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作家の堂々巡り

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 目の前の惨状を見て、新田はそう言った。
「ええ、でも、もうだいぶ落ち着いたみたいですね」
 と敦子がいうと、
「そのようですね」
「新田さんは、この状況をいつからご覧になっていたんですか?」
「車が衝突するところを見ましたよ」
 という意外な返事が返ってきた。
 敦子も最初からいたが、衝突する瞬間は見ていなかった。それを彼は見ていたというのだ。
「すごい衝撃だったので、ものすごい勢いで衝突したと思ったんです。実際に衝突後の様子もすさまじかったですしね」
「ええ、あの瞬間を見た人でなければ、その様子は分かりませんからね。音は聞こえたんですが、思い出しただけでもゾッとします」
「そうでしょう。見なくて正解だったかも知れませんね。トラウマになってしまうかも知れません」
「そんなにすごかったんですか?」
「ええ、僕もできれば見なければよかったと思うくらいですよ。実際に車が接触した瞬間は、まるでドラマを見ているようにスローモーションに見えた気がしたんです。それはきっとスローモーションにしないと、当たった瞬間なんて本当に何が起こったのか分からない状態ですからね。ショックだけが残ってしまう場合、そのショックがどこから来ているのか自分で納得しなければいけないでしょう。だから自分で自分を納得させるために、わざとスローモーションを演出したんだって僕は思っています:
「なるほど、その意見は分かる気がします。一瞬の出来事を整理しようと思うと、コマ送りだったりスローモーションにしないと理解できないでしょうからね」
「ええ、その通りです。前を見ているつもりで正面を見切れなかったり、見たくないものを見てしまって、目を逸らしたいのに、目を逸らすのが怖いということもありますからね。自分で納得させなければいけないことというのは、確かにあることなんでしょうね」
 そこまでいうと、二人はまた事故現場の残骸に目を移した。
「僕は今までにも何度か交通事故の場面に出くわしたことがあるんです。今回のように車同士の衝突事故だけではなく、車が人を轢くというのも見たことがあります。でも本当にすごいですよね、人間が跳ねられた瞬間に、宙に浮くんですよ。そのままボンネットで跳ね返って地面に落ちる。後は惨状が広がるというわけです」
 思い出しているのか、肩を窄めて若干震えているようにも見えた。
 だが、この震えが回想している恐怖によるものだと思っていたが、どうもそうではないようだ。何かワクワクしているようにも思えた。その証拠は彼の目がギラギラして感じられたからだ。
――この人は一体何なんだろう?
 敦子は、この新田という男に興味を持った。
――そういえば、この間この人と何かの話をしたような気がしたんだけど、ハッキリと覚えていないわ――
 またしても記憶が曖昧になっていた。初めて会ったわけではなく、会って話をしたことは覚えているのだ。
――そうだ、山田大輔の「消えていく時間」について話したような気がする――
 というところまでは思い出したが、詳しい話を思い出せるかどうか疑問だった。
「僕は、こういう情景を見ると文章に起こしてみたくなるんですよ」
 と唐突に彼は言った。
「どういうことなんですか?」
「僕は結構忘れっぽいので、覚えていたいことは文章にして残さないと記憶に残らないんです」
「それは私も同じです。すぐに忘れてしまうんですよ。でもわざわざ文章にして残そうという思いまではないんですけどね」
「そうなんですか。僕は文章にして残すことが大切だって思うんです。後で見返してみるみないは別にしてですね」
「過去に何かあったんですか?」
 と敦子が聞くと、新田は一瞬ビクッとしたようだが、すぐに平常に戻り、
「そうですね。忘れたくないと思っていることを忘れてしまったことがあったのかも知れませんね」
 と言って、少し考え込んでしまった。
 会話が途切れたが、自分の方からさらに会話を続けていこうという思いは敦子にはないようだった。新田が話したくなるのを待つしかないようだ。
「あれは、確か小学生の頃だったと思うんですが、一度公園で遊んでいる時、一人の女の子と仲良くなったんです」
「小学生の低学年くらいですか?」
「ええ」
 敦子がそう思ったのは、自分もよく小学生の頃、公園で遊んだ記憶があったからだ。それも誰かと一緒だったという記憶はほとんどない。群れをなすことが好きではなかったというのが本音であるが、そのせいからか、中学高校に進学すると、友達に対して目立ちたいという思いを抱くようになったのは前述の通りであった。
 そんな敦子だったが、小学生時代にはすでに、
「人と同じでは嫌だ」
 という思いがあり、心のどこかで他人を卑下していたような気がする。
 そのくせ、まわりを冷静な目で見ると、皆自分よりもしっかりしているように見えるという思いがあった。つまり頭の中だけで考えている時は、自分はまわりを卑下していて、実際の目で見ながら冷静に考えた時は、まわりが皆自分よりも優秀に見えるというおかしな感覚になっていた。
 だが、決して矛盾しているわけではない。見え方がその時の感情を左右するというべきであろうか、敦子はそれを二重人格の一種だとは思っていない。
「じゃあ、どっちが本当の自分だというんだろう?」
 と考えてみたが、敦子としては、まわりを卑下している方が本当の自分なのだと思っている。
 捻くれているように見えるが素直な気持ちである。だからこそ、素直な気持ちを正当化させたいという思いがあり、捻くれていないという証明として、まわりを見た時、自分よりも皆が優秀に見えるという
「プラスマイナスでゼロになる」
 という感覚で辻褄を合わせているように思えた。
 敦子は、だから自分がいつも忘れっぽいのだと思っていた。その時の自分が分からない時、過去の自分を振り返っても、曖昧な自分しか思い出すことができない。
「辻褄を合わせることのできない記憶はよみがえらせてはいけない」
 という思いがあるのかも知れない。
 新田も過去のことをすぐに忘れてしまうと言った。それが敦子と同じ理由だというのは敦子の中で、
「おこがましいことだ」
 と感じたが、希望としてはそうであってほしいとも思っている。
 自分と同じような考えの人が他にいれば、それはそれで気が楽になる。
「人と同じでは嫌だ」
 という基本的な考えとはこの場合は完全に矛盾していた。
 なぜなら、この二つの間に、辻褄合わせは存在しないからだ。
 新田は続けた。
「その時に仲良くなった女の子とは、その日だけだったんだけど、僕はすぐにその子と遊んだことをすぐに忘れてしまったんだ。でも、少しして思い出すと、その子のことを忘れてしまった自分が情けなく感じられたんだ。どうしようもなく自分を責めてしまってね。どうして忘れるなんてことになったんだろうってね」
 敦子もすぐに忘れてしまうが、忘れてしまったことを後になって思い出して後悔することはなかった。
 忘れてしまったということは、
「仕方のないこと」
 として諦めるのが関の山で、悔やんでも仕方がないという意味からであった。
作品名:作家の堂々巡り 作家名:森本晃次