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短編集75(過去作品)

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 うな垂れたように頭を下げ、謝ってくる妻。
「いや、僕の方こそ大人げなかったね。また二人で出かけようね」
 妻は薄っすらと涙を浮かべているだろう。康隆を、その潤んだ目で見つめ、自分の浅はかさに気付き、康隆の気持ちを知るだろう。
 それが康隆の想像だった。
 想像? 今から考えれば妄想に近いかも知れない。妻はそんな女ではなかった。元々、大人しい女で、思い切り人見知りする女性であった。
 しかし、私にだけは違ったのだ。他の人の前で喜怒哀楽の表情など浮かべているところなど見たことがなかった。いつもクールで落ち着いている女性として、皆の目には写っている。かくいう康隆の目にもそう写っていたことだろう。そこが、男性にとってはたまらない魅力だったのかも知れない。妻に対するファンは多く、ライバルはいっぱいだった。
 最初の頃、康隆は祥子に興味がなかった。女性に興味がなかったわけではない。むしろ他の女性が気になっていたくらいだ。どちらかというと皆から影のアイドルのように言われていた彼女をなるべく見ないようにしていたのだ。手の届かない相手には、最初から見ないようにするのが今までの康隆だったのだ。
 しかし、ふろしたことから祥子と一緒にお茶を飲むことができたのだ。偶然といえば偶然だったのだが、今から思えば祥子の計算の中にあったのかも知れない。
 祥子という女はどちらかというと計算高く、積極的なところがある女である。見た目はクールで落ちついて見えるが、それを知ったのは、結婚してからだったというのも、皮肉なことだ。
 そんな祥子だったが、一緒にいて面と向かってお茶を飲むことができたことで、康隆は祥子に惹かれていった。どこがタイプかと言われれば、最初はまったく分からなかったが、途中からハッキリと分かってきた。
――自分への態度は、他の人への態度とは明らかに違う――
 誰にも微笑むことのない証拠の笑顔を知っているのは自分だけなんだと思うことが、康隆には至高の悦びだった。他の男に見せない面を自分に見せる。いや、自分に見せる表情を、決して他の男の前では見せないのだ。
 これこそ男冥利に尽きるというものである。
 付き合っている時期は長かった。ほとんど普段は変わりない表情を浮かべる祥子、しかし康隆の前でだけは喜怒哀楽をハッキリと表す。完全に恋人同士になりきっている二人の表情を、他の人たちは知らないだろう。
 付き合っていることを隠そうなどと思ったことはなかった。もちろん会社では公私の別をハッキリとつけていたし、分からない人には分からないだろうが、誰もが気付いて不思議はないと思っていたのに、結婚の話が具体的になり始めて、
「君たちは付き合っていたのかい?」
 と何人かから話をされた。皆祥子のファンばかりである。
 確かに年齢的にもかなり上の康隆は、彼らの眼中にはなかったかも知れない。祥子の態度から見ても、とても彼氏がいるような雰囲気に見えなかったのも、理由の一つだっただろう。
 結婚までの障害はほとんどなかった。
 確かに康隆の年齢が高いということで、障害になりそうな感じはあったが、意外に相手の親もそのあたりを気にすることはなかったのだ。彼女の親もお父さんの方が結構年上だったことが、二人に幸いしたのだろう。
 そういう意味で、祥子は父親と結構歳が離れていた。
「私はファザコンかも知れないわね」
 と話していたことがあったが、それも頷ける。他の人にはクールな祥子が、康隆にだけは惜しみなく甘えてみせる。ファザコンだからだと考えれば、納得がいく。
「娘は、私が結構歳を取ってからできた子供なので、目の中に入れても痛くないような気持ちで育ててきました。それだけに甘えん坊に育っているかも知れないよ」
 これが最初に彼女の父親に会った時の話だった。
「いえいえ、しっかりしたお嬢さんじゃありませんか」
 と半分だけ聞いていたが、それも祥子の甘えたような態度をとるのが、自分だけだと覆っていたからに他ならない。
 結婚してからも、彼女の実家とはかなり行き来していた。何といっても父親が娘を気にするだろうと思ったからで、決して社交辞令だけではない。康隆自身、祥子の父親とも話が合うし、父親の方も、康隆を実の息子のように見てくれていたのだ。
「私には息子がいないので、まるで息子ができたみたいで嬉しいんだよ」
 と、遊びにいっては、話してくれた。康隆もその気持ちが分かるので、甘えることに何のためらいもなかった。
「結婚は、本人たちというよりも、家族ぐるみの問題」
 と言われるが、それはそうであろう。しかし、康隆が祥子の実家に顔を出すのはそういう理由ではない。それだけ彼女の父親を実の父のように感じているつもりでいたからだ。
「康隆君が来ると、家が明るくなるからな」
 実に嬉しい言葉を掛けてくれる。一緒に呑みに行くこともしょっちゅうで、その度にいろいろな昔の話を聞かせてくれる。嫌ではないし、アルコールも入っているせいか、楽しい会話であることには違いない。なかなか楽しい時間である。
 しかし、そんな幸せな時期を過ごしていたからだろう。康隆は妻の様子の変化にまったく気付かないでいた。
 なぜ、あれほど自分を毛嫌いするのか、康隆にはまったく身に覚えがない。結婚当初からなるべく相手に感じさせないような気の遣い方をしてきたつもりだ。それが、どこに不満があるというのだろう。
 あれだけ会話に時間を感じることなく過ごしてきた新婚時代。結婚してから数年、ずっと新婚生活のように思ってきた康隆は、今でもその頃のことを思い出す。だからこそ、ずっと新婚生活のように感じられるのだ。
 しかし、女性がそうではないらしい。友達の話ではないが、我慢の限度を超えると、人間が変わってしまうのだろうか。過去を振り返ることもなく、振り返ったとしても、そこにはお互いの楽しかった思い出など、存在していないように感じるのだ。とても、康隆には信じられることではない。
 だが、離婚という言葉がこれだけ世間に氾濫しているにもかかわらず、自分ではまったく考えられない康隆である。
――離婚などという言葉は、他人事――
 という思いがあるから、気持ち的には苦しくとも、何となく余裕を感じるのである。気持ちに余裕があるから、旅行に出かけてくる気になったのかも知れない。康隆がそう感じた時、頭の中に祥子の顔がよぎった。
――もう、祥子は私を見つめなおしてはくれないのだろうか――
 忘れていたはずの祥子への思いが、よみがえってきた。さっきまで壁の向こうから聞こえていた声に昂ぶっていた気持ちが、少し萎えてくる。その隙間に祥子の顔が忍び込んできたのだ。
 いや、祥子の顔を思い出したから萎えてきたようにも思える。いったいどっちなのか自分でも分からない康隆は、初めて表に出かけようと感じたのだった。
――ここでいろいろ考えていても仕方がないな――
 せっかく旅行に出てきたのだから、何かを得て帰りたいと思う。もちろん、その何かとは、自分の中にある何かである。
――新しい自分の発見――
作品名:短編集75(過去作品) 作家名:森本晃次