作家の堂々巡り
「頑張るってどういうことなんでしょうね。何かの目標に向かって努力することは確かに頑張るということなんでしょうが、嫌なことを我慢しながら続けるというのは、頑張るということなんでしょうか? もしそうであれば、僕は頑張るという言葉、本当は使いたくないんですよ」
と新田は珍しく熱く語った。
「ごめんなさい。そんなつもりで言ったわけではないんですよ」
と敦子は新田の凄みにビックリしながらそう言った。
「あ、いや、僕も興奮してしまってすみません。自分もよくまわりから頑張れって言われることがあって、それも自分が続けることに疑問を持っていることに対して頑張れという言葉をよく使うんです。だから、頑張れという言葉、僕の中では半分トラウマのようになってしまっているんですよ」
「そう考えている人、多いかも知れませんね」
と敦子は言ったが、実は敦子の方でもさっき使った、
「頑張れば」
という言葉、あまりいい意味で使った覚えはなかった。
頑張ることができずに継続できなかったというよりも、頑張るくらいなら、継続できなくてもよかったんだという思いもその奥にはあった。
「今日僕は目の前で交通事故を見て、過去にもそれを見たような気がするというデジャブを感じたんですが、そのおかげというか、小説を書きたいという思いが今頭の中に浮かんできました」
「それはよかった」
敦子は新田の横顔を見た時、離れて行った父親を思い出した。
父親は敦子が中学生の頃に、母親と離婚して今は敦子は母親と暮らしている。別に両親を恨んでいるわけでもない。寂しさがないと言えばウソになるが、案外と頭の中はアッサリとしていた。
――そういえば、小説を書けるような気がしたのは、お父さんがいなくなってからだった気がするわ――
元々文章を書くのが得意だった父親から、小学生の頃、作文の書き方について教えてもらったことがあった。あの時の父親には尊敬の念があり、たったそれだけのことしか尊敬に値することはなく、後はそんなにいい思い出はないのに、思い出としての父親には嫌な思いはなかった。だから、父親がいなくても若干の寂しさだけで、あまり必要以上の感情が湧かないのかも知れない。
その日、敦子は結局会社を休んだ。新田とは昼前まで一緒にいたが、次第に会話がなくなっていき、自然とその日は別れることになった。
連絡先を交換し、連絡を待っていると、
「今週の土曜日、いかがですか?」
という連絡が入った。
予定はない敦子も新田に会ってみたいという思いもあって、
「大丈夫ですよ」
というと、待ち合わせを最初に出会ったアーケードの喫茶店にすることにして、その時、お互いに自分の作品を持ってくるということで約束が成立した。
敦子は週末に思いを馳せて、その週の仕事をこなしてきたが、気持ちは複雑だった。
「早く週末が来ないかな?」
という会えることへの期待と、
「何を話せばいいんだろう?」
という躊躇に近い気持ちが交差したからだ。
今までの出会いは約束の元ではなく、偶然出会ったという出会いだった。しかし今回は改まっての出会いであり、最初から会うことを目的にしているため、ある程度会話のシミュレーションくらいはしておかないといけないと思ったのだ。
敦子は今までに十作品くらいを書き上げたことがあった。途中でやめた作品もかなりあるが、今から思えばその時間がもったいないものだったのかどうか疑問である。小説を書いている時は、書き上げることができなかった作品に対して悔しさと寂しさが同居し、憤りしか残らなかった。だが今思い出してみると、悔しさも寂しさも存在しない。書ききれなかった作品には、最初から思い入れなどなかったのだとしか思えないからだ。
――私ってこんなに冷めた考えだったのかしら?
と思った。
小説を書くことを継続していれば、ここまで冷淡になれなかったかも知れない。やめてしまった時点できっと何かのスイッチが入ったとしか思えなかった。
――やめるということにもエネルギーを使うんだわ――
と、今思うから感じることだった。
やめてしまった時は、エネルギーを使うというより、
「せいせいした」
という感覚の方が強かった。
敦子は新田との待ち合わせ場所に原稿をプリントアウトして持ってきたが、別にこの作品がいいと感じたものを持ってきたわけではない。自分の中で、
「これが代表作だ」
などというものは存在しない。
それも思い返してみれば、同じような感覚で書いていた。そういう意味ではどれも冷静に書いていたのだともいえると、それも一生懸命に熱くなって書いていたともいえる。果たしてどちらなのか、今となってはそれを感じるすべを、敦子は知ることはないに違いない。
喫茶店に到着すると、すでに新田は来ていた。
「こんにちは、お待たせしてしまってすみません」
敦子はそう言って近寄ったが、考えてみれば約束の時間にはまだ少しはあるくらいだった。
「いえいえ、僕が早く聞過ぎたんです」
テーブルを見ると、すでに彼は自分の原稿を広げて見ているようだった。
「それ、新田さんの作品なんですね」
「ええ、ここ数日で書き上げたものなんですが、これが読んでもらうには一番いいと思いましてね」
敦子は席に座り、そしてコーヒーを注文すると、さっそく自分の持ってきた作品を新田に渡した。
「では、拝見いたします」
と言って、原稿を入れる大きめの茶封筒から原稿を取り出し、読み始めた。
敦子の方もすでに新田から目の前に広げられた作品をページ順に彼がまとめてくれたものを手渡されていた。
お互いにそれぞれの作品を読むという会話のない独特の時間が流れていく。これは今まで一人で執筆した時間や、読書に使った時間とはまったく違う空間で繰り広げられているものであった。
自分が小説を書いている時というのは、本当に時間の感覚はマヒしてしまっていた。集中していると、二時間くらい書いていたにも関わらず、数十分しか経過していないような錯覚に陥ることも往々にしてあった。
読書をしている時は、ここまでの集中力はないが、興味のある作品で、自分が作品に入り込んで読んでいるという自覚のない時は、本当の時間と感覚上の時間とではかなりの差があった。集中しているという自覚を持ってしまうと、その感覚は半減し、さほど本当の時間と感覚的な時間との差は、さほどではないように感じられるのだった。
敦子は新田の小説を読んでいて、何か違和感があった。
「あれ?」
と思わず声が出たような気がして、ビックリして新田を見たが、新田は気にせず敦子の小説に目を落としていた。
――よかった――
と胸を撫でおろしたが、その時に感じた思いというのが、
――この小説の作風、私には違和感がない――
というものだ。
誰かの小説に酷似しているからだ。その小説家とは他でもない山田大輔だったのだ。
しかし、作風が酷似しているからと言って、新田がオマージュしているというわけでもない。似せて書いているにしては酷似しすぎているのだ。まさに、
「これは山田大輔の新作」
と言われても遜色ないくらいのものに感じた。
だが、そこまで思うと、今度は、