作家の堂々巡り
「それもおかしい気がするわ。小学生の頃から本に馴染んできたのであれば分かるんだけど、それまで本を読んでこなかったということは、読書に対して一種の抵抗があったというわけよね? それなのに、いきなりハードルの高い小説家の小説を読むというのは、私には理解のできないことではあるわね」
と言われた。
その人のいうことにも一理あった。しかし、それを考えると、
「どちらにしても、最初に読書に入るとすれば、山田大輔という作家の本を選択するのは、不思議なことだということになるのかしら?」
というと、
「一概にはそうとも言えないかも知れないけど、読書というのは、集中しなければできないことなのよね。でも、読み込んでいくうちに自分が集中しているということを忘れるほどに熱中してしまうものなの、本の世界に入り込んでいくというかね。本にはそれだけの力があるからなんだろうけど、本の内容が読み手の共感を得るという意味で、誰にでも起こりそうな話を読み手の気持ちになって書く場合もあるでしょうし、逆に作者が読者に対して問題提起をし、自分の作品にのめりこませるテクニックを駆使することもあるでしょうね。後者の場合は、いかに読み手に本の内容に興味を持たせるかが重要で、最初にくじけさせると、それ以上は読んでもらえることはないわよね」
と、またしても、敦子を考えさせるようなセリフを言った。
「山田大輔の作品に、『消えていく時間』という作品があるんだけど、読んだことはありますか?」
と訊ねてみると、その人が、
「ない」
と答えたので、あらすじを少し話してみた。
もちろん最初に、その小説を今後読む気があるかという質問をしてからであったので、ネタバレも承知の上ということであった。
「なるほど、確かに時間という感覚は曖昧なものがあり、解釈次第によっては、いろいろな小説を書くことができるでしょうね。それがSFであったり、ホラーであったり、ミステリーであったりと、時間をテーマにした小説はいくつもある。でも僕はそれぞれのジャンルで時間をテーマにした小説のパターンは、突き詰めれば一つになるような気がするんだ」
「というと?」
「小説というのは、いろいろなパターンで無限に発想できるのではないかと思うこともあるけど、結局は作者が経験したことがその根底にあると思うんだよね。もちろん実際に経験したことだけではなく、人から聞いた話や他の本で読んだ内容だったりの中で、印象に残ったものをテーマに織り込むんだろうけど、でもそれって自分で納得できなければいけないことのように思うんだ。だから自分で経験したりしたことがベースでないと成り立たないと思うんだけど、ちょっと極論かな?」
とその人はいう。
「夢に見たり、想像することだってあるでしょう?」
と敦子がいうと、彼は笑いながら、
「夢で見たり、想像することと言っても、それはしょせん、その人の潜在意識によるものでしかないでしょう? そういう意味で想像力には限界があると僕は思うんだよ」
「そうなのかしら?」
と、敦子はまだまだ納得できない気持ちだった。
「敦子さんは、夢を見たことがありますか?」
「ええ、もちろんありますよ」
「じゃあ、その夢を覚えていることってあります?」
「ええ、全部の夢を覚えているわけではないんですけど。覚えている夢もあるわね」
「何かその夢で共通点を感じたことはありませんか?」
「私の場合は、怖い夢を見た時というのは覚えている気がします」
「じゃあ、楽しい夢を見た時は?」
「夢の中で忘れたくない。もっと見ていたいと思うんでしょうね。だから余計に覚えられないんじゃないかって思うんです。目が覚めると見ていた夢を忘れてしまったという残念な気持ちが残っています」
「じゃあ、覚えているのは怖い夢ばかりなのかな?」
「そうですね。自分の中ではそう思っています」
「僕もそうなんだけど、これって今敦子さんから自分と同じような夢の見方をするからと言って、皆が皆同じだというわけではないと思うんです。確かに一人よりも二人となると、その信憑性は上がるとは思うんですが、だからと言って、すべての人が同じだというには、あまりにも発想が乱暴ではないでしょうか?」
「確かにそうですね。でも、私はずっとこの発想が自分だけのものなのか、それとも皆同じなのかというのを、半々くらいで考えていたんです。だから、今あなたの話を聞いて、かなり皆同じなんじゃないかという方に傾いてきましたね」
「でも、今の敦子さんの発想は、あくまでもオールオアナッシングじゃないですか。自分だけなのか、それとも皆なのかという究極の選択でしかないわけですよね?」
「ええ、私はずっとそう思ってきました。そう思うことに疑問を感じたこともなかったんですが、その割には今あなたに指摘されても、ハッとした気分にはならなかったんです。発想としては頭の中のどこかにあったんでしょうが、表に出てくることはなかった。そんな感覚ですね」
と敦子がいうと、
「敦子さんが今言われたことは、結構重要な気がするんですよ。頭の中で理解はしているけど、それを自分の発想として表に出すことはない。つまりは、誰かが指摘しないと表に出てくる部分がないという発想ですね。それも私は潜在意識の一つなのではないかと思うんです」
と彼に言われて、敦子は初めてハッとした。
「そういう風に言われると、納得できる気がしてきました」
「ね、目からウロコが落ちた気がするでしょう? 私はそれを夢に当て嵌めることができるんじゃないかって思うんです。覚えていない夢は確かにほとんどが楽しい夢だったりするんだと思うんですが、その理由が今話をした『オールオアナッシング』の発想から来ているのだと考えるのも面白いんじゃないかってね」
敦子はこの話に感動した。
敦子はこの話を喫茶店の窓からアーケードを眺めながら思い浮かべたのであるが、最初は、この話をした相手のことも、どこでこんな話をしたのかまったく思い出せなかった。まず話の内容が思い出されて、思い出した内容から、少しずつオアずるのピースが埋まってくる気がした。それこそ潜在意識というもので、ピースを埋めようとしての発想ではなかったはずなのに、それを思い出すことでピースが埋まっていくというのは、偶然という言葉では片づけられない気がした。それこそ彼が言っていた「潜在意識のなせるわざ」なのではないかということである。
この話をしたのは、この間の合コンでのことであった。敦子は合コンなどあまり誘われたこともなく、学生時代にもあまり経験がなかった。ただ、予定していた人が体調不良で参加できないということで、
「ごめん、来てくれるかな?」
と言われて参加した。
その見返りは、ランチ一食分で悪い条件でもないと思ったのと、
――一度くらい参加してもいいかな?
という軽い気持ちからであった。
実際に参加してみると、やはり他の人たちは鳴れているのか、グイグイと自分アピールに余念がなかったが、敦子は完全に浮いてしまっていた。