小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

作家の堂々巡り

INDEX|1ページ/29ページ|

次のページ
 
 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。ご了承願います。

               喫茶店にて

 深川敦子は今年で二十五歳になる。平凡なOLだった。大学時代は作家を目指して、地元の大学の文学部に入学したのだが、大学三年生の時に山田大輔という人の小説を目にして、とても自分のできる仕事ではないと思い、断念した。
 山田大輔という作家はミステリー作家で、二十年くらい前から地道に作家活動を行ってきて、やっとここ数年でベストセラー作家の仲間入りした下積み作家の一人だった。
 彼の作品が注目を浴びたのは数年前に発表した作品がヒットしたわけではなく、デビュー当時の作品が今になって売れてきたからである。当時は誰も振り向かなかった作品を今になって皆が注目するというのは面白いもので、彼のことを、
「先遣の明のある作家」
 として評論家も揃って称えるようになった。
 本当に勝手なものであるが、世の中とはそんなものであり、逆に地道い努力していれば、後になってから評価を受けることもあるという意味で、多くの作家の目標ともされるような作家になっていた。
 敦子が彼の作品に傾倒し、自分が作家を目指すことを断念させた作品も過去の作品で、
「目からうろこが落ちた」
 というのは、まさにそのことであろう。
 敦子は山田大輔の作品を、過去の作品と現在の作品を交互に読むようにしていた。過去作品を一冊読んだら次は最近の作品を読む。そんな毎日を最近始めたのだ。
 敦子は作家を諦めてからしばらくは本を読むことをやめていた。確かに作品は素晴らしいものなのだが、さすがに自分に作家への夢を断念させたものだけに、ずっと読み続けるというのは精神的にきついものがあり、そうできることではなかった。作家を諦めてから一年以上、本を読むことさえしなくなり、文学部での大学生活は、単位を取って卒業するだけに目的は絞られてしまった。
 それでも成績は悪い方ではなかったので、就職活動にそれほど気合を入れていたわけでもなかったが、地元大手の会社に就職することができた。事務員としての仕事ではあったが、嫌ということもなければ、やりがいがあるわけでもない。平凡な毎日を過ごしているだけだった。
 さすがにその頃になると、自分が作家を目指していた頃の気分も忘れてしまっていて、本を読むことに対しての抵抗もなくなっていた。ミステリー好きの敦子は最近の小説を少しずつ読むようになっていき、毎日の平凡な暮らしの中で読書というのが、一つのインパクトになり、趣味と言ってもいいくらいになっていた。
 小説を読んでいると、何が一番楽しいかというと、
「集中できること」
 であった。
 集中できるということは、その日に何か嫌なことがあっても、本を読んでいる間は忘れることができ、平凡でしかなかった毎日の暮らしを一時でも忘れることを許された特別な時間という認識を与えてくれたのだ。
 ミステリーというと、トリックや奇想天外なストーリー展開のような華々しい内容のものもあれば、社会派小説のように、人間と組織の関係という少しドロドロしたものもある。敦子はトリックや奇想天外なストーリーに重きを置いた作品が好きで、時々そんな自分のことを、
「ミーハーではないか」
 と思うこともあったが、小説に関してはそれでもいいと思っていた。
 小説の内容が奇想天外であり、非日常的な部分が表に出ている作品であれば、作品にミーハーさはないという勝手な理論だった。
 敦子はそんなミステリーに、ホラーやオカルト性も感じ、ミステリーの派生として、ホラー小説も読むようになった。もっともそれはミステリーに則ったホラーという意味であり、サイコホラーなどのようなものとは違うと思っている。その流れからSFも読むようになったが、それは超自然的という意味でのオカルトから派生したものが、奇想天外なストーリーであり、SF小説だと思ったからだ。
 実は山田大輔も最近ではSF小説やホラー関係の小説も書くようになっていた。それは元々のミステリーがトリックた奇想天外なストーリー性を主とした作品を書き続けていた彼の作風からすれば、当然ともいえる転換ではないかと敦子は思った。
「さすが山田大輔の作品だわ」
 と思った。
 そもそもまた山田大輔の作品に戻ってきたのは、他の人のミステリーから派生してSFやホラーに走り、そこから山田大輔の作品に辿り着いた。山田大輔がSFやホラーを書いていたことは知っていたが、ミステリーしか読んだことのなかった大学時代の敦子には、その頃の著作として描かれていたSFやホラー作品に目がいかなかったのも無理もないことであろう。
「そういえば、私が読むのをやめる少し前の山田大輔のミステリーには、描写にリアルなところがあったような気がする」
 と思っていた。
 その理由が今分かったような気がする。
「ホラーやオカルト小説を描くようになって、ミステリーの描写にもホラーで描くようなリアルな描写が取り込まれるようになったんじゃないかしら? それも意識的にというよりも無意識になのかも知れない」
 と、敦子は感じていた。
 SFとホラーはそれぞれに共通点もあれば距離もあるジャンルだと思っているが、それをミステリーという「媒体」を途中に挟んでしまうと、距離があるとしか思えなくなってしまう。
 それはリアルという医院で一目瞭然で、SFというのは、元々架空の話だということが前提なので、いくらリアルに思える書き方をしても、リアルに感じることはできない。しかしホラーやオカルトというのは、人間の中にあるものではあるが、表に出すことをまるでタブーとして表に出さないようにしていることを敢えて表に出そうとしているものだとすれば、ホラー、オカルトの本質は、
「リアルへの追求だ」
 と言ってもいいのではないかと思える。
 敦子がその理論に達したのは、ミステリーから入ったからであって、しかもその題材が山田大輔の作品だということに他ならない。そのどちらが欠けていたとしても、この理論には決して行き着くおkとはなかっただろうと敦子は感じていた。
 初めて山田大輔のミステリーを読んだ時、
「こんな小説があるなんて」
 と感動した。
 その小説はトリックが画期的だということで推理小説界でも一、二を争う賞に輝いた作品で、評論家はこぞってそのトリックの画期的なことを褒めちぎった。
 しかし、敦子はその小説を何度も読み返した結果感じたことは、
「この作品の素晴らしさはトリックの画期的さにあるのではなく、その裏に隠された因縁にあるのだ」
 と感じるようになった。
 その小説のトリックは、いわゆる、
「密室トリック」
 であり、機械的なトリックで密室としたのだが、重要なのはそこではなかった。
作品名:作家の堂々巡り 作家名:森本晃次