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作家の堂々巡り

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 だが、断崖絶壁というシチュエーションは、敦子の中では、ホラー小説だったりオカルトのような世界にこそ存在するもののように思えていた。それをミステリーに応用するという考えは、
「ホラーとミステリーの融合」
 という曖昧な発想を凌駕しているものではないかとも思えた。
 そういう意味で山田大輔という作家の作法は、先天性のあるものであり、いつか誰かに描かれる運命にあるものだったと言えるのではないだろうか。
「消えていく時間」の話を思い出していると、この喫茶店に入るのが初めてではないような気がしてきた。デジャブとでもいうのか、少しずつでも何かを思い出せそうな気がしていた。
 敦子は自分が、
「なかなかものを覚えることのできない性格」
 であることを分かっていた。
 すぐに忘れてしまうというのが一番の原因なのだが、忘れるにしてもすべてを忘れてしまうわけではなく、肝心なことだけを忘れてしまうのだ。だから、何が肝心なことなのかということを自分で理解できておらず、そのために覚えられないのだと思っていた。
 こんな話を人としたことがなかったのでよく分からなかったのだが、人は何かを記憶しようという意識を持って、モノを覚えているのだと思っていた。無意識にモノを覚えることなどできないのであり、
「忘れてはいけない」
 という意識よりも、
「覚えておかなければいけない」「
 という意識の方を強く持たないといけないと思うようになった。
 どうしても意識するとすれば、
「忘れてはいけない」
 という方だという意識があった。
 どちらも大切なことであるが、一つを意識すればもう片方は意識する必要はない。敢えて同じ結論となることを両方意識する必要はないと思ったからだ。だが、意識しないといけないというのは間違いではなく、そのどちらを意識したとしても、そこに大きな差はないと思っていた。
 なかなか覚えられないというのは、小学生の高学年の頃が一番強かったかも知れない。ひどいと感じたのは、学校で宿題を出されたことを覚えていなかったからだ。それも一度だけのことではない。何度もあった。先生から、
「どうして宿題をやってこないんだ?」
 と聞かれえても、
「覚えていなかったから」
 と答えると、
「そんな言い訳通用するわけないだろう」
 と言われて、廊下に立たされた。
「忘れてしまいました」
 というと、宿題をすることを忘れていたのか、それとも宿題が出されたこと自体を忘れていたのかのどちらかだと思われるはずだ。
 しかし、普通は前者を想像するだろう。そうなると、宿題を忘れたというのは、わざとやってこなかったという意味で捉えられてしまうこともあり、それが嫌だった。後者だと言っても、きっと信用してもらえないと思った。まだ子供なのに、宿題が出ていたということ自体を忘れてしまうなど、信じられることではないだろうからである。
 実際には後者だった。親からも叱責された。結局は学校の先生と同じ目でしか見てくれていないということが分かると、何も言えなくなってしまう。それを思うと敦子は、余計なおとを言わない方が自分のためだと思うようになり、言い訳を口にしないようになった。
 言い訳を口にしなくなると、何も言えなくなる。中学生になってから誰にも悩みを相談することもなく、そのせいで友達もできない。それまで友達と言えるかどうか分からない微妙な関係だった人は、当然離れていく。敦子のまわりに人はいなくなっていった。
 だが、その頃からであろうか、同い年くらいの人が悩んでいると、人には見えない何かが見えてきたような気がした。話しかけられたいという思いがみなぎっているのに誰もその人に話しかけようとはしなかった。
 敦子は自分から話をすることはできないと思い込んでいたので、誰もその人に話しかけてあげないことにいら立ちを覚えていた。
 だが、それも他の人にはない特殊な力を自分が持っているからだとは思っていない。自分が物忘れが激しいということに気付いた時、すべての能力で自分は他人から劣っていると思っていたので、そのコンプレックスが人との接触を拒んだのだ。
――本を読めば、少しは記憶力がマシになるから?
 と考えるようになった。
 ただ、記憶力が悪いというのは、生活においてだけのことであった。学校での科目の中で、暗記物と呼ばれる科目の成績は決して悪いものではなかった。実際に試験勉強をしていても、覚えられないという意識はない。テスト中であっても、記憶したことが出てこないということはない。スラスラと問題は解けていた。
 そんな自分を中学時代は不思議に思わなかった。ただ不思議に思っていたとしても、誰かに相談したかどうか疑問だった。
 友達もいないので、急に相談するわけにもいかない。学校の先生や親に対しても、
「頭ごなしに叱るだけで、私を表面だけでしか見ていない」
 という思いしかなかった相手である。
 そう簡単に相談などできるはずもなかった。それは自分の気持ちの否定であり、矛盾しか感じさせないからだった。
 本を読めば記憶力が戻ると思ったのは、半分は気休めであり、相談する相手もいないので、とりあえずやってみようという考えでしかなかった。
 それまで本なんか読んだこともなく、国語の時間も苦痛でしかなかったはずなのに、実際に読み始めると面白くなっていた。元々読書が嫌いだったのは、
「すぐに結論が知りたい」
 という思いが強かったからだ。
 結論というのを求めてしまうと、ついついセリフばかりに目がいってしまう。それはマンガやドラマなどの映像作品のせいではないだろうか。描写は画僧や映像を見ればいいのだ。文字で想像するのは、セリフも一緒に理解しなければいけないということを考えてしまい、自分でハードルを上げていた。
「余計なことさえ考えなければ、勝手に本能が判断してくれる」
 ということだと分かったのは、もう少し経ってからからであって、それまではまわりからよく言えば、
「真面目」
 悪く言えば、
「融通が利かない」
 と言われていた。
 きっと物覚えの悪さもそこから来ているのだろうが、その頃の敦子にそんな意識はまったくなかった。
 いずれはそのことに気付くことになるのだが、
「よく分かったわね」
 と気が付いたに言いたかったくらいだった。
「もし、この時に気付かなければ、きっと一生気付いていなかったかも知れない」
 とも思っていて、それに気づくことができたから、読書する時もセリフだけでなく描写も理解しながら読むことができるようになったと思っている。
 要するに、気持ちの上で、少しだけ余裕ができてきたからだと思うようになった。
 最初に読んだ本が山田大輔の本だったというのも、何か運命のようなものを感じた。他の人に言えば、
「山田大輔から読書に入るなど、そんな人がいるんだね」
 と言われたことがあった。
「そうかしら? 結構奇抜で面白いわよ」
 というと、
「そういう意味ではなく、読書にも段階のようなものがあって、読みやすい本から入っていくものだって思っていたので、それで意外だなと思ってね」
 と言われ、
「私が読書をするようになったのは、最近のことだったので、それでなのかも知れないわね」
作品名:作家の堂々巡り 作家名:森本晃次