作家の堂々巡り
後ろから追いかけてきた男子学生は陽気な表情を彼女に見せていたが、声を掛けられた当人である彼女の方は、まったくの無表情である。
「間に合わないと思うわよ。私も一時限目に出る気はないのよ」
と無表情でそう言った。
――この子、感情が死滅しているんじゃないかしら?
と感じ、その顔を見たが、確かにまったくの無表情で、声のトーンも抑揚も感じることができなかった。
そんな彼女に彼は一生懸命に話しかけているようだったが、敦子にはその気持ちは分からなかった。
――私なら、お友達になろうという気はしないわ――
と思ったが、もし二人が幼馴染だとすればどうだろう?
幼馴染であれば、お互いの性格は熟知しているはずだ。もし彼が彼女の性格を病んでいると思っていれば、その積極性から、今までに何とかしようと思ったことだろう。それでも生まれ持った性格であればそう簡単に変わるわけもなく、この期に及んで離れることもできずに一緒にいる。
それを腐れ縁と思うか、それとも幼馴染というのが親友とはまた違った強い絆で結ばれている関係だということを納得したうえで付き合っていると思うのかのどちらかなのではないかと敦子は感じた。
敦子には幼馴染がいるわけではなかった。高校生の頃までは幼馴染と言えるような人もいたが、大学に入った時には、その人ともなかなか連絡が取れなくなり、大学というこれまでに味わったことのない環境にドップリと嵌ってしまった敦子には、もう高校時代以前の自分を顧みることは愚であるとしか思えなかった。
そんな思いもあり、大学に入学した時から、高校以前の記憶を、
「遠い過去」
として封印してしまった。
そのせいか、大学に入ってからも無意識にであるが、高校時代以前のことを思い出すことがあったが、その時にいつも時系列が崩壊しているのを感じていた。
あまりにも遠い過去として封印してしまったことで自分の過去が忘却の彼方に放たれてしまったという意識の表れなのかも知れない。
そんなことを思っていると、またしても無意識のうちに過去の自分が現れてきた。
さっきの喫茶店では中学時代の意識があったが、今度はいつの頃のことだろう。
感情が死滅している女の子を見た時、
――私の過去の友人にも似たような子がいたわ――
ということを思い出した。
それがどんな子だったのか詳しいことは覚えていなかった。やはり過去というのは、忘却の彼方に放たれてしまったに違いないと思うと、逆に意地でも思い出したくなってしまうのは皮肉なことではないだろうか。
その子のことを思い出そうとすると、そんな彼女にもまわりにいつも人がいたような気がしてきて、思わず自分の記憶を疑いたくなってきた。
――あんなに感情が死滅しているのに、そんな人に他人が寄ってくるなんて、考えにくいはずなんだけどな――
と思った。
しかも、次第に思い出してきた彼女のまわりにいた人は、結構賑やかな人が多かった。個性が強いと言った方がいいかも知れない。
いつも三人でつるんでいたが、そのうちの一人は、いつもバカなことばかりを言っている人で、どうでもいいようなことをさも重要な話のように切り出す。他の二人もよく分かっていて、もう一人の女の子は、鋭い突っ込みを入れて、その突っ込みがあまりにも的を得ているので、誰も三人のことを知らない人が聞いても、思わず吹き出してしまうほどだった。
彼女の突っ込みは言葉だけでなく、タイミングも言葉の抑揚も、さらにはその表情も実にタイムリーで、最初にバカなことを口にした彼女のことよりも突っ込みを入れた彼女のことの方が、人によっては印象に残ったかも知れない。
――このバカなことをいう女の子は、一見輪の中心にいるようだけど、本当のリーダーは突っ込みを入れている彼女なのかも知れない――
とも感じるほどだった。
感情が死滅している彼女も、その突っ込みに対して一言いう。しかもそれが最初に入れたもう一人の女の子の突っ込みにとどめを刺すようなもので、それが彼女の役割なのではないかと思えるほどだった。
だが、彼女はあくまでも脇役であり、他の二人ほど目立つことはないのだが、その一言があったため、彼女の存在感は、三人の中では一番に感じられた。
三人が三人のそれぞれの役割があって、それをしっかりこなしている。もちろん意識しているわけではないのだろうが、逆に意識してできることではないと敦子は感じるのだった。
隣を通り過ぎていった女の子は、その時の感情が死滅した女の子のように思ったが、その子はまだ高校生のようだった。敦子が意識した頃の彼女が、まるでデジャブのようにすぐそばにいる。思わず自分が高校時代に戻ってしまった感覚に襲われたとしても無理もないことであろう。
先ほど、道路を見て、車がまったく進んでいないのを見て、
――まるで時間が止まってしまったような気がする――
と感じたが、それと同じ感覚を、感情が死滅した彼女に感じた。
デジャブは、高校時代からのデジャブでもあり、今この瞬間のデジャブでもあった。
――ひょっとしてデジャブを感じる時というのは、二つのデジャブが融合しないと、意識できないものなんじゃないかしら?
と感じた。
今までにデジャブを感じたことは何度かあったが、その都度、
――あっ、デジャブだ――
とは感じるが、次の瞬間に、感じたデジャブが何に対してなのか、曖昧な気持ちになる。
そして、そのまま忘れてしまうのだった。
――これって?
そう、意識はするがすぐに忘れてしまうというのは、
「夢を見たはずなんだけど、目が覚めるにしたがって忘れてしまう」
という、普段から感じているどうしようもない感覚に似ているのではないだろうか。
デジャブというものは、どういうことなのか、科学的には証明されていないと聞いたことがあるが、本当のところはどうなのだろう?
敦子が感じているデジャブというのは、
「辻褄合わせではないか」
と感じるおのだった。
「デジャブというのは、初めて見たり聞いたりしたはずのことなのに、過去にも同じような経験があったということをいきなり思い出すことだ」
と敦子は感じていた。
絵で見たり、人から聞いたりした話がまるで自分が経験したことがあることでもあるかのような錯覚をするということは、きっとその場面では自分が経験したことでなければ説明のつかないことを思いついたからではないかと思う。それを正当化するため、自分では経験していないにも関わらず、経験をしたかのような錯覚という辻褄合わせで、自分の正当性を証明しようとしていると思うと、デジャブが一瞬だけのことであるということも説明がつくような気がした。
彼女たち三人のグループも、それぞれまったく性格が違うのに、それが歯車となってうまく噛み合っていくというおかしな現象を生むことが、敦子の中で何とかつじつまを合わせようと、デジャブを呼び起こしたのかも知れない。そう思って前を見ると、さっきの過剰が死滅した女の子も、後ろから声を掛けてきた人の姿も消えていた。
「本当にデジャブが見せた幻影だったのかしら?」
と感じたのだ。