知ってもらいたいという意識があるのだろうか?」
 と思ったほどだ。
 敦子も何度も読み返してやっとその意図を理解することができた。つまりは、作家としても、
「何度も読み返さないと、この作品は分からないんだ」
 ということを読者に考えさせるという意味で、一種の読者への挑戦と言ってもいい作品だったのではないかと敦子は思っている。
 山田大輔という作家は、そういう作品を世に送り出してきた作家なのだ。確かにこれ以上の作品は今までの彼の作品の中にはない。他の人の作品を見渡してみても、この作品に匹敵するようなものは、ほとんど見当たらないように思える。
 敦子はその作品を読むことで、これまで小説を避けてきたことに少し後悔を感じていた。最近の敦子は、小説を書くことを別に職業にしなくてもいいのではないかと思うようになった。要するに趣味でもいいという考えだった。
 あれはいつ頃のことだっただろうか。今から五年ほど前のことなので、大学三年生の頃だっただろう。すでに作家への夢を諦めかけていた頃だったので、もし作家を諦めていなくてもそのことのおかげで作家への夢を諦めることになっていたのではないかとも思っている。
 小説家へのデビューというのは、いくつかのパターンがある。当初は一番ポピュラーなのは、出版社系の新人賞や文学賞の公募に原稿を送り、審査を受けるというやり方。そして同人誌などの活動を通して人の目に触れるというやり方。さらには、直接出版社に原稿を持ち込むというやり方だ。
 出版社の編集者に対して原稿を直接持って行っても、以前はまず見られることはない。毎日いくつもの原稿が持ち込まれ、編集者としてもそれを一つ一つ読み込むことなど、実質的には不可能だった。普段から自分の担当作家も抱えているうえで、余分な仕事を増やすようなことはしたくないんだろう。持ち込まれた原稿は、本人の目の前で少しだけ読んで、
「後は読んでおきます」
 と言って、本人が帰った後には、そのままゴミ箱行きというのが当たり前のことであった。
 そんな事情も原稿を持ってくる人たちの間でも知られるようになり、無名作家がデビューするには登竜門と言われる文学新人賞を受賞するしかないような状況であった。
 だが、今から十年くらい前であっただろうか、新種の出版社が登場した。いわゆる、
「自費出版社系」
 と言われる業種で、
 最初は主に持ち込みの人を対象に細々とやっていたようだった。
「本にしたい原稿をお送りください。批評をしてお返しします。出版社が見ていいと思った作品は、出版社より企画出版を行います」
 という触れ込みだった。
 つまりは、作品は必ず読んでくれてそれに対しての批評もしてくれる。試しに送ってみると、丁寧に批評を書いてくれて返してくれた。
 何が新鮮かというと、批評の中には、いいところ以外に悪いところも書いてある。作家のプライドを傷つけない程度に批評してくれているので、信用できると思うのだ。いいことばかりしか書いていないと、嬉しいとは思うが批評としては中途半端でどうにも信用できないと思えてくるだろう。そういう意味で出版社側も巧みで、作家としても出版社に信頼を置くようになる。
 そのうちに出版社の方から、作品を共同で出版しないかと言ってくる。要するに費用を分担で本を作ろうというやり方だ。
 その頃になると、出版社の方も自社の中で「コンテスト」をいくつか開催するようになる。
 出版社系の新人賞というのは、応募しても、入選作品が発表されるだけで、せめて途中の中間発表に残るかどうかが分かるくらいで、作品に対しての評価はまったくないのが実情だ。
 しかし、自費出版社系のコンテストでは、どんなに応募作品が多くても、作品一つ一つに対して批評を施して返すようにしている。もちろん、その作品を出版するかどうか、ランクをつけて見積もりを一緒に送り返しているのだが、作家の方とすれば、その批評がありがたかったりする。だから出版社系の新人賞への応募件数に比べて、自費出版社系の応募の方が数倍、いや、十数倍という単位で多かったりする。その作品を一つ一つ批評して送り返すのだから、相当な労力を要しているということで、素人作家の方も、出版社の努力に対して、一定の評価と多大な信用を寄せるようになるのだ。
 実に巧みに作家心理を読んだやり方だった。敦子の大学での友達の中にも、応募作品をせっせと作り、応募している人が少なくもなかった。実は敦子も大学時代、作家を目指していた時、何を隠そう、何度か作品を送ったこともあった。だから、他の作家の気持ちもよく分かったし、自費出版社系の会社の考え方もよく分かるのだ。
 まるで、
「時の寵児」
 とでもいえるような会社が隆盛を極めた時期は、実に短かった。
 五年もすれば、世間から忘れ去られるほどの短さだったような気がする。
 似たような会社はいくつもあり、まず問題になった会社は顧客に対しては積極的なアプローチで、マスコミも今風の顧客向上志向の会社ということで、話題にしていた。
 客に対しても当然に好印象で、本を出すにあたってのアプローチもしっかりとしていたようだ。
 ただ問題はそこではなかった。出版社の言い分としては、
「本を出せば、一定期間有名書店の店舗に並べます」
 ということを触れ込みにしていた。
 しかし、これは冷静に考えれば無理なことは分かりそうなものだった。
 毎日のように本を出す人はたくさんいて、有名出版社からも当然いる。その中には名前の通った作家もたくさんいるわけで、当然売れるのは著名な作家である。本屋としても有名作家の本を全面に打ち出して、コーナーを作って売り出しに躍起になるだろう。そうなると無名な新人作家で、しかも最近聞くようになっただけの出版社からの新刊など、どの本屋が棚を作るというのだろう。実際に本屋に行っても、自分のところの出版社の棚すらない状況だ。
作品名:作家の堂々巡り 作家名:森本晃次