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作家の堂々巡り

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――こんなリーダー初めて見た――
 その威圧感に、さすがの敦子もビビッてしまい、許しを請う気持ちもあったが、時すでに遅しだった。
 リーダーの視線は完全に上からの目線で、高圧感が半端なかった。怒らせてはいけない人を怒らせてしまったことを悟り、今まで心のよりどころのようにも思っていた相手が、一番近づきがたい相手と化してしまった。それだけ敦子が彼女に甘えていたということであろうし、彼女も甘えられることを嫌がってもいなかった。だが、それも限度というものがある、切れてしまった堪忍袋の緒を修復することは不可能だった。
――こんなにオンナだったとは――
 敦子は、ちょうどその頃、何かの本で読んだのだが、恋愛小説の一場面のことだった。
「これは自分だけの意見で、皆がそうだとは言えないよ」
 と前置きを言ったうえで、
「オンナは男と違って、ある程度までは我慢するけど、それを超えるともう取り返しがつかなくなる。しかも、オンナは我慢しているところを決して相手の男性に気付かれないようにしているのよ。鈍感な男性はそんなこととはつゆ知らず、今まで通りの付き合いをしていると、女性は彼が甘えてくることをハッキリと自覚できるようになる。そのうちに、自分がいるから彼が甘えるんだという結論に至ってしまうと、今度は使命感と我慢とで、嫌悪が最高潮に達してしまうのよ。相手がそのことを知った時は、すでに彼女の腹は決まっている。すべてが後の祭りということね」
 というと、それを聞いた人は、
「じゃあ、男性は?」
 と聞きなおした。
「男性の場合は、ヤバいと思った時には、まず楽しかった時のことを思い出すものなの。だから相手の女性も楽しかった時のことを思い出せば、思いとどまってくれると思うみたいなのよ。男は必至で楽しかった時のことを思い出すように説得する。でも腹が決まった女性側からすれば、相手の言葉は未練でしかない。聞くに堪えないと言ってもいいくらいになってしまうのよ」
 というのだ。
「そこですれ違ってしまうのね」
「そういうことね。男と女が距離を一番感じる時と言ってもいいかも知れないわね」
「ついこの間までは、この世で一番近しい相手だと思っていたのに、気がついたら、一番遠い相手だったということになるのね」
「その通りですね。だから男女の関係というのは、近くて遠い、遠くて近いともいわれると思うの。ちょっとしたすれ違いが致命的になってしまうことはよくあることですからね」
 敦子はこの話を思い出しながら、男女の中ではないので、いきなりこんなこともないと思っていた。だから徐々に進行していくグループ内の不協和音への違和感も、いつかは収束するものだろうと考えていたのだ。
 だが、一度動き始めた歯車を止めることは思ったよりも難しかった。柱時計の振り子がゆっくりと、しかし着実に時を刻むように、まるでそれが当たり前だと思っている自分を無意識のうちに暗示に掛けてしまうのだった。
「そういえば、昔おばあちゃんの家に、柱時計があったわね」
 ということを、その時の敦子は思い出した。
 まだ中学生だった敦子は、最近までおばあちゃんの家に一年に一度は遊びに行っていた。ほとんどは夏休みだったが、半分は避暑の感覚に近かった。おばあちゃんの家は、近くには入り江になった漁港があり、裏には山が聳えていた。それほど高い山ではなかったが、時々急勾配の場所があったりと、なるべくは近づきたくない場所でもあった。
 ただ、田舎としては新鮮で、海や山の自然を満喫できるのは、敦子にも花親にもいい気分転換になった。
 おばあちゃんはすでに八十歳近かった。普段は漁港に出ていたが、家にいる時は一人なので、かなり寂しかったに違いない。敦子がくるのを今か今かと待ち構えていて、娘である母親よりも敦子が来るのを楽しいにしていた。
「やっぱりおばあちゃんは、孫なのよね」
 と母親も複雑な気持ちだったようだが、それでもおばあちゃんが喜んでくれるのは嬉しいようで、夏休みのこのひと時を当事者皆が楽しみにしていたのは事実だった。
 おばあちゃんの家で聞く柱時計の音は、ボーンという時報の音よりも、振り子の触れる音が印象的だった。一定のリズムで刻む音は静かな部屋に反響し、心地よい睡魔を誘ってくるようだった。
 デジタルしか経験のない敦子には、柱時計などテレビでしか見たことがなかったが、実際に見て、生で振り子の音を聞くと、これほど新鮮な感じはないと思った。振り子の音こそおばあちゃんの家であり、おばあちゃんの家というと、振り子の音だったのだ。
 リーダーとの関係が一気に冷めてしまったのとは対照的に、他の二人とは、それまでになかった絆が生まれているような気がした。しかし、他の二人ともリーダーに気を遣っているようで、敦子に興味を持つことはリーダーを裏切ることになると思って疑わなかったようだ。
 リーダーだけが孤立しているようなおかしな雰囲気になってくると、敦子だけが離れて行くというだけでは済まないような気がしてきた。
 これに気付いていたのは、他ならぬリーダーだけで、他の二人はそこまで考えていなかった。
 リーダーは、
「このままではまずい」
 と思ったのだろう。
 敦子と話がしたいと言ってきた。
 しかし、あれだけ冷徹な視線を浴びせられて、敦子も後には引けない気分だった。もしリーダーが、
「グループのために、また仲良くしてほしい」
 などということを言ってきたならば、今度は敦子の方が冷めてしまうに違いなかった。
 だが、さすがに彼女は、
「グループのために」
 とは言わなかった。
 その言葉を言わなかったのは、グループのために和を乱したくないという思いからなのか、それとも額面通り、グループに関係なく、人間関係修復のために戻ってきてほしいという気持ちなのか、敦子には計り知ることはできなかった。
 敦子は少なくともリーダーが何らかの修復を目論んでいることだけは分かった。だがその真意が分からないだけに、安易に自分の方から歩み寄ることはできなかった。
 そこで考えたのが、少し時間を置くことだった。
 ちょっと考えれば分かることなのであろうが、時間を置くという考えをその時の当事者として判断の中に含めるのは容易なことではなかった。
 敦子は置いていく時間をどのようにすればいいのかというおかしなことも考え始めた。時間を置くということは、考えながら時間をやり過ごすということであった。考えているということだから、少しは進展したり、後退したりするものであろう。時間が経つということはそういうことである。
 しかし、時間を置くということは、時間だけが通り過ぎることであって、その間に考えが変わってしまっては元も子もないことになる。まるでタイムマシンのように、時間だけが過ぎ去ってしまわないと意味がないのだ。
――じゃあ、時間を消せばいいのかな?
 と考えたが、時間を消すということがどういうことを意味しているのかよく分かっていなかった。
 時間を消すということは、案外無意識のうちに普段からできていることなのかも知れない。
「記憶がなくなる」
作品名:作家の堂々巡り 作家名:森本晃次